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感情的で演劇的な、自民党憲法案への評価

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参議院選挙で自民党の大勝が予想されている。次の争点は憲法なのだそうだ。そこで自民党の憲法案について考えなければならないのだが、そもそも考慮に値するものなのかという点に疑問が残る。これが保守を保守の総括と呼ぶのなら、戦後保守の歴史は退廃の歴史だったということになってしまう。
自民党の新憲法案の主導者たちによると、日本国民は天賦人権という西洋の思想に毒され、甘やかされているのだそうだ。確かにこの主張は傾聴に値する。最近の日本人は、伝統的な美徳である大和魂を持たないわがままな輩が多い。中には、中国や朝鮮にすり寄った売国的な思想に染まる者すらいる。偉大な民族の存続にとっては有害なことだろう。
一方で疑問もある。国民が主権者としてふさわしくないのであれば、国民に選ばれた国会議員の権威は何によってもたらされるのだろうか。
確かに、与党自民党は日本を敗戦から立ち直らせた功労者と言える。しかし、ここ20年以上は他の先進国の後塵を拝している。これは勤勉な日本人が堕落したからなのだろうか。恐らくそうではあるまい。本来ならば、偉大な民族を牽引すべき政治の指導力が落ちているせいなのではないだろうか。偉大な民族は偉大な指導者がふさわしい。
いずれにせよ、国民が主権者であることに疑いの目を向けるのであれば、その国民によって与えられた権威も返上されなければならない。幸いなことに我々には、世界に例のない血脈を持った指導者の家系を頂いている。
自民党の憲法改正案は権威の源泉をどこにおくかという統治の原則に関する視点を欠いている。国家観がないのだ。国民の主権には制限を設けようとする一方で、本来の権威者に対しての敬意もない。「元首と呼ぶのは恐れ多い」と尤もらしい理由をつけて、その権威を無視しようとすらしている。そこに権力の空白が生まれ、今の政府を運営している者たちがその椅子に居座ることができるという姑息な計算があるのだろう。結果的に国体をないがしろにしているのだ。
確かに彼らは戦後日本を牽引してきた功労者かもしれないが、たまたまアメリカの権威のもとに政権を取った政党に過ぎない。政治家としての家系を誇るものもいるが、もとを辿れば、戦前の官僚や石炭屋の子孫に過ぎない。東西冷戦期には彼らの存在にも意味はあったのだろうが、それも過去の話となった。そして今、国の権威という根本的な問題を曖昧にすることで、権力者の地位を僭称しようとしているのだ。
これは保守の退廃を意味するのだろうか。恐らくそうではあるまい。保守は確固たる国家観を持ち、権威にこびへつらう事を良しとしない。確固たる意志を持たなければ、先祖たちが連綿と築き上げてきた国と民族の歴史を守ることができないからだ。
まことに残念なことだが、政治家たちは既得権益に浸りきり、本来の日本人としての美しいこころを忘れてしまったのだろう。

書き終えて

左派が「立憲主義が……」というと、ネット右翼がおもしろがってそれに反対するという構図ができている。そこで「国家観がない」という評価をしてみた。現在のいわゆる「保守」は、体制と一体化することで自尊心を保とうとしている人たちなので、やや過激な民族主義思想には馴染みにくいものと思われる。そこで「自分たちは孤高の存在なのだ」という自己評価を与えている。
学問的に考えれば、国民主権の存続か天皇主権への回帰かという二択なので、素直に天皇に主権を返納すべきという主張にしたいところなのだが、さすがに「天皇」という名前を直接書くのははばかられた。「GHQの自虐史観」に洗脳されているせいなのかもしれない。
ただ、こうした文章を書いているだけでも「自分は偉大な存在なのだ」とちょっとした陶酔感が感じられるので、ネトウヨと呼ばれる人たちの陶酔感はかなり甘美なものかもしれない。実際に、青年期に反戦デモに参加した人が後に右派に転向するという事例も聞く。
もっとも、左派ナショナリズムとか民族主義左翼というカテゴリーも存在するらしい。自民党の主張は国民主権を制限するが、君主の政治的権利は剥奪したままというものなので、よく考えると社会主義独裁者のそれに近い。経済政策も護送船団方式だし、福祉政策も国民皆保険・年金を推進しているので、社会主義正当に近い。
日本の政治勢力はこの勢力と対応する形で作られているので、なんだか分類が不可能な状態が作られているのかもしれないと思った。