ざっくり解説 時々深掘り

言ったもん負け文化が蝕む日本の大組織

コロナも落ち着いているし岸田政権は少なくとも選挙期間は安泰だろうと思っていたのだが早速問題が起きた。年金通知書が97万人に誤送付されていたというのだ。原因はわかっておらず「業者が間違えたから」という説明がされている。後藤厚生労働大臣の最初の仕事は謝罪になった。

間違った通知書をもらった人たちは次の年金支給に向けて不安が募る。だがマスコミではあまり大騒ぎにはなっていない。年金の支払額に問題はない(と厚生労働省は説明している)上に大多数の年金受給者にとっては他人事だからなのだろう。

Follow on LinkedIn

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

|サイトトップ| |国内政治| |国際| |経済|






日本年金機構は2010年に設立されたが年金未払い問題は解決していない。「最後のお一人まで」はうやむやなままに終わっていた。新しい機構の成立が問題解決に役に立っているとは言えないので解決策も見出せない。時事通信は「省庁再編も」と言っているが、省庁を大きくしたり小さくしたりしても問題が解決しないのは明らかである。

これはみずほ銀行の再編でも証明されている。大きくしても銀行の不効率は改善されず逆に悪化してしまった。だからと言って逆にみずほ銀行をバラバラにしても問題は解決しないだろう。

日本人はこの手の問題を分析できなくなった。組織マネージメントと気持ちの問題をないがしろにしてきたからだ。代わりに日本社会は問題を個人に押し付けることで「わかったような感覚を得る」ことを優先するようになった。つまり日本では「問題の個人化」が起きている。自己責任社会化とも言える。

おそらく問題の根幹にあるのは「やる気の欠如」だ。ではどうしてやる気が削がれるのか。

和歌山市の水管橋崩落問題の原因がわかって来た。どうやら支えになる上部で破断が起きていたようだ。破断の原因はよくわかっていない。鳥の糞が原因ではないかと言われているそうだ。

和歌山市の水管橋の上部の破断は明らかに目視確認できる。つまり、誰もが気がついて良い問題だった。ところが市の職員は「見ていたのは漏水だけで上の方は見ていなかった」と言っている。問題がありそうなところは自分の管轄ではないからと見て見ぬ振りをしてきたのだろう。水管橋の検査をしている人は「水道管」が整備されていればよく橋の支えは自分の担当ではないと感じていたのだろう。

仮に勇気ある作業員が問題を見つけたとする。おそらく見つけた人が「なんとかしなければならない」ことになるからだろう。和歌山市長は東大の土木科を出ており技術には自信満々だ。議会には耐震工事は万全だと説明している。水道管検査の人が問題を指摘すると上司の顔に泥を塗ったことになってしまう。新予算獲得などの調整は極めて面倒だ。だから上司が現場に「俺は知らなかったことにするから現場でなんとかしろ」と押し付けても不思議はない。

見て見ぬ振りのメカニズムはよくわかっている。それが日本に蔓延する「言ったもん負け文化」である。

三菱電機が品質不正問題の報告書を出した。「言ったもん負けの文化」 三菱電機の調査報告書からと日経新聞が記事にしている。従業員が上司に問題を指摘すると「言った人」が対処する係にされる傾向があったそうだ。かといって業務量の調整はしてもらえないので単に仕事が増えるだけになる。三菱電機では品質不正(顧客の要求通りの品質で納品しないこと)が常態化していた。問題は30年間も積み上がっていて個人の力ではどうしようもないほど広がっていた。

三菱電機の社員はだんだんこの状態に慣れてゆく。「誰かがなんとかしてくれるだろう」とか「三菱電機で課長にまでなった人が不正を隠蔽するはずなどない」という気持ちが広がって言った。

この問題を定式化すると次のようになる。品質不正という不利益は組織全体で負担する必要がある。だが三菱電機では「個人の問題」になっていた。こうして組織のメンバーは不利益が自分に降りかかるのを避けていたのである。だがまだ大丈夫だという気持ちがあり「三菱電機というのは立派な組織なのだからこれくらいのことで壊れることはないだろう」と感じるようになる。そうして最終的に社長が交代することになった。

NHKの記事を読むと和歌山市長と漆間啓新社長は同じことを言っている。「不具合は見つからなかった」というのだ。従業員の目から見ると明らかにおかしなことが起こっているのだがトップは「知らなかった」と言っている。不都合の報告さえなければトップは問題を処理しなくてもすむ。

和歌山市では2020年1月にも水道管破裂が起きている。見つかった時は最大三日間の断水を計画していたそうだが「問題は思っていたよりも小さかった」として断水は回避されたそうだ。この時に「一旦メインの経路が破損すると問題は大きい」ということはわかっていたはずだが結果的にネットワーク化は行われていなかった。この時和歌山市長は「断水をしなくて済んだ」「ラッキーだった」と感じたことだろうが、結果的にそれよりも大きな問題を抱えることとなった。

こうした不利益の個人化が日本の社会を蝕んでいる。社会的に転落するのは個人が悪いからであるという自己責任社会になり問題の社会化や抜本的な解決策を提示する人は少ない。

厚生労働省の問題も次に発生し得る大きな問題の端緒なのかもしれない。だが「できれば見なかったことにしたい」という人が多いのではないかと思う。結局厚生労働大臣が謝罪して終わりになった。「結果的にただしく振り込めばいいんでしょう」とも言っているので、おそらく報告書を出させて問題の抜本的解決を先送りするのだろう。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です