アメリカのブリンケン国務長官はブエノスアイレスで開かれているG20外務大臣会合に出席し「パレスチナ西岸への入植は国際法違反である」との認識を示した。高まる国際圧力に対応するとともにトランプ政権との違いを強調する狙いがあるものとみられる。
パレスチナ西岸への入植活動は長らく違法とみなされてきたがアメリカ合衆国は国連安保理で拒否権を発動しイスラエルの入植活動を保護してきた。現在ネタニヤフ政権はガザ地区の同様のスキームを導入しようとしているためアメリカ合衆国としても対応を迫られた形となる。
一方で実効性には課題が残る。また政権が変わるとこの違法性の認識がまた変わってしまう可能性もある。さらにバイデン大統領のブレは中国やロシアにとっては格好の攻撃材料となるだろう。我が国周辺の安全保障や開戦後2年経っても解決しないウクライナの紛争にも少なからず影響を与えるのかもしれない。
ロイター通信は短くブリンケン国務長官の発言を伝えておりトランプ政権時代の経緯についても触れている。また時事通信もこの問題に触れている。ロイター通信にはバイデン氏の写真が使われているためバイデン氏が発表したような印象を持ったが実際には大統領が転換を表明したわけではないようだ。
ロイター通信がトランプ政権時代の経緯について短く紹介しているので、背景をもう少し詳しく調べた。国連安全保障理事会では度々イスラエルの入植地に対する非難決議が審議されていたがアメリカ合衆国はその度にブロックしていた。だが、ここで事件が起きる。
エジプトが取りまとめた提案に次期大統領のトランプ氏が介入した。それに意趣返しする形でオバマ大統領が「棄権」を選択したことで非難決議が採択された。オバマ大統領の棄権は予め予想されていた。退任直前まで自分の意思では動けなかったことを示唆しているがようやく重い腰を上げたのだ。
トランプ次期大統領は「二国間交渉が大切だ」と主張していた。のちにアブラハム合意という形でアラブとイスラエルの和平交渉の開始が宣言されたことから一定の正当性はあった考えられる。ただしこの和平交渉にはパレスチナは含まれていない。そもそもアメリカ合衆国と西側諸国はパレスチナを国として認めていないため交渉相手になっていないのだ。
オバマ政権の末期に政策が転換されたのだがトランプ政権になると再度アメリカ合衆国はパレスチナへの入植を容認する姿勢に転じた。娘婿のクシュナー氏がユダヤ系でありトランプ氏とユダヤ系の関係は強い。アブラハム合意のような成果はありつつもやはり私的な関心がうかがえる。
トランプ政権が政策を転換してからNHKがパレスチナ問題についてまとめている。一貫して「国際法(具体的にはジュネーブ条約)違反が指摘されるが」と記述されていて「普通に考えれば違反なのだが」という書き方になっている。
入植には占領地という力による現場変更を既成事実化するという機能がある。NHKによるとカーター政権以降入植には反対してきたが国連安保理決議ではイスラエルへの非難をブロックするという曖昧な政策をとっていた。オバマ政権では修正の動きがあったがトランプ政権はカーター政権以降の「入植への反対」の政策も転換してしまったのである。
トランプ政権の理屈はおかしなものだ。違法だと主張しても和平には役に立たないという。それはアメリカが安全保障理事会でイスラエルを保護しているからである。だがトランプ政権はそれには触れず「そんな約束には意味がないのだ」として入植を容認することにした。いわゆる「マッドマン戦略」である。表向きの理屈が理解できないふりをして私益を通してしまうという戦略だ。
その後アブラハム合意は結実寸前まで向かうのだが、10月7日のハマスの攻撃により中断を余儀なくされている。サウジアラビアはイスラエルへの批判を強めており和平合意への道筋は見えてこない。
またイスラエルの「力による一方的な現状変更」は容認しているのになぜウクライナではそれが許されないのかという問題もある。パレスチナ人差別はアパルトヘイト以上だという指摘すら出ている。アメリカの内政上も「公民権運動は推進するのにパレスチナ人差別は容認するのか」という批判にさらされる。
アメリカ合衆国の今回の方針転換は地域和平にとっては喜ばしい動きなのだが当然懸念もある。
現在ICJ(国際司法裁判所)でパレスチナ入植の違法性を問う審議が始まっている。ICJは国連の組織であり国際法を管轄しているのだが裁定に強制力がない。強制力を持っているのは国連安全保障理事会だけである。つまり「アメリカ合衆国が違法性を認識しながらも実際には拒否権を使ってイスラエルを保護する」可能性が高い。カーター政権以降の曖昧な戦略に戻ってしまったということになる。
ネタニヤフ首相はガザ地区にパレスチナ西岸のような統治スキームを導入しようとしている。仮にアメリカ合衆国がイスラエルを保護し続ければ「ほぼ国際法違反」の状態が温存されるだけということになるだろう。
さらに過去の経緯を踏まえると、単にバイデン政権の選挙戦略である可能性もある。冒頭に挙げた時事通信は次のように書いている。単なる選挙対策だろうというわけだ。国際法違反の認定が選挙情勢によってコロコロと変わってしまうという状態はいかにも好ましくない。
入植活動を容認し、イスラエル寄りだったトランプ前政権との姿勢の違いを明確にした形だ。
ロシアや中国はこうしたアメリカの対応をどのようにみているのだろうか。王毅共産党政治局員はアメリカの中国包囲網を崩すためにヨーロッパを歴訪していた。ロシア・ウクライナ問題とイスラエル・パレスチナ問題におけるアメリカ合衆国のあからさまな二重基準や軍事費支援をめぐる揺らぎなどを利用しヨーロッパに接近している。ヨーロッパもトランプ氏の再来に備えてアメリカ依存からの脱却を模索しており渡りに船となっている。
プーチン大統領に至っては議会対策に翻弄され国際的なポジションを変え続けるバイデン大統領の揺れ動きを好ましいとすら思っているようだ。ブレつづけるバイデン大統領の外交姿勢は弱さの証明であると主張できる。バイデン大統領はプーチン大統領をCrazySOBと呼んでいるが、プーチン氏は落ち着き払っている。大統領選挙を目前に控え「泰然自若さ」をアピールする狙いがあるものと思われる。