廃棄になったココイチのビーフカツが転売されたとして問題になった。テレビ局はいつものように「企業倫理の向上が求められる」とお決まりの論評だ。しかし、この問題を企業倫理問題に矮小化してもよいのだろうか。
問題視されるべきは流通過程の複雑さだ。一部報道によると卸6社が介在していたそうだ。
そもそも卸は何のために存在するのだろうか。教科書的には、卸は流通経路は合理化すると考えられている。5社のメーカーと5社の小売店が直接やり取りすると線の数は25本になる。しかし、卸が介在すると線の数は10本ですむ。これが品物の数だけ起こるので、卸は流通経路の合理化に役立つのである。
ところが、現実は違っているようだ。狭い日本の国土で80円程度のカツを調達するのにわざわざ6社もの卸を介在させている。もともと33円程度だったカツ(もしくは廃棄物)はこうした複雑な流通経路を経るうちに47円も中抜きされてしまった。中には2ヶ月以上かけて流通したものもあったという。
試しに5社のメーカー、5社の卸、5社の小売がある世界を考えてみると線の数は100になる。流通を合理化するはずの卸が流通を複雑化させてしまうのだ。これは日本経済の生産性を低下させる。
なぜこんなことが起こるのかを教えて人はいない。「日本の流通とはそんなものなのだ」とされるだけである。単に右から左へと品物を流しているだけの卸は生産性を向上させるのになんら役に立っていない。IT投資の遅れも不効率な流通が温存される原因のひとつだろう。小売は誰が何を作っているのかを小売が把握できないのだ。
流通経路の複雑さを考えると、インボイスが導入できない理由もわかる。中間業者は事務作業を効率化させることができないのだろう。卸の中には現金取引で伝票を残していない会社すらあったそうだ、事務作業の効率化どころか税金の補足すらできない仕組みになっている。そもそも税逃れのために伝票を残していない可能性すらある。つまり流通は地下経済化しているのである。これではまじめに消費税を払っている業者は払い損だ。
流通経路が複雑になる理由を合理的に説明してくれる人は誰もいない。メーカー本社は値崩れを防ぎたい。しかし、各部門は当期の売り上げを確保する必要がある。そこで出元がばれないように安値で商品を「処分」する必要に迫られるのではないかと思う。表向きは一定の価格で売ったことにして、安値で処分しているのかもしれない。
しかし、これは消費者便益を損なう。割高な食品を買わされることになるだけでなく、時には特売品としてゴミを食べさせられる可能性すらあるのだ。国は流通のIT化を促進して小さすぎる卸の淘汰を図るべきではないだろうか。