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10年ぶりに日本人力士が優勝したのを喜んではダメなのか

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琴奨菊が優勝した。10年ぶりの日本人優勝ということで盛り上がったが、ネットでは「日本人が優勝したからといって喜び過ぎだ」「人種差別だ」という声が聞かれる。リベラルに聞こえるが、本当にそうだろうか。
応援している方も日本人なのだから、日本人が優勝して喜ぶのは当たり前である。大いに喜べばいいのではないだろうか。これがアンフェアに見えるのは、日本の出来事しか見ていないからだ。
近年のモンゴル人の活躍により、モンゴルでも相撲は人気だそうだ。TVでも相撲中継をやるそうである。当然、モンゴル人力士が活躍すればモンゴルでは盛り上がるだろう。「日本人が優勝した」ということでがっかりしたモンゴル人も多かったのではないかと思う。だが、それを「差別だ」とは言う人はいないだろう。
もし「日本人が優勝しないと盛り上がらないから」という理由で、モンゴル人を横綱にしなかったり、不利なジャッジをするようであれば、それは人種差別だと言えるだろう。しかし、そのような事態は起きていない。ルール上はフェアである。また、白人や有色人種も見た目で差別されることはない。中にはイスラム教徒の力士もいるが、「神道の伝統に反する」といって問題視されることもない。
もっとも、相撲界に問題がないわけでもない。
第一に、入門できる外国人力士の数は制限されている。理由は「客が郷土の力士を応援したいから」とか「外国人は問題を起すから」というものだ。明らかに人種差別的な動機に基づいている。制限は帰化人にも及ぶので「日本国民の法の下の平等」に反する。帰化者が「入門を許されなかった」として裁判すれば憲法違反で敗訴することだろう。
もし青森県出身の在日韓国人三世が国籍を理由に入門を断られたとしたらどうだろう。青森の人は「韓国系だから」ということでこの人を応援しないだろうか。また、日本で育ったのに「問題を起しやすい」とされたらどうだろうか。この人が帰化しても、やはり差別されるべきか。外国籍や帰化者に対する制限はこのような政治的な問題を含んでいる。
いずれにせよ問題なのは人数制限をしたとしても日本人が外国人に勝てないということだ。
次に「日本国籍でないと利権構造には食い込めない」ことになっている。こちらは帰化するという手はあるが、日本人の奥さんを貰って日本文化に忠誠を尽くす必要がある。「日本に骨を埋める」覚悟がないと利益共同体に加われないのだ。
日本人は文化的には意外に鷹揚で、外来の神様でもこだわりなく拝んでしまう。ところがいったん利権が絡むとなると話は全く別になる。出入り自由な外国人は嫌われるのだ。朝青龍のようにモンゴルに帰る前提がある人は利害関係者には加えてもらえない。
ただしこちらもいろいろあるようだ。相撲は本場所の他に地方や海外の巡業を行っている。もともとは勧進元主催だったが、「改革」と称して自主興行に変更された。しかし、興行は縮小を続けたので、もとの勧進元主催に戻したそうである。
朝青龍もモンゴル巡業を企画し誘致に成功した。相撲協会としても、政府関係者の調整など現地人の手引きがあったほうがやりやすかったのだろう。
現在の相撲人気は高齢者に支えられているのだと思う。時代劇のようなものだ。そう遠くない将来、日本での相撲人気が下火になったときに、モンゴル人部屋の解禁や外国人の積極的な誘致が行われるかもしれない。利権構造は人権意識ではなく、経済原理で決まるのだろう。