連合の会長が女性になった。初めてのことだという。組織内での路線闘争が収まらず「女性を立てておけばいいのではないか」ということになったようだが、表向きは「ガラスの天井を打ち破る良いチャンスに」と言っている。この女性会長が早速「立憲民主党と共産党が共闘することなどあり得ない」と発言しTwitterをざわつかせた。「自分たちの組織もまとめられないのに共闘に口を挟むなどとんでもない」という気がする。
だが、実際に記事を読んでみると「立憲民主党側にも問題はあるのかな」と思えるところがある。芳野友子新会長は「野党共闘を盾に共産党が自分たちの政策をごり押ししてくる」と言っているのである。
この対立の背景はすぐに指摘できる。民主主義とは異なる価値観を持った人たちが一つにまとまるために政策を折り合わせる過程である。
この対立の背景はすぐに指摘できる。民主主義とは異なる価値観を持った人たちが一つにまとまるために政策を折り合わせる過程である。ここまでは簡単なのだが「ではどうすればいいか」がわからない。そもそも当事者である我々日本人が「他人と妥協しよう」という気持ちを一切持たないからである。
連合は連合内部でもめ続けている。そしてその揉め事を立憲民主党に持ち込む。足元が固められない立憲民主党は与党批判を声高に叫び国民から離反される。こうしてムラはどんどんまとまりなく小さな塊に分解してゆく。
ここまでは簡単なのだが「ではどうすればいいか」がわからない。そもそも日本人には他人と妥協しようという気持ちを一切持たない。行き詰れば行き詰まるほど他人を批判して声を大きくする。
芳野さんの発言は二つの意味に取れる。今回の野党共闘は市民運動の政策合意が基礎になっている。もともと左派運動は反米運動が元になっているが主婦を中心に活動しているために難しいことはわからない。そのため「戦争はいけない」「核兵器と原子力発電所は危ない」「安倍政治はずるい」に単純化されている。ここに後から連合が入ってきて自分たちの言い分を入れようとしてもバスはすでに発車している。連合はおそらく「乗り遅れた」と焦っている。
ただ、本当に共産党は自分たちの政策をごり押ししている可能性はある。というより共産党にとってみれば自分たちの価値こそが唯一の正義だでありそれ以外の意見は単なる妥協に見えてしまうのだろう。
このままでは選挙に勝てないことは明らかだ。無党派に運動が浸透することはない。だから共産党との共闘ありきで協力が決まる。ただし協力できないことはあるわけだから「ここではあえて触れないようにしよう」というものが決まっている。一方で具体的に候補者が有権者に何を訴えるかはおそらく各支部で個別に決まってゆくのだろう。この時に中央の取り決めを無視して共産党が自分たちの主張を押しているのかもしれない。
表面的にこれを解決するためには、まず枠組みを決めてマニフェストを決めればいい。この時にポイントになるのは「自分たちの政党では主張しているが連合政権集にはここは入れない」という妥協ポイントも明確にしておくことだ。ないしは代表選をやり「代表者に一任する」という但し書きを入れるべきだろう。
だが野党連合が緻密なマニフェストを作ることはもうないだろう。組織維持と政権奪取が至上命題化してしまっているからだ。するとどういうわけか最終的に「それぞれ小さなムラ」ができ好き勝手に話し合いが始まってしまう。
これをさらに分析するためには「これが野党の問題なのか日本全体の問題なのか」を切り分ければいい。
実際には自民党も同じ問題を抱えている。自民党は甘利幹事長の元で公認調整が進んでいるという。投票日は10月末なのだがいまだに公認が決まっていない選挙区があることになる。自民党も派閥中心のムラになっている。選挙直前になって「これが与党の候補者なので何もわからなくてもとにかくこの人に入れてください」と提示される有権者が出てくることになる。与党も野党も政策実現のための選挙ができない。選挙のために政策を作っているからだ。有権者には政権選択の余地はない。誰か他人の事情によってあらかじめ決められてしまうからだ。
「選挙がわからない」とか「興味が持てない」のは当たり前だ。
だがその原因を探してゆくと結局は「他人と意見を折り合わせて時には妥協する」ということができないというところに行き着く。それどころか「妥協してでも何かを実現しよう」という人もいない。なんとなく「仕方がない」で選挙が流れてゆく。
民主主義の仕組みとしては政党が政策連合を組んで政権選択をしていることになっているのだが事実上はこの仕組みが全く機能していない。その場で様々な寄り合いが持たれていてその場に居合わせた村人が実際の政策を決めている。そしてそこに参加できない人が後からそれを蒸し返して「これは気に入らない」と文句を言う。与党から外された立憲民主党は外から騒ぎ続け、その立憲民主党も支持母体から騒がれる。こうして何も決められないままで我々は次の総選挙を迎えようとしている。