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北方領土という概念は本当に存在するのか

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安倍首相がロシアを訪問する予定になっている。日本は北方領土問題も協議したい意向だ。「領土問題はすぐには解決しない」と主張しているが、ロシアも日本との協議の場を継続させたいのだろう。
北方領土問題は人参のようなものだ。だから、北方領土を返還してもらうつもりなら、日本政府は北方領土を「金で買う」必要がある。それは、長期に渡るコミットメントになるはずだ。だが、日本政府の態度は「単なるジェスチャー」にすぎないのではないかと思う。国際的に北方領土が帰ってくる見込みはほとんどない。
ただ、そもそも北方領土という固有の地域があるのかについてすら議論のある。要約すると次のようになるらしい。

  • 歯舞・色丹は北海道島の属島のような扱いで、千島(クリル)とは切り離して考えることができるし、そのように扱われることが多い。
  • 一方で、国後・択捉は「南千島」という扱いで、千島列島に属する。すると、サンフランシスコ条約締結時に一度放棄しているということになる。
  • 日本政府の見解は吉田茂当時とその後に違いがある。つまり、日本政府は「南千島はクリル諸島には含まれない」と態度を変えている。

もともと北海道は「蝦夷地」と呼ばれて日本の領域外だった。蝦夷地には樺太・北海道・千島などが含まれていた。蝦夷地のうち北海道南部が日本の植民地となり、その後、植民は全島に拡大した。その後、北方の国境を策定する必要が生じ、樺太については国境を決めず、千島(クリル)が南北に分割された。ただし、サンフランシスコ条約では、たんに「クリル」と指定されていて、吉田全権もこれを認めている。ただし、歯舞・色丹は明確にクリルとは区別されている。
ネット上には次のような引用がある。農民協同党の高倉定助議員と吉田茂首相及び西村熊雄外務省条約局長とのやり取りでは「サンフランシスコ条約の認識では南北千島をクリルと呼んでいる」とした上で「南北千島はその歴史的経緯が違う」ということになっていたらしい。
ただし、その後解釈の変更が行われ、吉田答弁はなかったことにされた。池田首相の答弁では「そもそも南千島などというものは存在しない」ということになったようである。その根拠は明確ではないものの、樺太・千島交換条約で交換した地域が「北千島地域」であったことが根拠になっているものと思われる。ネットで見ることができる原文では鈴木宗男衆議院議員(当時)が小泉政権の見解をただしており、政府は次のように答弁している。南千島ではなく、千島の南にある島々という意味合いだというのだ。北海道の属島なので定義がないという理屈なのかもしれない。

日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号。以下「サンフランシスコ平和条約」という。)にいう千島列島とは、我が国がロシアとの間に結んだ千八百五十五年の日魯通好条約及び千八百七十五年の樺太・千島交換条約からも明らかなように、ウルップ島以北の島々を指すものであり、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島は含まれていない。国後、択捉の両島につき「南千島」ないし「千島南部」と言及した例が見られることと、千島列島の範囲との関係について述べれば、例えば、昭和三十一年二月十一日の政府統一見解において、これらの両島が、樺太・千島交換条約に基づく交換の対象たる千島として取り扱われなかったこと、及びサンフランシスコ平和条約にいう千島列島に含まれないことを確認している。

ここで問題になるのは「誰が誰に確認しているか」が必ずしも明確でないところだ。確認したのは小泉政権なのだろうが、誰に確認したのだろうか。「アメリカ」に聞いたのか、ソ連(もしくはロシア)に聞いたのか、国連に確認したのかが分からない。日本政府が日本政府に確認したということも考えられるが、これだと意味をなさない。国際紛争に内輪の定義を持ち出しても何の意味もないからだ。つまり、最初から「国内向け」のメッセージなのだ。
それではなぜ、定義が混乱しているのだろうか。混乱の元になっているのは、もともと千島の占領が密約(口約束)だったからだ。もともとソ連とアメリカが「北海道を南北で分割しよう」という密約を結び、後にアメリカがそれを断った。代わりに千島へのソ連軍の侵攻を黙認したと考えられている。歯舞・色丹はその当時に「巻き添え」になったものと考えることができるだろう。
ルーズベルト大統領は迷惑な人で「中国に沖縄をあげるから、戦争に協力してほしい」などと言ったという話が伝わっている。ここで「沖縄の範囲は……」などと話し合ったとは思えない。ざっくりと「日本を山分けしよう」と各国に持ちかけていたわけだ。
「千島とは地図で見たときに一連に見えるから、南も北もない」という主張にはあまり説得力がない。なぜならば、日本列島という自明に見える概念も、少なくとも地図上で見れば樺太から台湾までを含みうる。琉球についても同じで、奄美群島や台湾(かつて小琉球と呼ばれた)までを含みうる。実は「列島」とはきわめて曖昧な概念なのだということが分かる。
とはいえ「南千島を千島に含めたことなど一度もない」というのも間違いのようだ。国連は第二次世界大戦で確定した国境の現状変更を厳しく禁止している。Wikipediaの敵国条項の項目には次のようにある。なお、日本はこの「敵国」に当たる。

第二次世界大戦中に連合国の敵国だった国」が、戦争により確定した事項に反したり、侵略政策(ファシズム覇権主義)を再現する行動等を起こしたりした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すこと(制裁戦争)が容認され、この行為は制止できないとしている。

第107条(連合国の敵国に対する加盟国の行動の例外規定)は、第106条とともに「過渡的安全保障」を定めた憲章第17章を構成している。第107条は旧敵国の行動に対して責任を負う政府が戦争後の過渡的期間の間に行った各措置(休戦・降伏・占領などの戦後措置)は、憲章によって無効化されないというものである。

日本から見ると千島への侵攻は「単なる不法占拠」だが、占領によって確定した措置も無効化されないと定められているようだ。
確かに日本人の信条としては「無理矢理奪われた土地を返してほしい」という気持ちは分かるのだが、国際的にはかなり「無理筋」な話であることも知っておくべきだろう。ロシアとしては放置してもよいことなのだろうが、日本が食いついてくることで交渉の材料にすることが可能だ。ある意味「おいしい」わけだ。
「マスコミが正しく伝えない」という不満もあるのだが「政府も一度は南千島の放棄を認めていた」などと言えば大バッシングを受けることは明らかなので、伝えられないのだろう。
なお、サハリン州(樺太と千島全域を含む)の人口は50万人を切るそうだ。どちらかといえばロシアはこの地域を持て余していると言える。日本の資本を入れて開発したいところなのだろうが、歴史的経緯から日本はロシアと協同で開発することができない。共同開発を認めてしまうと、ロシアの実行支配を認めてしまうことになるからだ。とはいえ、ロシアとしても見返りもなく戦利品を手放すことができないのだろう。国内に示しが付かないからだ。
結果的にこの地域は開発が進まないままで取り残されている。