クーリエが面白い記事を発信している。Webでは一部しか読めないのだがメールで「これはオススメ」という記事を紹介しているのだ。内容はアメリカが21世紀版の内戦に向かっているというショッキングなものだ。もちろん「実際に明日内戦が起きる」という内容ではないのだがロジックとウォルター教授が持っている危機感が興味深い。
バーバラ・ウォルター氏はUCサンディエゴの政治学の教授だ。専門は世界各国の内戦の分析である。近年AIが発展したことで様々な要素を機械的に分析しパターンを見つけることができるようになっているのだそうだ。このレポートの面白い点はこのフレームワークをアメリカ合衆国に当てはめたという点である。自分の専門分野を身近なところに当てはめ興味を持ってもらおうという狙いがあるのかもしれない。
ウォルター教授が言う「内戦リスク要因」は二つあるのだが内容は極めてシンプルだ。
- 世界各国を独裁から民主主義というスケールで評価しアノクラシー指数を作る。独裁国家は力で抑えられているために内戦の危険が少ない。民主主義国家でも内戦が起きない。危険なのはその中間である。アメリカは民主主義の力が衰えてきておりリスクが増している。
- こうした部分的民主主義の国ではイデオロギーではなくアイデンティティによって政治集団が作られるようになる。この度合いが大きいほど危険度が増す。ウォルター教授は旧ユーゴスラビアの例を挙げている。人種と宗教が複雑に絡み合い情勢が不安定化したと言う事例だ。
こうした国々では不安を抱えた人たちの政治集団化が図られる。それだけでは終わらず訓練された武装集団が作られる。さらに軍人や法執行機関からメンバーが集まる。こうした人々は散発的に問題を引き起こすことになるが「点」であると考えられるために大きな問題だとは受け止められない。
アメリカでは銃犯罪が多発しているのだが銃規制は進んでいない。アメリカ人の多くが武装の必要性を感じているからだ。共和党支持者は武装の必要性を感じ取っているが民主党支持者たちはこれを過剰防衛だと感じている。つまりウォルター教授の主張はおそらくは「民主党的」と言えるだろう。こうした過剰防衛に危機感を募らせている。
もちろんウォルター氏は何も「アメリカが明日内戦化する」とは考えていない。そのようなリスクファクターのある国の内戦リスクは年間4%程度に過ぎないのだそうだ。ウォルター氏は「リスクが見えた時点で民主主義を強化すれば」内戦は未然に防ぐことができると主張しており、文章の最後に共和党議員に「態度を改めるように」を呼びかけている。
ですから楽観的な見方をすれば、警告のサインが見えた時点で、民主主義を強化し、共和党が態度を改めれば、内戦のリスクはなくなるわけです。
バーバラ・ウォルターが警告「アメリカは21世紀版の内戦に向かっている」
では実際のアメリカはどういう状態になりつつあるのか。このところ立て続けに最高裁判所からバイデン政権の政策に反対するような決定が出ている。
- 連邦が一律に中絶を合法化してはならない。判断は州レベルで行うべきだ。
- 連邦が一律に銃規制をしてはならない。判断は州レベルで行うべきだ。
- 連邦が一律に温暖化対策をしてはいけない。判断は州レベルで行うべきだ。
アメリカを統一していた自由主義・民主主義というイデオロギーが崩れており、州の住民がそれぞれ独自の判断をすべきだと言っている。州が政治共同体としてまとまれば地方分権ということになるのだが州の中でも意見が分かれるとなればさらに細分化が進むだろうということが予想される。少なくとも共和党的価値観を持つ判事たちは民主党的な規制には反対の立場だ。
ウォルター教授のいう「内戦」はあくまでも軍事的な内戦なのだが、実際には「それぞれの問題は州で住民が話し合うべきだ」という形で政治の細分化が進んでいる。細分化が進めば進むほどそれぞれの州が独自の裁量権を求めて連邦と対立することになるのだろう。ところが、州レベルで話がまとまると言う保証はない。州が細分化すればやがて「州を割るべきだ」という議論も起きてくるのかもしれない。つまりこうなるとウォルター教授が心配するのとは別の方法で連邦は弱体化してゆくのかもしれない。
民主党が支配している現在の連邦政府は細分化を食い止めるために外に「専制主義」という敵を作り出す必要に迫られる。これは何もアメリカだけの問題ではない。例えばフランスやイギリスもそれぞれの国内事情を抱えており「外の敵」に対する需要は大きい。敵視された中国は「ゆがんだイデオロギーである」と反発を強めているが、内政の事情を考えるとこれはもはや避けられない動きなのかもしれない。
さらにこのイデオロギーやアイデンティティという問題は日本ではわかりにくい。日本でも格差は拡大し「このままの新自由主義的な資本主義でいいのか」との疑問を持つ人は少なくないだろう。
だが不思議なことに日本ではアイデンティティレベルの争いは起きない。総中流思考が強く、イデオロギーやアイデンティティを持った人はどこか偏った人であるという印象がある。アメリカ人が強く持っている分裂への危機感を日本人が共有できないのはおそらくこのためなのだろうが、日本人がなぜ総中流思考を持ちイデオロギーヤアイデンティティにさほど興味を示さないのかという別の問題は残る。