なぜだが1914年の青騎士たちはハイテンションだったようだ。騎士たちのひとりカンディンスキーはこう書いている。
特定の時期になると必然性の機が熟す。つまり創造の精神(これは抽象の精神と呼ぶこともできる)が個人の魂に近づき、のちにはさまざまな魂に近づくことで、あこがれを、内的な渇望をうみだす。[中略]黒い手がかれらの目を覆う。その黒い手は憎悪するものの手である。憎悪する者はあらゆる手段を使って、進化を、上昇を妨害しようとする。これは否定的なもの、破壊的なものである。これは悪しきものである。死をもたらす黒い手なのだ。
彼らは官展への出展を拒否され、膠着した状態がそこにはあった。(黒い手とは彼らを拒否した芸術家たちを現しているのかもしれない)「内的な何か」がその膠着を打開するものだと考えられていた。日本の昨今の状況と異なっているのは、内的な何かがいずれ「さまざまな魂に近づく」つまりひとりの理解を越えて集団の理解に至るだろうと考えられていた点だ。同じ世界観がユングにも見て取れる。彼はそれを「集合的無意識」と呼んだ。彼らが単なるルサンチマンだと言われなかったのは、独創性のある作品を産み出したからである。また、それを評価する人たちもいた。
先ほどの議論を見ると、個人の内的世界はあくまでもプライベートなもので、それを理解させるためには「プレゼンテーション」が必要であるという前提がある。つまり、内的な何かはそのままでは理解されないだろうということだ。この「集団的何か」を信じるか、信じないかの違いは大きい。そして、日本人の識者たちがどうしてそうフレームするに至ったのかという点は考察に値するだろう。俺の内面はそのままの形では理解されないという仮定は、俺はお前をそのままの形では理解しないぞという宣言と同じだ。そこに相互理解や共感の入り込む隙間はない。
さて、このハイテンションなカンディンスキーはきっと若かったんだろうなと思ったら、そうでもなかった。1866年生まれとのことだからすでに40歳を少し過ぎていたことになる。フランツ・マルクはもう少し若くて1880年生まれ。こちらは第一次世界大戦のヴェルダンの戦いで戦死して、パウル・クレーを大いに悲しませた。
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