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あなたが働いても働いても報われないのは政治のせいである明白な理由

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平成・令和に蔓延った間違った考え方の一つに「自己責任論」がある。何でもかんでも政治のせいにするなというわけだ。ここではそれが間違っている理由を書く。ゼロサム思考では誰かが何かを得ようとすれば他人から奪ってくるしかない。疲れるばかりで誰も得をしない。これを何とかするのが政治の役割である。具体的な例を高度経済成長期の日本と統一ドイツの例を挙げて紹介する。ポイントは流れを作ることである。政治はあくまでも環境を整備する黒子で稼ぐのは国民である。

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この記事は政治批判なのだが特定の政党批判は出てこない。実は政党批判そのものがゼロサムマインドだ。どこかの政党を批判して票を奪ってこないといけないとみんな信じ込んでいる。支持政党なしという人が多いのはまだ新規開拓できる票田が手付かずになっているということを意味する。政治が怠けている分野があるせいだ。

政治のゼロサム思考についてはこれまで記述するのが難しかったが政治とカネの問題で議論がわかりやすくなった。自民党の政治家はお金を蓄えて地方議員たちや支援者の面倒を見なければならないと思い込んでいる。そうしないと他の政治家に取られてしまうからである。総量は決まっているので自分が得るためには誰かから盗んでくるしかない。これがゼロサムである。

これをわかりやすく示したのが小泉龍司法務大臣だ。龍の会という政治団体に資金を集める報告が緩やかな後援会に回しているという。つまりお金を受け付けるところとお金を配るところを分けている。蓮舫議員は私的流用を追求したがSNSでは身振り手振りを加えて正当性を訴える映像が広く拡散した。「全部使ってます」と主張したわけだが、この時に「だってお金がないと票が取れないじゃないですか」と白状してしまった。

蓮舫氏は小泉氏に対しても、10年で約7800万円の政治資金を政治団体同士で移動していると指摘。「脱法行為はないか」と質問すると、小泉氏も「お金を出してくれる方と票を取ってくれる方がダブるが、枝葉は違う」などと反論した。

自民党の内部では地方議員の奪い合いが繰り広げられている。それを外から狙っているのが立憲民主党などの野党である。結果的にみんなでパイの奪い合いをしている。さらに維新はこれを高齢者中心の政治と定義し現役世代のために自分達が争奪戦に参入すると言っている。

こんな政治状況ばかりを見ていても全く解決策は出てこない。そこで何か別のものはないかとして探してきたのがドイツだった。RIETIの「なぜドイツ人にできることが日本人にできないのか」は次のように解説する。ドイツの人口は日本よりも少なく労働時間も短い。にもかかわらずなぜドイツのGDPは日本とそれほど変わらない。ドイツの人たちは自分達の労働時間を給料(生産性)を上げるために使っていることがわかる。

ドイツは外に向けて営業活動を行い販路を増やしてきた。しかし日本企業は海外に流出した企業と国内に残り残ったパイを奪い合う企業に分化した。海外に流出した企業は生産性の低い日本には投資をしなくなる一方で生産性の低い企業は労働者から奪って生き残る道を選んだ。具体的に削ったのは人件費と人材育成の費用だった。これが徐々に蓄積された結果が「失われた30年」であり現在の「スタグフレーション」である。つまりこれまであった流れが国内と海外に別れてしまったのが今の日本の現状である。

停滞した経済環境ではどんなことが起きているのか。試しに一週間自分がどんな仕事をしているのかをノートに書くと良いと思う。

  • 限られた市場でライバルからパイの奪う。そのためには価格を低く抑えるのが一番だ。
  • 価格競争ができない場合はクライアントに何度も足を運ぶなどして何らかの「誠意」を見せる。生産性のない作業だが頑張るしかない。
  • 「もっと良いやり方があるのに」と思いながらも無駄な作業を続ける。例えばデジタルで報告すれば楽だがデジタル機器が苦手な先輩や上司のために印刷した成果物を持ってゆきそれをファイルする。
  • 前例踏襲型で部署によって異なるやり方にこだわる上司を説得したり部内調整を行う。
  • 硬直化したサービスや製品に対するクレームに対応する。とはいえクライアントのニーズに応えられるはずもないので延々とクレームを受け続ける。

