衆議院の予算審議が終了し2024年度の政府予算の自然成立が確実なものとなった。立憲民主党は政治とカネの問題の対策が不十分だとして週明けの審議を求めていたが不発に終わったようだ。最終日に目立った混乱はなかった。
締めくくり審議で注目を集めた質問があった。今はインフレかデフレかと問われ岸田総理は明確な回答ができなかった。ところが共同通信が意外な記事を出している。実は政府はデフレ脱却宣言を検討していると言うのだ。仮に実現すれば投資家だけでなく国民生活にも影響が出る。と同時に曖昧な首相答弁とは矛盾する点に違和感も感じる。
今回は2つのことを考える。まずは日銀の認識を調べる。政府の経済認識は一貫してあやふやなものなので投資家達は岸田総理の発言にはそれほど注目していない。投資の観点からは日銀総裁の発言だけを追っていれば十分だろう。現在は間違いなくインフレだが日銀の望む状況にはなっていないという認識が示されている。日銀は円安を容認しているようだ。
その上で、政府に何が起きているのかを考察する。岸田総理が支持率を向上させるためにデフレ脱却宣言をやるのではないかという観測は早くから出ていた。と同時にそれは国民から猛反発されるだろうとも予想されていた。実際に今回のYahoo!ニュースのコメントを見ると識者達は当惑するか反発している。
衆議院の予算審議が終了した。当初徹底抗戦するかと思われた立憲民主党も政治問題の特別委員会を4月に開くなどの要求を出しただけで審議に応じた。泉代表は「能登半島地震の予算には影響を与えない」と繰り返し弁明していたことからSNSなどで大きなプレッシャーを受けていたことがわかる。政府にとっては野党第一党の党首がこの人だったことは大きな幸運だった。大局感がなく細かい批評に神経を尖らせる。一方で野党支持者にとっては不幸な状況だ。
締めくくり審議では注目すべき質問がいくつかあった。先日解説したように子育て支援金が実質的な増税であると言う指摘や日本の農業がかなり厳しい状況に置かれていると言う指摘がある。あまり注目されていないがどれも日本の将来にとっては重要な課題ばかりである。
おそらくその中で最も一人ひとりのお財布に影響が出そうなのが、現在はインフレなのかデフレなのかと言う質問だろう。岸田総理は認識を問われ「デフレに戻る見込みがないとは言えない」と曖昧な答弁をおこなった。
この極めて曖昧な発言と「デフレ脱却宣言」には整合性がなく違和感を感じる。
純粋に投資判断をしたい人は植田日銀総裁の発言だけを知っておけばいいだろう。植田総裁は「現在はインフレだ」と言い切っている。公の席でそう発言するのは一週間前の国会が初めてだった。3月か4月に予定されると言われているゼロ金利解除に向けて着々と準備が進んでいるようだ。
しかしながらこの発言は日銀の金融緩和策の急激な転換につながりかねない。そのため、日銀の副総裁達は「日銀が金融緩和策を急激に転換することはありません」と慎重な発言を繰り返している。その度に円安・株高方向に動いており、日経平均で40,000万円まで後10円というところまで株価が上がっている。
植田総裁も「もうインフレではあるが日銀が目標とする状態にまでは至っていない」と発言を軟化させている。おそらく金融リテラシーが高い人にとっては織り込み済みのニュースでありあえて書く必要もないだろう。一応現状確認ということで触れておく。
この流れを踏まえると政府のデフレ脱却宣言には違和感を感じる。政府の宣言によって日銀は曖昧な金融緩和政策の維持が難しくなるだろう。これは好調な株価を押し下げることになりかねない。「邪魔をするな」という投資家も多いのではないか。
日銀が曖昧政策を続けると円安によって物価高が続くことになるが円安を口実に企業が価格転嫁を進めているのも事実である。物価上昇が続けば優秀な人材は転職を考えざるを得なくなる。価格の上方硬直性が高くなっている日本市場において円安は値上げの口実となっている。「好循環が起きないなら無理にでも起こしてしまえ」と日銀が考えたとしても何ら不思議はない。
さまざまな感情的な反発はあるだろう。だが、今回の「流れ」に乗りたい人はこうした日銀のやり方を冷徹に見極める必要がある。
となると別の疑問が出てくる。日銀は曖昧戦略を進めたいと考えているのになぜ政府の側がわざわざデフレ脱却宣言を出す必要があるのか。
