自民党の神道政治連盟が「同性愛は依存症」などという偏見が入った冊子を配ったというニュースがあった。共同通信、東京新聞、TBS(YouTube)などが報道している。欧米では大騒ぎになりそうな内容なのだが日本ではそれほど大きな問題になりそうにない。なぜなのかを考えてみた。おそらく日本人はイデオロギーやアイデンティティの問題を政治とは切り離して考えているのだろうと思う。多くの日本人にとって「政治」とはイデオロギーやアイデンティティとは別の何かなのである。その結果として少子化が進み社会が縮小している。
冊子には同性愛は後天的な病気であり治療が可能であるという内容が書かれている。書いたのはある大学教授とされているのだが報道には教授の名前は出てこない。ただし書いた人の名前はわかっているようでLGBTの団体の代表が書いた文章には名前とバックグラウンドが出ている。
特徴的なのは「これも多様な意見であり尊重されるべきだ」というエクスキューズが入っている点である。これはヘイトスピーチを振りまく時によく使われる常套句のようなものだ。つまり自分たちも他のみんなと同じように自分たちの考えを述べてもいいと言っている。
こうした偏見に満ちた文章が流布される理由について触れている報道は多くない。神道政治同盟は神道の復権を目指した団体だ。自民党を支援し議員連盟も持っている。おそらく団体の目的は彼らが持っている価値観を政治に反映させることなのだろうが、その影響力がどこまでのものなのかは実はよくわからない。
国家神道が国から優遇されていた時代は戦争という国家事業の推進に都合の悪い様々な多様性が否定されていた。彼らには男性が戸主になったイエさえ復権すれば少子化の問題もたちどころに解消するだろうという楽観的な見込みがあるのかもしれない。国家が与える幸せこそが国民の幸せだという専制主義的な考え方がアメリカの支援によって作られた民主主義を推進するための政党の中に奇妙に息づいている。
神道政治連盟は「国民は国家が支持する生き方にそうことが幸せであるはずだ」というイデオロギー型の政治連盟だ。これが「国家は国民の自由な幸福追求を支援する」というイデオロギーをもった政党に中に共存している。日本人が実はあまりイデオロギーを重視していないことがわかる。
TBSは性的マイノリティの団体の「この2022年に、まだこんな言説があるんだと非常に驚いた」という主張を紹介している。つまり「時代に沿った形になっていない」という点が強調されておりイデオロギーとアイデンティティの問題は巧みに避けられている。
これが日本型の政治の特徴だ。
アメリカの報道であれば、即座にイデオロギーの対立として問題になったであろうが日本ではそうはならない。
近年イデオロギーの細分化が進んでいるアメリカではLGBTという属性を持つ人がそれを自身のアイデンティティと考えるようになってきている。つまり、イデオロギーとアイデンティティの問題として「政治的闘争」が起きる。前回お伝えした「内戦化するアメリカ」は民主主義というイデオロギーが共有されなくなり代わりに細かな属性(アイデンティティ)に社会が細分化されるという現象について書いている。大きなイデオロギーが失われ個人の領域で取り上げられるようになるとこうした細分化が起き社会の分断が進むのだ。
仮に多くの日本人が神道政治連盟の主張を真剣に受け止めたなら、多様性を推進しているリベラル系の人たちはこぞって野党に票を入れるはずである。多くのリベラル系の野党は政策集の中に多様性の推進という項目を入れている。ところが、このような報道がなされても日本人の投票行動が変化することはない。これはそもそもイデオロギーやアイデンティティの問題をそれほど重要視していないからである。
では当事者たちはどうか。彼らも実はイデオロギーやアイデンティティの問題を政治とは切り離して考えている。TBSのニュースの中に出てきた一般社団法人fair代表理事の松岡宗嗣さんがこの問題について書いている。
松本さんは
このまま性や家族のあり方について、差別や不平等を温存し続ける社会で良いのか。日本社会に生きる市民一人ひとりの行動によって、変えていってほしいと思う。
「同性愛は依存症」「LGBTの自殺は本人のせい」自民党議連で配布
と書いている。
つまり「社会から神道政治連盟のような主張が消える社会」が来ることを望んで入るが、そのために自分たちの主張を政治的に広めようとまでは思っていない。同性愛者であるというアイデンティティはそもそも自分たちのプライベートな問題であり「政治」という公の場で主張すべき問題だとはみなされていないのである。
彼らのみならず多くの日本人はもともと分断されたアイデンティティ社会を生きている。我々が社会に出るときは「それにふさわしいペルソナ」をかぶってお芝居をしている。おそらく同性愛者と言ってもそれぞれのアイデンティティには細かな差異がある。そしておそらくこの細分化と分断の問題は同性愛者だけでなく多くの日本人が同じ問題を抱えているのではないかと思う。
アメリカのような文脈であれば「同性愛団体は自分たちの主張を明確にし政治に主体的にか関わるべきであろう」と結びたいところだ。そもそも当事者の松岡さんでさえ「なぜ政治に直接要求を伝えないのか」という理由はよくわからないのかもしれない。そもそも政治に要求を伝えるという選択肢がないのである。
このため今回の「事件」は時代錯誤であるとはみなされるものの政治的な対立や運動には発展しないのだ。日本人は自分たちの暮らしの問題を政治問題とは考えていない。それはプライベートな問題であり政治とはまた別の文脈で処理されてしまう。
ただ日本人全体が社会に要求を伝えなくなったことで時代錯誤的な主張は「多様な意見」として温存される。また社会に合わせるのが難しいということになれば結婚したり子育てをしたりすることを諦めるようになる。そもそも要求を伝えるという選択肢を持たないため「抗っても仕方ない」と多くの人が考えてしまうからである。このためアイデンティティ分断の影響は同性愛者への偏見という形ではなく少子化の進行という形で社会を縮小させるのである。