分科会有志が「全数把握をやめるべきだ」と提言したのが8月2日だった。全国知事会が「緊急提言」を出したのが8月23日だ。知事会は「地域の実情にあった」対策を求めていた。この政治的圧力を受け岸田総理は8月24日に「自治体の判断で、患者の届け出の範囲を、高齢者、入院を要する者、重症リスクがあり治療薬投与等が必要な方などに限定することを可能とする」と方針変更した。ただ受け取った側の知事たちの中からは「困惑の声」が広がっている。どうやら誰も責任を取りたくないようなのである。
結局「炎上」を恐れた政府は総理大臣の発表を引っ込めて全国一律で9月に実施する方針に改めたようだ。
ただ今回の件をチャンスと捉える県知事もいる。この対応の違いを見ると問題解決型のリーダーの資質が見えてくる。
まずは「問題解決に向かない」型のリーダーたちについて細かく見てゆく。代表選手は小池東京都知事と吉村大阪府知事だ。
小池東京都知事は「根本の問題は電子カルテと「HER−SYS」が連動していないなどのシステムの問題だ。国はこれからも続くかもしれない感染症に備えるという大きな観点の戦略が必要なのではないか」と意義を申し立てた。問題は全数把握ではなく国の稚拙なシステムにあるとして判断を押し返したのだ。派手なアジェンダを立てるのは得意だが問題解決にはあまり関心がない小池都知事お得意の戦法という気がする。
岸田総理は「知事会がうるさくいうのなら勝手に自治体が判断すればいい」と考えており、小池都知事は「判断を押し付けられても困る、そもそもこれはシステムの問題である」と話をずらした。表面的な言葉遣いこそ穏やかだが責任の押し付け合いをしているようにしか思えない。
吉村府知事も同じような考えのようだ。「全国一律で全数把握の見直しをすると同時におっしゃっているので、その時期と中身を明確にしてもらいたい。その際にはシステム、2類相当の支援策、公費負担についてもどうするか議論を整理した上で見直しを」と押し返した。岸田総理は「都道府県で勝手にやれ」という姿勢だが吉村府知事は「そのうち国が一律で見直しをやると言っている」と解釈したようである。「全部検討した上で決まったことだけ伝えてくれ」という姿勢だ。
誰も自分が決めることで責任を負いたくないのだろう。
おそらく落ち着いて考えれば現実的な落とし所は見えてくるはずだ。国が詳細な報告を求めるのはデータを感染症対策に生かすためである。意思決定をしているのは国なのだから「最低限どんなデータがあれば対策を取れるのか」を決められるのも国である。専門家たちは詳細なデータを欲しがるのだろうが、最終的にどのようなデータがあれば意思決定ができるのかを知っているのは「司令塔」になる人物だけだ。だから政府の責任者が必要なデータを決めればいい。
単にそれだけの簡単な話である。つまり誰もそれをやりたくないのだ。結局「丸投げ」という言葉だけが先行したため、総理大臣の決断を引っ込めて9月に全国一律で実行するという方針に変わった。形としては「総理大臣が決断した」という体裁は保ちたいという思惑が透けて見えるのだが、これが返って白々しい感じを生んでいる。「あの会見はなんだったのか?」ということになってしまうからである。
少なくとも小池都知事や吉村府知事はその司令塔が「国だ」と考えているのだろうし、おそらく多くの国民は「総理大臣が担うべきだ」と考えるだろう。ところが岸田総理にはその自覚と意思がない。感染症対策を行うのは都道府県であり自分はサポートする立場なのだから「どんな集計をするのか」は与り知らないという立場である。さらにこの「無責任さ」がどう国民に捉えられるのかという点についても想像力は働かなかった。
しかし、総理大臣だけを責めるのもかわいそうなのかもしれない。コロナ行政ではもう一人司令塔になり得る立場の人がいる。それが厚生労働大臣である。だが官房長官も務めた加藤厚生労働大臣は「手堅くまとめることができればいい」と考える官僚気質が抜けない。自ら意思決定して政治家として成果をあげようという意欲はなさそうである。ただスタンドプレーを行う河野太郎大臣のような人にも任せられない。官邸でコントロールできなくなってしまう可能性が高いからだ。加藤さんはとにかく手堅くまとめたい。専門家の話を「落ち着いて聞く」と言い、おっとりと「スピード感を持って取り組みますから」などと答弁している。「ああこの人は何も決断しないだろうな」ということがよくわかる。
河野太郎大臣は問題解決型のように見えるが、実際にやっていることを見ると「システムの破壊者」という側面の方が大きい。
こうした姿勢は随所に見ることができる。新型コロナ関連の議論を聞いていると「欧米並み」という言葉が飛び交っている。自分たちで決めることができないので「欧米は何をやっているのか」を参考にして得点をあげたがる。言い方は悪いのだが「テストで友達のノートを見せてもらい高得点を狙うできの悪い学生」に似ている。
ただし、日本のすべてのリーダーが「友達からノートを借りる」系でないことも確かである。もともと医療福祉に関心が高い黒岩神奈川県知事はむしろ意欲を燃やしており「検討を進める」考えのようだ。ただしどの程度の権限が降りてくるかは厚生労働省の通知待ちなのだという。
医療福祉で成果をアピールしたい黒岩県知事にとってはむしろ「自分のスタッフの力量をアピールするチャンスである」と考えているのだろう。足元にも反対する声はあるようだが、黒岩県知事は「国も感染者の全数把握を見直すと言っている。新型コロナとそれ以外を区別するのではなく、コロナも一般医療の中で診ていくためのステップの一環だ」と意欲を見せている。
この違いはどこにあるのかと考えたのだが「総理大臣や都知事・府知事になりたい人」と「何かをやりたいから県知事になった人」の違いのように思える。問題に対処するためには明らかに後者の方が向いている。今回の押し付け合いの構造を見ているとそのことがよくわかる。
同じようなことは他の都道府県でも起きている。山陰二県では対応が大きく分かれた。島根県は現状維持だが鳥取県では全数把握見直しに向けて具体的に動き始めた。医療機関を受信できない人のために保健所がコールセンターを作るそうだ。自治体から働きかけることをやめ「必要な人」にコンタクトしてもらうという対応になっている。
また三重県も全数報告の緩和に向けて具体的な検討を始めた。三重県には国立病院機構三重病院長の谷口清州さんという取りまとめをする人がいる。すでに定点観測システムをテストしはじめているため全数把握からサンプリングへの移行が進目やすいのだろう。つまり、県知事が専門家である必要はなく定見のあるキーマンを探してくることができればいいのだということがわかる。
つまり問題解決型のリーダーには「自身がチームリーダーになりたい人」と「適材適所の人材を見つけてくることができる人」のふた通りがいることになる。日本の政府は議院内閣制を取っている上に、自民党・岸田政権は危うい派閥間のバランスによってようやく成り立っている形のため、派閥均衡型のリーダーが生まれやすい。新型コロナにかかわらず様々な問題で日本の意思決定が起こるのはこのリーダーの決定方式の違いが大きいのかもしれない。ただし、直接選挙を実施したからといって必ずしも自動的に問題解決型のリーダーが生まれるとは限らない。神奈川県・三重県・鳥取県などはむしろ例外的といえる。結局はシステムの問題というよりは個人のマインドセットの問題なのかもしれない。