野党が総崩れする中で、憲法改正が現実味を帯びてきた。本来は憲法第九条を変えたいらしいのだが、それでは国民の支持が得られないと考えたようだ。代わりに出てきたのが「地震などの非常時に国会の承認を得ずに内閣が法律を制定できるようにする」という条項だ。この条項であれば「国民の理解が得やすい」と考えているようである。
第一にこの提案は筋が悪い。非常時大権はヒトラーが「合法的に」民主主義を骨抜きにするために使われたという記憶から「民主主義の敵」と見なされている。反対派は安倍政権をヒトラーになぞらえることが多いので、これは憲法改正反対派の勢いに油を注ぐ結果になるだろう。
第二にこれは危険な提案だ。人はパニックになると理性を失う。理性を失うのは国民ばかりではない。政治家も人の子なのだ。むしろ大きな責任に直面するという意味では政治家のパニックの方が危険だろう。
実際に東日本大震災の時に何が起こったのかを思い出してみよう。それは統治経験もなく(おそらく統治の覚悟もなかった)市民運動家が権力を握ってしまった為に起きた悲劇だ。
地震の直前民主党では菅下しが起きていた。党内で孤立していたと考えてよい。福島で事故が起こると、理系出身で「原子力に詳しい」と自任していた首相は、福島第一原子力発電所に乗り込んだ。それでも飽き足らず今度は東京電力に出かけていって本店の職員たちを恫喝した。この件が現場の作業にどのような影響を与えたのかは分からないが、少なくとも彼らを萎縮させたのは間違いがないだろう。
萎縮した現場は情報の隠蔽を図る。彼らはSPEEDIの情報を開示しなかった。後に首相が「知らされなかった」と釈明したように、現場から情報が上がってこなくなったのだろう。そこで首相は東京電力、原子力安全・保安院、原子力委員会などへの不信を募らせて、専門家を次々と招集した。この結果、組織が乱立して原子力行政が混乱した。
首相は具体策がないままで「原子力は悪だ」と決めつけて、法的な裏付けなく浜岡原発の停止を求め、多くの国民を困惑させた。そんな中、東京電力も自己防衛に走り、計画停電を実施した。「原子力がなくなると、不便が続きますよ」という恫喝の意志があったのではないだろうか。東電はこのまま反原発の空気が広がるのを怖れたのだろう。理性的に考えるとこれはよいアイディアではなかった。国民の間に「電力の地域独占がまずいのではないか」という空気が広がり、東電は既得権を失ってしまったからだ。
現場が混乱し、不安が広がっても、民主党政権は国民に正確な情報を提供しなかった。米軍が家族を退避させるなか、枝野幸男官房長官は「直ちに人体への影響はない」と繰り返した。「直ちに」がどの程度なのか誰も分からなかった。現場からの情報も上がってこなかったという側面はあったかもしれないが、それよりも「後で責任を追求されたくない」という気持ちが強かったのではないだろうか。結局、枝野さんいは権力を預かる覚悟がなかったのだろう。
枝野官房長官の言葉は、結果的には「民主党は信頼できない」という印象につながった。その印象は今でも払拭できていない。「民主党には統治能力がなく」「情報も隠蔽する」という印象だけが残った。
こんな中で内閣が「緊急事態」を宣言したらどうなっていただろうか。そもそも菅直人政権は民主党からも見限られていた。だから首相は体制維持のために国会の議論をすべて(つまり与党も野党もなく)無視するはずである。首相は側近への依存を強めるが、現場はそれぞれが自己保身に走り情報を上げなくなる。統治不能になった政府はさらに自己保身を強めて国民に情報を渡さなくなるだろう。非常時大権がある中で不安定さが増せば今度は何をしただろうか。NHKや新聞社の報道統制くらいは考えたのではないだろうか。
自民党政権は「自分たちが政権を握るのだから、こんなことは起こるはずはない」と考えているのだろう。しかし、国民がいつも自民党政権を支持するとは限らない。そもそも緊急事態なのだから何が起こるか分からない。地震は1,000年に一度なのかもしれないが、不意に核ミサイルくらいは飛んでくるかもしれない。
前回の議論で見たように、自民党の憲法案は政治権力が誰に由来し、誰が最終責任を取るのかをぼかしている。独裁の覚悟があるなら「自民党が国民を指導する」くらいのことを書いてもよいはずだし、天皇主権にするなら「天皇を元首として拒否権を持たせる」くらいのことをすべきだ。その一方で、国民が「天賦人権を持っているのはおかしい」などと言っている。議論に疲れている様子だけは伝わってくるが、かといって独裁の覚悟もない。こういう国家観は却って危険である。権力を握る覚悟のない「市民の味方」の方が独裁者に近いかもしれないのだ。
非常事大権というと、ヒトラーのように破壊衝動を持っている人が国をめちゃくちゃにするという印象が強い。しかし、東日本大震災で起きたことから類推すると、アマチュア政治家の権力への過信と現場の自己保身が国をめちゃくちゃにする公算の方が強いのかもしれない。
最悪の事態に対する想像が働かないのは、政治を巡る議論が「自民」対「反自民」の戦いになっているからだろう。一度、現在ある対立から目を離して考え直した方がいい。政治に対する議論を読む時に「こいつはどちらの味方なのだろうか」などと考えるのは危険だ。