成長から見放された日本の記号は人材に投資をしなくなった。その結果としてIT化などに遅れが生じ不効率なやり方を改めることができなくなっている。

日本の政治はこうした状況の写し鏡になってしまっている。これまでは限られた利権の争奪戦をやっていたがそれもできなくなりつつあり現在では高齢者と現役世代での負担の押し付け合いまで始まってしまった。本来はここから率先して脱却すべきだが何故か国民に混じって奪い合いに参加しているということになる。

「ドイツと日本は違うのだから仕方がない」という人が出てくるかもしれないが、それは歴史を知らないからに過ぎない。

実はかつて日本もドイツと同じようなことをやっていた。それが池田勇人首相の所得倍増計画である。この「計画」という名前に対して池田勇人首相は「後々あれは失敗だった」と考えるようになったようだ。実際には所得が倍増できるような確実な計画はなかったのだが結果的に成功してしまったために人々が誤解するようになってしまった。

所得倍増計画の要諦はインフラ投資と人材投資計画だった。まず、世界銀行からお金を借りて鉄道・道路・港湾・工業用水などを作る。徐々にこれを財政投融資に置き換えてゆく。こうして東京から福岡に至る太平洋ベルト地帯に産業集積地を作った。次に、生産性の低い産業から生産性の高い産業に人も集中させる。一時的に失業者が出るがこれは国で面倒を見ることにした。これを支えたのが「全国総合開発計画」だ。

計画という名前がついているが実態はアメリカ型の自由放任主義に近かった。ただ日本にはアメリカのような流れがない。そこで、戦前のインフラや世界銀行からの貸し出しなどを活用しつつ太平洋ベルト地帯からアメリカに輸出しそれを人件費で還元し貯蓄させそれを国が使ってインフラを整備するという循環を作った。一旦流れができればあとは自ずから大きくなる。これが高度経済成長をもたらした。

もちろん、日本の経済政策は最初からアメリカ型の市場主義だったわけではない。岸信介・福田赳夫などは計画経済派だった。特に岸信介はマルクス主義者である。また国民も自由放任を理解しなかった。「自由にやってください」では国民はついてこないと考えた池田勇人はこれに「所得倍増『計画』」という名前をつけた。国民が政治のリーダーシップに期待しているということを見抜いていたからだ。池田勇人首相は後々後悔することになる。

高度経済成長を支えた財政投融資とはどのような仕組みにだったのか。

まず国家を挙げてインフラ整備を行う。企業はアメリカなどに輸出をして儲ける。その資金は賃金として国民に分配される。国民は老後に備えて貯蓄をする。それが郵便貯金や厚生年金・国民年金として蓄積される。1953年(昭和28年)から財政投融資計画という形で企業に有償で貸し出された。1956年(昭和31年)には経済白書には「もはや戦後ではない」と書かれている。戦後の復興期需要が一段落し「次の新しい成長」が求められている時期だった。

世界銀行が「世界銀行から貸出を受けた31のプロジェクト」というタイトルの記事を出している。日本は早い時期にこの世界銀行の貸し出しから卒業している。最後の借入は1966年だったそうだ。ちなみに返済が完了したのは1990年とのことである。つまり戦後からの脱却期に国民の資産を政府が集中投資する仕組みが造られたことで効率の良い企業の成長環境がつくられたことがわかる。

今回の議論はドイツの議論が出発点になっている。連邦制のドイツでは州政府が中心となって企業の有力育成までをおこなっている。インフラの質には違いがあるが、「国民に効率よく稼いでもらうために政治が何をできるのか」を考えているという点は高度経済成長きの日本と共通している。

現在の政治状況はこの「政治は経済の黒子であって稼ぐ主人公は国民」という初心を忘れており国民と同じ目線のゼロサム思考に陥っている。特に若い世代の政治家はそもそも生まれた時から政治がうまく機能していた時代を知らない。海外経験もなければ非ゼロサムの世界を知らない状態だ。だから高齢者から政治を奪うというような発想にしかならない。

このように「国民の成長力に期待した政治」を実施した池田勇人だったが計画があまりにもうまく進んでしまったために晩年にはかなり後悔していたようだ。所得倍増は必ずしも約束されたものではなかったが「わかりやすさ」を優先して「計画」という名前をつけてしまった。これがうまくいったため国民は「うまい作戦は政治が考えてくれる。だから自民党に任せておけば経済成長は自然と実現するのだ。」と思い込むようになる。死の間際に池田勇人首相はこう呟いたと伝わっている。これが遺言となったそうである。

「自分も国民を甘やかした政治をしてしまったが、佐藤(栄作)君もそうなりつつある」

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