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救世案か愚策か 音喜多駿維新政調会長の「医療費負担一律3割」について考える

日本維新の会が医療費の一律3割負を含む担改革提案をまとめた。支持できる政党もなく条件付きで賛成してもいいかもしれないと思っている。だが、この世代特有の思考の限界というものもやはり無視できない。日本を30年間疲弊させ続けてきた「ゼロ・サムゲーム思考」だ。おそらくこのままでは提案は消耗戦に終わるだろう。

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日本維新の会は現役世代に課せられる社会保険料の負担は限界に達したと主張している。この痛みを分散するためには高齢者も現役世代と同じように医療費を負担すべきだという主張は極めてわかりやすい。

音喜多氏はXで「高齢者への負担増と現役世代の負担低減はセットになっている」と説明し「選挙を恐れず、批判を恐れずに現役世代へ徹底投資する」と主張している。ターゲットになっている人たちにフォーカスするという意味では有効なマーケティング手法である。現在のマーケティング手法を熟知した稀有な人材と言えるだろう。万人受けを目指さず思い切ってターゲットを絞り込む手法は的確である。

音喜多氏は既に国会の質問でクリーンヒットを打っておりその実力は確かなもののようだ。下手な修辞は使わずに加藤大臣に対して「今後も上がらないと言えますか?」と率直に質問した。加藤鮎子大臣は1979年生まれの若い政治家だ。ポンコツすぎるという意見もあるが「変な誤魔化し方をまだ覚えていない」と好意的に評価することもできる。若い世代同士の対話だったため「今のままではもうどうにもならない」ということがよくわかった。現在のシステムの行き詰まりを証明するのに下手なテクニックは必要なかったのだ。

このように、日本で最も必要とされるのは現代日本語が話せる国会議員だろう。その意味では維新には豊富な人材がいる。

名前はわからないが予算委員会の締めくくり質疑においてある議員がDXについて質問していた議員がいた。現在の政府のDXは業務改善が前提になっておらず単なるデジタル化であるという主張だ。

この時の岸田総理らの反応は「鳩が豆鉄砲を食らった」ようなものだった。おそらく政府の中枢にいる人たちはDXの意味がよくわかっていない。そもそもタブレットの使用すら「品位」を理由に認めないような人たちである。政治家が使っている日本語と一般企業に流通する日本語には外国語くらいの隔たりがある。

これはマスメディアも同様である。この質問が大きく取り上げられることはなかった。マスメディアにいる人たちも実は現代日本語が話せない。このためDX(ITを使った業務効率化)とIT機器の導入の区別がつかない。彼らもまた政治語を話しており現代日本語がおぼつかない。

現在の自民党で公認してもらうためにはまず「政治語」を覚える必要がある。結果的にDXとは何かといった現代日本語を習得する機会は失われてしまう。それどころかそれを低級なものと考え軽視してしまう人もいる。

日本維新の会は防衛装備品の件で自民党に新しい枠組みの設置を求めているという。「なんだ、兵器の輸出か」と面白くない気持ちはある。日本の製造業は空洞化が進んでいることを考えると「もはや選り好みをしてはいられない」という気もする。

ただしもうなんでもいいから産業集積地を作らなければ日本はもう立ち行かないのも事実だ。

前回のRIETIの研究をおさらいすると次のようになる。地方から人口が流出するのは都市には都市固有の生産性向上効果があるからだ。国の中に複数の産業集積地があることが好ましくドイツはそれを州政府が強力に推進している。これが人口に劣るドイツが日本と同じくらいのGDPを確保している理由の一つだ。

実は「維新」の名前の由来になった日本維新はこの地方分権という考え方に基づいていた。オバマ政権時代のアメリカでは都市論が流行っていた。多様性のある都市に人が集まるという民主党的価値観が強かった時代の考え方だ。これを参考にして日本も地方分権をして産業コアを複数作るべきだというのが大前研一氏の主張だった。

現在のドイツは財政的にかなりに厳しい状況にあるため「ドイツのような体制を目指すべき」とは思わない。またアメリカも多様性を推進しすぎてしまいさまざまな弊害が出ている。例えばサン・フランシスコでは産業集積が進みすぎてしまい都市の治安が著しく悪化している。

重要なのは構造だ。各地方に産業集積地を作ってそこに人を集めるような思いきった政策転換をしないと日本はやがて東京一極集中の単極的な構造の国家になってしまうだろう。すでに自動車産業の次に外貨を稼ぐのは観光という状態の「モノカルチャー国家」になりかけている、。

熊本で半導体ブームが起こりつつあるが、これも実は「モノカルチャー化」であり日本は発展途上国型の経済に移行しつつあると言って良いだろう。人材育成は台湾に依存するような状態もあるようだ。東京一極集中・自動車産業依存・半導体産業依存という非常に危険な国家になりつつある。

大阪維新の会の前世代は理念を構造的に理解することができなかった。大阪では「万博をきっかけに夢洲を開発して土地の資産価値を上げましょう」という極めて昭和的な開発主義に帰着していることからも彼らが産業集積地の創造という理念を理解できなかったことは明白である。仮に道州制議論をきちんと理解していれば関西に新しい産業集積が生まれるか空洞化した繊維産業の復活などが実現していたはずである。

大阪維新の人たちは昭和的思考から脱却できていないが平成世代もまた独自のゼロサム思考に支配されているといえる。平成・令和を通じて成長がなかったせいで今あるパイを奪い合うという思考が身についてしまっていてそこから脱却できない。

おそらくこの世代の政治家にとって最も難しいのはゼロ・サムからの脱却であろう。経済が好調な国や時代を経験している人は「経済は回るものである」と考える。つまり勢いよく流れればみんなが潤うと知っている。これは高度経済成長期からバブルを経験した日本人にとっても当たり前の認識だった。

だが、在外経験のない今の世代の日本人はこれを知らない。そのため全ての人が経済を流れ(フロー)でなく蓄え(ストック)で考えるようになった。フローで考えれば経済の速度が上がればみんな潤うのだがストックで考えてしまうと誰かが富むためには誰かから盗んでくるしかない。この考えを延長すると「現役層が助かるためには高齢者から奪ってくるしかない」ということになり当然選挙では逆風になる。盗られるとわかって喜ぶ人はいない。

さらに言えば「政治に関心を持つ人は限られている」のでそれをどうやって他党から奪ってくるかということになる。これは地方の営業マンが限られたパイのなかで顧客を奪い合っているのと同じ状況だ。ドイツはより良い製品を作って売り出すために生産性を振り向けるが、日本人は同じ時間を前例踏襲の打破と市場の奪い合いに貴重なリソースを無駄遣いしつづけている。

維新には「現代の価値観と言語」が理解できる人材が多くいるようだ。国民民主党や自民党の若手にも同じように優秀な人たちが大勢いる。だがどういうわけか彼らはなかなか政治の表舞台に出てくることができない。その一つの理由が低成長時代に身につけた独特のゼロ・サム思考なのだろう。結果的に「いい線は行っているけどなんか惜しい」存在に留まり続けている。

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