一つ目の仮説は「岸田総理のリーダーシップによって賃金上昇がうまく進んだ」と宣伝する狙いがあるというものだ。NRIが2023年12月の段階で次のように書いている。根拠は必ずしも明白ではないもののおそらくそうした噂は以前からあったのではないか。
岸田政権は、4月の補正選挙、秋の総裁選を睨んで、デフレ脱却宣言を出して、今までの岸田政権下での経済政策を総括し、その成果をアピールしたい考えのようだ。
今回の国会予算審議は政治とカネの問題で破綻寸前だった。また国会内部では非主流派を中心に次の総裁選びが始まっている。政倫審で岸田総理を支えようという人もおらず最終的には岸田総理自らが出席せざるを得なかった。公明党も説明が不十分だと言っている。政府・与党にとって幸いだったのはたまたま立憲民主党の代表が極めて戦い下手だったからにすぎない。
仮にこれが「支持率向上作戦」の一環だったとすれば、ここまでボロボロになってもまだ岸田総理は秋の再選に望みをつないでいるということになる。極めて往生際が悪い。
植田総裁は春闘がポイントなのでまだ確たることは言えないとしている。さらにデフレ脱却宣言はサプライズであったほうが好ましい。驚きは派手な見出しとなり大きく取り上げられ岸田総理の支持率は回復するだろう。逆に実感がない中で「デフレ脱却宣言へ」などと書かれてしまうと却って反発の元になる。
となると岸田総理の側に本当にこんな思い切ったことを言っていいのか?という迷いがあったと考えたほうがいいのかもしれない。この仮説を一歩進めるとむしろデフレ脱却宣言を潰そうとしている人がいるのかもしれないとさえ思える。支持率向上を渇望する岸田総理の強い意欲は止められそうにないから「だったら試しに観測気球を出してみましょう」ということだ。
案の定、Yahoo!ニュースのコメントには「時期尚早」とするものが多い。国民は好景気を実感しておらずデフレ脱却には至っていないという反発は早くも寄せられている。山田順氏は「スタグフレーション」を隠すためにインフレを強調しているのではないかと疑っているようだ。
門倉貴史氏は内需主導型(ホームメイドと表現されている)のインフレにならない限り脱却宣言は時期尚早であると訴えている。今デフレ脱却宣言をしてもスタグフレーションにしかならないであろうという指摘だ。予算委員会ではこのラインで質問をした議員がいたが総理大臣はそれをスルーしていた。おそらくは内需主導型の経済好循環を実現するアイディアを岸田政権は持っていないのであろう。
経済専門家の藤代宏一氏は「日銀は現在の金融緩和を正当化しにくくなります」と言っている。先に触れたように現在の株高は日銀の曖昧戦略に依存している。政府がデフレ脱却宣言をしてしまうとこの政策が正当化しにくくなる。つまり政府の発言が原因で株価が下落することも十分にあり得る。
先に挙げたNRIの記事は「今デフレ宣言を出せば国民から強い反発を受けるだろう」と指摘している。そう考えると「デフレ脱却宣言」に抵抗が出るのはむしろ想像していた通りの反応だろう。だがそれでも示してみるまで岸田総理はそれがわからないのかもしれない。
最後の仮説は「もう官僚が作文ができなくなっている」というものである。予算委員会の締めくくり質疑を聞いていると「総理大臣の論理は破綻している」と感じる。だが実際に作文をしているのは官僚達である。異例の土曜審議ということもあり徹夜で原稿を書いた人もいるかもしれない。
官僚の作文が難しくなっている理由は2つある。まず総理大臣自身が突発的に何かを宣言してしまうことがある。これを前提にして作文しなければならない。だが逆に「今インフレかデフレかわからない」というようにいつまでも決めてくれない場合もある。これらを踏まえた上であたかも総理大臣に何か考えがあるように文章を組み立ててゆくという作業を(おそらく東大でも成績がトップだった人たちは)連日やらされている。これは苦行以外の何者でもないはずだ。
この状態を正常化するためには総理大臣の発言を何らかの形で修正する必要がある。
岸田政権はこれまでも周囲からさまざまな思惑の発言がリークされておりその後の状況が混乱することがよくある。今回の記事は共同通信の「独自」のようだが背景が曖昧なだけにさまざまな憶測と当惑を呼びそうだ。
国民生活が向上する兆しはないが目の前で株価上昇が起きているのもまた確かなことである。この流れに乗りたい人は情報からノイズを取り除き正確な状況判断ができるように日々情報収集に励むべきだろう。