当初のシナリオは「子育てに優しい岸田政権」というイメージの定着だったのだろう。だが、その思惑は外れ通常国会の焦点はなぜか安倍政権時代の総括になっている。安倍政権時代の総括を岸田総理がさせられるというのはなんとも理不尽である。そんな中、各媒体が石破茂氏の大演説について触れている。「何が語られたのか」というより「どう伝えられたのか」が気になり調べてみた。各社とも随分戸惑っているようだ。
なぜ戸惑っているのかを考えてみた。
各社とも30分の持ち時間のうち25分が自分の主張に当てられたと伝えている。おそらく答弁を引き出すつもりはなく「まとめて答えてくれれば結構だ」という姿勢だった。総理が応答したのは10分弱だったそうだ。従来の路線を踏み越えないことは明白なのだから岸田総理の主張には意味がない。
まず読売新聞と日経新聞だが「石破氏が演説をした」という点だけ伝え、総理大臣の発言は「核共有は認められない」という点だけを拾っている。自民党の重鎮の発言なので無視するわけにもいかない。かと言って岸田総理が苦境だったという書き方をして政権に恨まれたくない。派閥構想に踏み込まないという意味では大人の対応と言えるのかもしれない。
時事通信は弾道ミサイルのことを書いている。また自民党の「あれは演説で場違いだ」との戸惑いの声も併せて伝えている。こちらも随分ニュートラルである。
産経新聞は面白い点を拾っている。石破氏は「専守防衛という言葉が実際に日本にとってベストチョイスだという説明は一度もされていない」と指摘した上で「あれは政治用語だ」と一刀両断したというのだ。つまり戦略上の選択肢ではなく「説明のための意味のない説明だ」ということを言いたいのだろう。
日本のこれまでの防衛政策を真っ向から批判しているというかなり重みのある発言なのだが、産経新聞はそれについて石破氏の見解を問いただしたり専門家の補足情報を載せたりするようなこともしなかった。安倍政権時代に安倍派寄りの姿勢で知られた産経新聞は、自民党関係者の「チャンネルをすぐに変えられてしまう」という冷笑的な発言で締めている。演説の中身に見るべきところがあったとしても安倍派を否定する人格だけは認めたくないという苦悩が滲む。ナイーブな人たちが読むにふさわしいナイーブな扱いになった。
ところが実は朝日新聞も同様な文脈を拾っていた。「自衛官がきちんと国会に出てきて状況を説明すべきではないか」との指摘を書いている。実はこれも防衛政策を「政治ではなく軍事として扱うべきである」という主張の延長だ。ただ、朝日新聞だけを読むと文脈がわからない。
政権批判や代替案として評価はしたいが自衛隊が表に出ることに対して戸惑いがあるのかもしれない。リベラルな朝日新聞がこれをどう評価したのかはぜひ知りたいところである。ただ政治の翻訳なしに直接現場の声が聞きたいという国民は多いはずである。
このように産経と朝日を読むと「本物の右でも左でもない」発言がどう扱われるのかがよくわかる。頭の中で「自分達の陣営にとって得なのか損なのか」という計算が始まる。このため、議論がまともに扱えなくなってしまうのだ。
全体として石破さんが突然出てきて演説をしたことに対してどう扱っていいのかを戸惑っている印象がある。なぜ戸惑ったのかを考えてみた。
第一に組み立てが従来の議論構造とあまりにも違っている。突然右でも左でもないところから別の論が出てくるとどう扱っていいのかがわからなくなってしまうのだろう。産経新聞も朝日新聞も戸惑ったとは書いていない。読んでいて「おそらく戸惑ったのだろうな」と感じる程度だ。各紙を読み比べてみて「何をどう拾い何を捨てたのか」はなんとなくわかる。
次に本来なら代替案を示すのは野党の仕事のはずである。ところが利益分配型の日本の野党は「いずれは予算をとってみなさんにいい思いをさせてあげますよ」と有権者に約束し続けなければならない。立憲民主党は現在「安倍政権の10年は失われた10年だった」というキャンペーンをやっている。立憲民主党が政権として成立するためには与党の揚げ足を取り続けなければならないのである。与党批判に忙しくなると政策について研究している時間が取れなくなってしまう。そこに石破さんが登場し本来野党が果たすべき役割を果たしてしまった。
最後に、日本の防衛論議が「政治化」していることが明確になってしまった。多くの国民は防衛政策に政治ではなく実効性を求めているのだが「おそらくそれは無理なのだろう」と諦めている。しかし石破さんが正面切って「専守防衛なんて単なる政治用語ですよね」と言ってしまったことで、実は別のアプローチがあるということがわかってしまった。専守防衛に関する発言の真意は本人に聞いてみないとわからないのだが、ここでは「説明のための説明」になっていると解釈したい。
日本の防衛政策は心理的にアメリカに依存している。アメリカで気球の扱いが変わっただけで「日本の防衛政策には大きな穴があったのでは!」と騒ぎ出す人たちがいるほどだ。一方ではアメリカの退潮もわかっていて「このままで大丈夫なのだろうか?」という見捨てられ不安もある。かといって自分達で打撃力を持つというようなことも言い出せない。アメリカに睨まれるのが怖いからだ。
このように心理的に自らを縛り上げている上に「政治ではなく軍事の観点から」議論をした蓄積もない。だから、石破さんの指摘について評価分析できる人もいない。おそらく、石破さんの指摘をまともに分析し始めるとパンドラの箱がいくつあっても足りない程の問題が露呈することは明白である。
しばらく国会論戦のセンターステージから遠ざかっていた石破さんがたった25分演説しただけで、日本の防衛政策・野党の機能不全・マスコミの分析力不足などが露呈してしまった。
これは「大演説だった」「ああ戸惑った」で終わらせる以外にはなかったのだろう。おそらく石破さんの演説の議論を本気になって議論すればいくつかの問題の解決の糸口が見つかるのだろう。だが同時にこれまでの説明の矛盾なども出てくるはずだ。「継続性と無謬性」を全面に押し出す日本の政府はこれを処理できないだろう。