前回トランプ氏のNATOを軽視する発言を書いた時に安倍総理とトランプ大統領の関係について触れた。この時に「実際にはどういう関係性だったのだろう?」と思った。当時既に安保法制についてのブログ記事を書いていた記憶はあるのだが、改めて思い起こしてみると曖昧な点も多い。「意外と忘れているものだな」と感じ、個人的にまとめておくことにした。
安倍・岸田両氏とも自分のリーダーシップを誇張しレガシーを残すために安全保障と防衛を利用したがる傾向がある。日本の有権者は「アメリカの大統領と強く結びついたリーダー」に安心感を覚える傾向にあるため特に安倍総理は親密な関係をアピールし続けていた。さらに憲法解釈が多少歪んでも「アメリカとの関係さえ盤石であれば多少の矛盾は致し方ないのではないか」と感じていた人も多いはずだ。
だが実際のアメリカの大統領の対応は極めて冷ややかなものだった。オバマ大統領は安倍総理との接触を避け続けた。安倍総理が右傾化しすぎているという懸念があったからだ。トランプ大統領に至っては「安倍さんはうまく騙せたと思っているらしいが」などと発言している。
安倍総理が民主党から政権を奪取した時の大統領はオバマ氏だった。オバマ氏はかろうじて再選を果たすのだが次第に財政問題に苦しむようになる。膨らみ続ける軍事費も懸念材料となっており、同盟国に負担を求めざるを得ない状況だった。
オバマ氏の増税案は共和党に拒絶されている。2013年3月に歳出の強制削減の期限が迫るとこのままでは軍事費に影響が出るだろうとの見通しを示しており厳しさが増していることがわかる。オバマ大統領の2期目はこの予算不足があり中間層に対して十分な対応ができなかった。現在のトランプ再選運動の核の一つにはこの時の「恨み」がある。バイデン大統領はこの時の反省から中間層の再浮上を強調することが多いが各種世論調査を見る限りはその政策は成功していないようだ。さらに反動として個人の献金が増えている。個人の有権者が政治に興味を持つようになった結果大統領候補の発言は過激化している。健全な民主主義ではなくポピュリズムが強化されているといえる。
2013年9月の安倍総理は保守系のハドソン研究所を訪問し中国が軍事費を2倍にしているとした上で「もしよかったら自分を右翼軍国主義者と呼んでもらっても構わない」とアピールした。自民党政治の復活で「強い日本が国際社会に戻ってきた」と強調する狙いがあったものとみられる。国内の反応は二極化している。極端に反発する人と強い日本の復活に安心感を覚える人がいた。
ハンギョレ新聞はオバマ大統領が財政難に陥っていることから日本の積極的な姿勢に依存せざるを得ないだろうと指摘している。日本語の記事ではテレビ朝日のニュースが見つかったが集団的自衛権の拡大について触れたものはほとんどなく「右翼軍国主義者と呼んでもらって構わない」という発言のみがかろうじて取り扱われている。アメリカの事情については全く触れられていない。
もし、皆様が私を右翼の軍国主義者とお呼びになりたいのであれば、どうぞ、そうお呼び頂きたい
この時リベラル寄りのオバマ政権内部では右傾化する安倍総理を避けるような動きがあったそうだ。2013年9月の訪米時にはオバマ・安倍会談は実現しなかったとされている。こうした鬱屈が表立って語られることはなかったが、2016年に安倍・オバマ関係を総括した産経新聞は次のように書いている。オバマ大統領は一貫して安倍総理を遠ざけ続けたというのだ。トランプ大統領になったことでようやく「オバマ大統領と安倍総理はうまくいっていなかった」ということを認めた格好だ。
オバマ氏サイドに対しては、安倍首相の就任前から日米双方の左派・リベラル勢力によって「危険なナショナリスト」「歴史修正主義者」などといったレッテルが刷り込まれていた。
さまざまな記事を検索する限り、2013年の時点では集団的自衛権の拡大ついてはあまり話題になっていなかった。だが、2014年に閣議決定で「憲法解釈を変える」ことが決まると遅れてニュースとなり様々な議論が行われるようになった。今でもこのような傾向は続いている。総理大臣が増税提案をしたり各省庁の分科会で社会保障費用負担増の提案が出てもその時にはさほど注目されない。ニュースが出るのは実際にそれが閣議決定されたり議会に上程された時だ。
- 安倍総理集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の閣議決定(2014年7月1日)
歴代政権は集団的自衛権について、国連憲章で権利を認められてはいるものの、憲法が制約する必要最小限の武力行使に含まれないとの立場を取ってきた。
閣議決定文は、日本と密接な関係にある国が攻撃された場合、1)日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由と幸福の追求権が根底から覆される明白な危険がある、2)日本の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない、3)必要最小限の実力行使にとどまる──の3条件を満たせば、集団的自衛権は「憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」としている
