本日はマニフェスト型の政策運営が根付く条件について考える。結論から先に言ってしまうと
- 課題が明確で
- 個人がマネージできる範囲
であればマニフェストが機能するということになる。日本人は職人作業は得意だが集団作業が苦手なのである。
千葉県知事選挙・市長選挙が行われている。まずは政策議論が盛り上がらない現状を見たあとで泡沫候補たちがそれぞれ身勝手な政策を掲げて選挙戦に乱入する様子を見た。泡沫候補たちに取って千葉県の状況は他人事でしかない。他人事に対する日本人の態度はどこまでも冷淡である。中には自分の関心がある教育についてしか述べない人や県札というフラッシュアイディアを訴えている人もいる。関心の範囲が極めて狭い。
だが、この「政策ベースの政治」が千葉市では2009年以来10年以上も機能してきた。しかもそれはある程度総合的なものだった。
前回千葉市長選挙が動いたのは千葉市長の汚職が原因だった。自民党に逆風が吹いていた時期でもありこれが大いに反自民・反土建に動いた。鶴岡市長が汚職で逮捕されて「実は千葉市の財政はめちゃくちゃになっていた」ことがわかってくる。
自民党の市議たちは財政問題を自分ごととして捉えずに自分たちの支持者たちへの利益誘導ばかりに関心があったようだ。千葉市の議員ではなくムラの代表者が集まっているのが千葉市議会だったのだ。
そこに誕生したのがマニフェストベースの市長である。「財政再建が課題である」ことが明確だったのだのでそれを軸に政策が立てられた。
結果的に千葉市のマニフェストは成功した。破綻寸前だった財政は再建され再び大型事業開発ができるところまで来ている。今回、市長時代のマニフェストを見てみたのだがかなり整理されていた。
つまり、日本でも政策・マニフェストベースの政治は実現可能であり問題解決に役立つことがわかる。市民は政策に興味はないわけだから有権者の資質はあまり関係がない。政治家がやる気になればこの程度のことは実行可能なのだ。
ざっと見たところ見所は二つある。マニフェストの項目が継続的に維持されていて、数値目標と付随する活動が付いている。このため市長の活動が何を目的にしているのかというのが追えるようになっている。「その場しのぎ」が芸術の域に達している小池百合子東京都知事の政策がその後放棄されるのに比べると違いは一目瞭然である。
もちろんマニフェストの中には数値で計測できないものもある。方向性を示したものはヴィジョンと呼ばれるようだ。これによって「数値が達成できた・できない」という形式的な議論を避けることができる。
同じ2009年に政権についた民主党はマニフェストを粗末に扱った。その結果マニフェストは破綻し「マニフェストそのものに意味がなかった」とか「どうせ日本人には政策ベースの政治はできない」という印象が生まれた。だが継続的にマニフェストが維持された千葉市に住んでいると、そのような印象にはならない。むしろこれまでの政治風土を刷新するためには政策ベースの政治は大変意味があったと思える。
では、これが継続的に行われるのかというのが次の課題になる。今回熊谷候補は千葉市長時代の実績そのものをアピールポイントにしていて千葉県にも同じような手法を持ち込もうとしているようだ。マニフェストではなくビジョンという言い方になっている。数値目標ではなく方向性を示そうとしているのだろう。
千葉県は都市部の東葛・湾岸地域から財政破綻寸前の銚子などの東部や災害からの復旧もままならない安房・館山という幅広い地域を管轄する。このため、県政には一体感がない。こうしたバラバラな地域を一つの目標でまとめられるのかはやって見ないとわからない。おそらくかなり難しいのではないかと思える。
継続性という課題は実は千葉市側にもあるようだ。鶴岡前市長は汚職で逮捕されているのだが、もともとは自治省出身の「お飾り」であった。お飾りだった市長はあまり市政のガバナンスには興味がなく職員にはやる気が感じられなかった。
今回、千葉市長の後継と目されている前副市長も実は自治省出身の官僚出身である。愛知県生まれで佐賀の副市長を経験している「プロの市長補佐人」なのである。現状分析を手堅くまとめているが市長としてのリーダーシップをどこまで期待していいかはわからない。細かく見たわけではないがおそらくビジョンの整理は前市長のものを引き継いでいるのではないかと思える。だが、リーダーシップがなければ「元の木阿弥」になる可能性もありそうだ。つまり、マニフェストベースの市長が一人出たくらいでは千葉市の政治風土は変わらない可能性が高い。
では対する自民党はどうだろうか。自民党は伝統的に体系的な政策立案を嫌うようだ。
県知事候補の関まさゆき候補は人気のある大臣クラスとの関係をアピールしつつ従来型の「東京から予算を引っ張って来ますよ」という約束をトップページに掲げている。こちらの方が地方の人たちには安心感があるかもしれない。選挙結果がわかれば都市と農村・漁村ではかなり傾向が違って見えるのではないかと思う。
市長候補も同じような「体育会系」の匂いがする。「市民と一緒に汗をかきます」という精神論が聞かれるばかりである。長年市議会議員として活動していて議長まで経験しながらも従来型の「とにかく頑張る」というような主張しかできないというところに限界を感じる。こちらもどの程度票を伸ばすのかに注目してみたい。
いずれにせよ、前千葉市長がマニフェストベースの政治ができたのはおそらくこれが彼自身のプロジェクトだったからだろう。国政レベルの民主党にも論理的に政治主張が組み立てられる人はいたはずだ。民主党は組織として取りまとめた上で継続的に取り組むということができなかったのだろうし、おそらく今もそれができていない。だから成功事例が組み上げられず成果が出せない。だから支持が伸びないのだろう。
こう考えてみると、日本でも政策ベースの政治は効果的だが集団作業が苦手な日本人は政策が組み立てられない。千葉市長が成功したのは彼が個人で職人的に政策を組み上げられたからだろうと思われる。
よく「和をもって貴しとなす」などと言われるが、日本人は実はチームワークが極めて苦手なのである。