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日本には自由競争は無理なのか

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このところ自由競争を巡る問題が世間を騒がせている。バスの規制緩和で事故が起きたという人もいるし、スーパーが価格競争をした結果、廃棄ゴミがおつとめ品として食卓に上るようになった。
電気も自由化されたが、複数の電気事業者が品質競合するという状況にならなかった。今の所、自社製品の販促品として電気を使う業者が多い。市場そのものが縮小しつつあり食い合いになっているのだろう。
いろいろ考えたのだが、大河ドラマ「真田丸」を見た事もあり、閉じられた社会の自由競争って戦国時代に似ているなあと思った。ドラマを見る限りでは、山梨から群馬に近い長野を旅するだけでもかなり危険だったようだ。安全が保証されない世界では通商もままならいのではないかと思ったのだ。
そもそもなぜ戦国時代に武将たちは争っていたのだろうか。寄り集まって経済成長を目指した方が合理的なのではないだろうか。閉じられた世界の競争は食い合いになるはずだ。そのうち生産力が落ちて国土は疲弊するのではないか。ヨーロッパのように長い戦争と疫病で人口が減ってしまった世界もある。戦国時代も当然そうなっていたに違いない。
日本の戦国時代は応仁の乱で始まるそうだ。表面的には室町幕府の跡目争いだが、なぜ長引いたかという点についてはこれといった通説がないようだ。小氷期による経済不振が背景にあるという人もいれば、未成熟な貨幣経済が招いた悲劇だと言う人もいる。また、貨幣経済が勃興し荘園経済が崩壊したのだと考える人もいるようだ。跡目争いは京都を壊滅させて11年続いた。室町幕府は権威を失い、その後豊臣秀吉が天下を統一するまで100年以上も争いが続いた。
ところが。争乱は国土を荒廃させなかった。それどころか人口が増えて行ったらしい。いくつか原因がある。一連の戦争が武家同士の覇権争いであり、農民にはあまり関係がなかった。次に諸国が競争のために域内の産業を保護した。そして統制が緩む事で往来が促進され、各地で「市」が作られることになった。
もちろん戦争はコストなのだが、コストよりもベネフィットの方が多かったのである。
この成長の余波は江戸時代の最初の100年程度は持続したようだ。人口の増加は1700年頃まで続いた。その後の百数十年は停滞経済に陥り、飢饉などで人口が抑制されることもあったようだ。
荘園の歴史は、政府が農地を増やすために開墾を奨励したことに始まる。もともとは私有財産を認めることで経済を活性化する取り組みだったが、やがて囲い込みが始まった。国に税金を取られるよりもマシと考えて荘園に土地を寄贈する地主も多かった。税金が地元に還元されることもなかったのだろう。しかし、税金を取れなくなった中央政府が衰えて治安が不安定化した。そこで戦国期になると武将による簒奪が始まり、最終的に豊臣秀吉が太閤検地を実施して荘園制度を崩壊させるまで混乱は収まらなかった。
歴史を概観した上で「自由競争」を眺めるといろいろなことが分かる。
経済成長を是とした場合、あるべき自由競争とは、経営者(この場合は戦国武将である)がお互いに争う競争だということだ。一方で、経営者が淘汰されない経済は荘園に例えられる。荘園では競争が起こらないばかりか、農民への搾取が起こるだろう。荘園の内部で競争させられても、それは奴隷が争っているだけで自由競争とは言えない。もしくは荘園の外の荒れ地で小さな業者たちが争っていても自由競争にはならない。それは単なる食い合いに終始するだろう。
安定した経済は停滞を生み出す。荘園経済は停滞経済だし、江戸時代の後期も停滞した。安倍自民党の政策は「荘園の安定」を目指したものだ。荘園民もいくさになるよりはよいと考えている。しかし、実際にはこの選択は合理的とは言えない。荘園民は搾取されるだけだからだ。安倍政権は「荘園主にお金を渡す。荘園主が豊かになれば、荘園全体が繁栄するはずだ」と言っている。だが、荘園主には領民を豊かにするインセンティブはない。
ところが荘園民はまた騙されることになる。放り出された荒れ地でのサバイバル競争を見せられて「あれが自由競争だよ」と言われるのだ。搾取された方が、生き残り競争に巻き込まれるよりもマシな選択だと考えるようになる。
蛇足だが、よくドラマで「親方様は民の幸せのためにいくさのない世を作ろうとしておられるのじゃ」と言っているのを聞くが、あれは嘘なのだなということが分かる。多くの日本人にとって戦争とは第二次世界大戦だと思うのだが、あれは民を巻き込んだ総力戦だった。しかし、戦国武将が民と国土を消耗させてしまえば、自分たちが滅んでしまうのは自明だ。だから、そんなむちゃくちゃな戦争はしなかっただろう。適当にいくさが起こる事で地域間競争が起きていた可能性がある。加えて、第二次世界大戦は日本史上例外的な狂った戦争だったということも言えるだろう。
経営者が殺し合うと言っても命を取られてしまう訳ではない。命を取られない戦争として制度化されたのが現代の資本主義なのだと考えられる。


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