日本側のメディアは「安倍総理はトランプ大統領とうまく渡り合い日米同盟を強固なものにした」とまとめることが多い。しかしながらこれは幻想に過ぎない。「幻想」がきつい表現だとすれば「日本側の希望的観測」だ。日本人はいつでも無条件にアメリカが守ってくれると信じたい。そのためには「アメリカで一番偉い人」である大統領の気持ちを繋ぎ止めておくことが重要だ。
ロイターは安倍総理とトランプ大統領は個人的には親密だとした上で「政策を見る限りそれは単なる個人と個人の関係にすぎないようだ」と指摘している。つまりそれとこれとは別ですよと言っている。
ロイター(英語版)が指摘するトランプ大統領の政策は次のようなものだった。
- トランプ大統領は鉄鋼関税、自動車輸入税の脅し
- TPPからの離脱
- 気候変動協定の放棄
- 金正恩氏との個人的な接触
意識高い系のオバマ大統領に嫌われた安倍総理大臣と日本のメディアは「トランプ氏なら自分のことをわかってくれるのではないか」と期待をした。ではトランプ氏は安倍総理のことをどう思っていたのか。2018年にこんな発言をしている。
日本の安倍首相らは『こんなに長い間、米国をうまくだませたなんて信じられない』とほくそ笑んでいる。
1970年代から1980年代にアメリカ人が持っていたSly Japanese(ずるい日本人)というステレオタイプをトランプ氏が持ち続けていることがわかる。一番乗りで自分に媚びにきてうまくだませたと思っているんだろうが自分は騙されていませんよと発言していることになる。
さらに大統領補佐官を経験したボルトン氏はトランプ大統領が在日米軍の駐留予算として4倍の金額を吹きかけたと証言している。日本側の菅義偉官房長官はこのやりとりを否定している。だがこの逸話はフォーリン・ポリシーによって政府高官の証言が取れている。菅義偉官房長官の発言から、日本にとっては「アメリカの脅し」は国民に知られてはいけないトップシークレットだったことがわかる。
帰国後にトランプ氏に報告すると、トランプ氏は日韓に対し「米軍を撤収させると脅せば、非常に強力な交渉上の立場を得られる」と指示したという。
この問題の要点は「トランプ氏が狂っている」ということでも「無知なアメリカ人がメチャクチャな政策を支持している」という点でもない。アメリカ側はむしろこれを戦略的に行っている可能性がある。マッドマンセオリーというそうだ。つまり、アメリカ人がうまいディールを引き出すためによく用いる手なのだ。ディプロマットの東京特派員高橋浩祐氏が東洋経済に記事を書いている。
これはアメリカにとってずるさを意味せずむしろ「賢さ」を意味する。逆にアメリカ人は本音を見せずにニコニコと笑っている日本人にずるさを感じている。日本人にとって上位のものにニコニコするのは服従のサインでしかないがアメリカ人はそこに狡猾さを見出すということだ。
アメリカの議会では今でもギリギリまで交渉して最大の成果を上げるというような手法が多く取られている。事前に政党で交渉(根回し)を済ませて議論を穏便に済ませたい日本人から見ると狂っているようにしか見えないのだが、交渉が決裂するかしないかというところまで議論をながびかせて最大限のディールを得るというようなやり方をアメリカ人は好む。むしろ一生懸命に支持者のためにやってくれていると評価するのである。
マッドマンセオリーも「とりあえず最初は脅しておいて最大限の妥協を引き出す」ための手段だ。トランプ氏のNATOを軽んじた発言が拍手喝采で迎えられるのも「強気の態度が相手の譲歩を引き出す」とみなされているからなのだろう。彼らにとってみればそれは賢い戦略なのだ。
ところがこの強気の態度にはいくつかの副作用がある。
マッドマンセオリーに身構えていた人たちはアメリカが通常の紳士戦略に戻ると安心して行動を起こしてしまう。トランプ政権が終わりバイデン政権に移行すると世界各地では紛争が多発するようになったのはおそらくそのためだろう。一度狂った人のふりをするとそれを解くことができなくなってしまう。
バイデン大統領は従来の紳士戦略・正義の味方戦略に戻ってアメリカのプレゼンスを再確立したいという欲求を持っている。一方でトランプ氏、プーチン大統領、ネタニヤフ首相などと付き合ってゆく上で「アグレッシブで狂ったふり」をしなければならないのではないかという迷いも抱えているようだ。大統領選挙では「怒ったふりをした方が得策だ」という戦術が採用されているのだが、穏健な民主党支持者の離反も深刻になりつつある。さらに怒った演技を続けているうちにさまざまな人名を間違えるようになり「高齢でボケたのではないか」とみられてしまうというオマケもついていた。
さらにこうした不安定な状況が続くと「もうアメリカに頼るのは得策ではない」と考える人が出てくる。EUでは「トランプ氏が大統領に返り咲いた時の対策」がうちうちで話し合われておりEUの枠組みで軍事力を確保すべきだという意見も出始めている。EUではとりあえず「即応部隊」の編成議論が出ているがまだそれほど大きな動きにはなっていない。だが、今後トランプ氏の大統領再選が現実的なものになるとこの議論が拡大する可能性もある。
改めてまとめると日米関係は絶望的な文化的違いによるコミュニケーションギャップを日本側の希望的観測を背景にした「説明」で誤魔化してきたという側面がある。トランプ氏が大統領に再選するかしないかは別にして11月に大統領選挙が終わるまでの間日本人の心は揺れ動き続けることになるのだろう。