ざっくり解説 時々深掘り

内閣改造で読売新聞が岸田政権に恨み節

第二次岸田政権改造内閣の全容が明らかになった。夜のテレビでは大臣内定の速報が流れている。どっちみち数時間でわかることなのでまとめて報じてほしいものだが「他社よりも1分でも早く」という気持ちが働くのだろう。

おそらく今日1日は「この人選がどのような意図を持っているのか」ということがワイドショーで語られることになる。この解説を通じて政治記者や評論家たちは自分がどんな情報ソースを持っているのかを顕示し合うのである。そんな中で実にどうでもいいことなのだが、なぜか読売新聞の小さな記事が気になった。どうも出遅れているのだ。

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読売新聞といえば政府と特別な関係がある。政府が何か確かめたいことがあった時読売新聞にそっと情報を流す。読売新聞はこれを【独自】と流すことで他の媒体に一歩先んじることができていた。ニュースウォッチャーのプチ鹿島さんは「読売新聞は【独自】で政権に食い込んでいることをアピールしている」という記事を一本書いている。

ところが岸田政権の内閣改造に関してはこれが成り立たなかった。岸田総理が急に内閣改造をやると言い出した。読売新聞は慌てて裏どりに走るのだが大した人事情報は得られなかったようだ。当日の読売新聞の日付と時刻を見ると22:31になっている。掲載できたのは参議院選挙に出ずに退任が決まっていた二大臣についての記述だけだった。

ただこの時には「なんとなくこんなことが起きているんだろうな」というだけの話だった。根拠はウェブサイトの記事の時刻しかないからである。

ただ、今回別の記事が出ておりなぜ読売新聞があれだけ慌てたのかということがわかった。どうやら事前の約束と違っていたようなのだ。岸田政権は安倍派とスケジュールについて握っており政治記者たちはここから情報を得ていたようだ。ところが、岸田総理はこれを一方的に反故にし「そんな約束をした覚えはない」と言って見せた。

ただ「事前に握っていた」などとは書けない。読売新聞の記事は体裁としては「霞が関も永田町も急な人事に戸惑っている」というニュース風の記述から始まる。議員の地元周りや職員の夏休みに影響が出たという。さらにお盆シーズンといえば戦没者を悼み静かに過ごすべきだという中堅議員の「良識」が語られる。

だがおそらく書きたかったことは次の点だろう。最後の段落になっている。ソースは安倍派の閣僚である。

  • 銃撃事件で死去した安倍元首相は生前閣僚がお盆の時期に地元に入る「お国入り」が可能になるよう配慮を求めていた。
  • 岸田総理も人事は9月にやると安倍派側に伝えていた。
  • にも関わらず、首相は6日の記者会見で「新しい体制を早くスタートさせたいと常々思っていた」と述べ、安倍氏と約束したことはないと一方的に否定した。

つまり今回の内閣改造は安倍派から見れば「隙をついた抜け駆け」である。と同時にこれまで特権的に情報を得てきた読売新聞にも不義理を働いたことになる。これまで特権を得ていた新聞社には岸田派にパイプがなく「普通の新聞」扱いをされたわけだ。

本来、政治は政策ベースであるべきだが日本ではどうしても狭い村の人間関係が優先される。さらに新聞と政権の間にも適切な距離があるべきだが実際には優遇される新聞がありそれが経営上も良い影響を与えている。朝日新聞の凋落を見ると読売新聞の優遇が読者に理解されていたことは明らかである。

今回読売新聞は明らかに「他の新聞と同じ」扱いを受けており不満を抱えても当然といった状況になっている。実際にスクープを連発しているのは週刊文春なのだから「政権の情報が読める」という特権をなくしてしまえば他の新聞と同じように経営的に凋落することにもなりかねない。

と同時に安倍派の中にも「優遇されなかったこと」に対する恨みを持つ人が出てくるだろう。岸田総理とのコミュニケーションが円滑だった萩生田氏が政調会長に抜擢され後継者レースでは「頭一つ」抜けたと言われる。萩生田氏は表向きは「経産大臣がやりたかったなあ」などと言っているがおそらく内心では喜びが爆発していてもおかしくない。そしてこの内心の喜びは同僚たちに見透かされるはずだ。

萩生田さんは今回の人事で党の政策系の人事を握ったということなのだが、同時に派閥内部から羨望の対象になってしまった。党の政策をまとめる立場の人としては極めて難しいスタートになる。

今回、岸田総理は読売新聞に明らかに「配慮を欠いた」扱いをしてしまったのではないかと思う。お盆に政治は動かないだろうと考えていた読売新聞の政治記者たちも慌てたのかもしれない。ただ新聞も「なぜ事前情報とは違う動きに出たのだ」とはいえないため、安倍派の閣僚や夏休みが台無しになった官僚たちに自分たちの思いを代弁してもらった。

岸田総理にはあまりこうした事情を気にする余裕もなさそうだ。旧宏池会系は政策には強いが政局には弱いとされる。こうした義理人情を大切にする村落型政治に慣れていないのかもしれない。だが、おそらく日本の政治はかなり日頃の貸し借りで動いている。安倍派・菅派の剛腕の正体はおそらく「贔屓」と「排除」の使い分けなのだろうが、萩生田さんがそれを継承しているのかということは今の所わからない。

政策には全く関係がないのでどうでもいいといえばどうでもいい話なのだが、今回の一件が今後の政治にどう影響するのかを個人的には注目している。おそらく村落型の政治では内部の人間関係が政策やイデオロギーによりもずっと大切にされるはずだ。

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