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メディアは「木原事件」の告発会見をどう伝えたか、または伝えなかったのか?

メディアが報道する事件としない事件がある。ビッグモーター事件のようにテレビが伝えることで「犬笛化」することがあるが、この事件は別の経緯をたどりつつある。隠せば隠すほど大ごとになってゆくのだ。

【Live配信中】「木原事件」を巡り実名告発 警視庁捜査一課殺人捜査第一係 元警部補・佐藤誠氏 記者会見

記者会見そのものは元刑事というプロの意見ではあるものの「ただし個人の感想です」という感じだった。唯一説得力があったのは「なぜ遺族に結果を報告しなかったのか?」という点だけだ。この点について警察は今も説明をしていない。

むしろ、その後のメディアの対応が気になった。そもそも扱っていないところが多いが、伝えているところも主語が木原氏側になったりしている。日本でもメディアの分局化が起きていることがわかる。だから「伝えない」ことに意味が生じてしまう。

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事件のあらまし

まず事件のあらましから確認する。ある既婚男性が殺された。現場はかなり凄惨だったが自殺として処理された。これが掘り出され「コールドケース」として再捜査が始まる。ところが妻が政府要人と再婚していた。それが木原官房副長官である。木原氏は強い態度で警察の捜査に対応した。

その後「国会が始まると子供の面倒を見る人がいなくなる」という理由で取り調べが延期された。再開されるかと思われたのだがそのまま捜査は縮小してしまう。現場への説明はなかった。さらに遺族にも結論は告げられなかった。

事件が急展開したのはマスコミがこの問題を再度伝え始めたからだ。遺族への説明はないまま国民に向けて「自殺で間違いがない」と報じられた。

週刊誌は「木原事件」と言っているが実際にはこれは「木原事件」ではない。

既存メディアは官邸を主語にして擁護

では主要メディアはこれをどう扱ったのか。主語は遺族でも国民でもなく官邸側になっている。記者クラブの視線と言っても良い。この中でついでに記者会見が紹介されていると言った構成になっている。

もちろんニュートラルに伝えているところもある。TBSがその一例だ。YouTubeで見ることができる。ニュースでもきちんと扱われたようだ。

週刊誌ではこれが逆転する。こちらも遺族目線に立っているとは言い難いのだが「どうせ政治家はなにかやっているだろうし警察にもいろいろつながりがあるだろう」という国民から政治家に向けた視線になっている。

日本のメディアにに視線の分極化が起こり始めていることがわかる。既存メディアは記者クラブからの情報を伝達する。一方でその外側にはこれを信じない人たちが一定数いる。文春の記者会見の様子をリアルタイムで視聴している人の数は約10万人だった。現在の視聴回数は61万回である。メディアが隠せば隠すほどこの数が増えてゆく。

さらに今回興味深かったのは普段は官邸報道から除外されているフリーの記者たちが多く記者会見に参加したという点であろう。記者クラブの外に「コミュニティ」ができていることがわかる。これも記者クラブ報道がフリー記者たちを排除し続けた結果だ。

「なぜ警察は幕引きを図ったのか?」に対する説明を求める佐藤誠氏

告発した元警視庁捜査1課取調官の佐藤誠氏は実名とされているが会見での顔出しはなかった。新聞社が地方公務員法に違反する可能性があるが?と聞いていたが「頭に来てここまで来ちゃったのでそんなことは考えないですよね」と言っている。合理性ではなく心情に沿って行動しているという説明だ。これは「本人談」である。本当のところはもちろんわからない。

ただし元プロなので記者たちに対する説明は理路整然としている。

佐藤氏が記者会見を開いたのは露木康浩警察庁長官が7月13日に「事件性はない」と言い切ってしまったからなのだそうだ。佐藤さんの主張によると事件が集結するためには遺族の気持ちが重要だという。つまり「終わり」の説明が重要だという。

終わりの説明としては、殺人事件として捜査されることが決まった、残念ながら自殺と決まった、よくわからなかったという3種類の答えが考えられる。

だがこの事件の場合は事件捜査が縮小したために遺族に結果が伝えられていない。にもかかわらず警察庁長官が「事件性はない」とマスコミに発表しまったために義憤に駆られたと佐藤さんは言っている。

今回出てきた人の名前はX子さん(木原氏の妻なので実際は特定されてしまっている)X子さんと親密だったが当時は宮崎に収監されていたY氏、さらに佐藤さんが「刑事のカンで怪しいと思っているZ氏」である。被害者の夫は安田種雄さんという実名で出てきている。

元刑事である佐藤さんは事件の「みたて(推理)」は語っていたが結論は出していない。むしろフリーの記者たちの方が「物象や確証」を欲しがっていた。

さらに佐藤氏は木原氏の役職などについてはあまり興味がないようだ。二階俊博氏の名前が出てくるが、木原さんが岸田総理の側近であるという認識はなかったようである。このため、一部やりとりがチグハグになるところがある。

報道を抑えれば抑えるほど「伝えないこと」に意味が出てしまう。

文春がYouTubeで流したビデオのライブ閲覧者は10万人程度だった。マスコミが伝えることが「犬笛」としての役割を果たすのと同時に、マスコミが伝えないことも特定の意味を持っていることがわかる。これは極めて歪な報道環境だ。

政権は無党派層の取り込みに熱心だが、おそらく無党派層の中には政治の恩恵から排除されていると考えている人が大勢いるのだろうということがわかる。さらに記者クラブに参加できない「ジャーナリスト」たちも増えている。

現在のメディア環境は免許制の放送局、全国紙、週刊誌、フリーのウェブメディアが乱立する状態になっており、これらが全て並列で国民の目に飛び込んでくる。「頑なに伝えない」ことが一種のニュースバリューになって報道としての価値を生み出しているといえる。TBSがきちんと伝えているのは評価して良いと思う。結局伝えることがニュースバリューを減じることになるからである。

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