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日本学術会議の問題の核心はどこにあるのか

日本学術会議の任官拒否問題が炎上している。TBSは朝からこの件について扱っていたのだが内容を見て唖然とした。そのあと総理は「説明責任」を果たし「あれは行政改革の一環なのだ」と主張したそうだ。全体的にまずい方向に走り出したなと思った。日本は自民党左派ポピュリズムに支配されようとしている。

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第一に法的な問題があるようだ。日本学術会議は会員を推薦しそれを総理大臣が承認することになっている。学者の団体なので学者の資質によってしか推薦・任官拒否できないとする学者と、諮問機関の役割を果たすことがあるので偏りがなくなるように総理大臣が監督するべきであるとする一部の声がある。ただ法律なので仮に学者側が正しいと主張しても変えてしまえばいい。そもそも「日本学術会議の位置付けが曖昧である」という主張が怪しいのだが、それは置いておく。いずれにせよ解釈に余地があるならば法律論は単なる水掛け論になってしまう。有権者がどちらを支持するのかという話になってしまうわけである。だから実はあまりこれは意味がない。

法律の専門家が得意げに法解釈を披瀝すればするほど国民から恨まれる。国民は「どうせお前たちには理解できないだろう」と言われていると受け取るからである。学者は思っているほど国民から尊敬されていない。

次に政治手法の問題がある。突然サプライズで権限を行使して見せて力を見せつけたい総理大臣側と政治から独立した機関が必要であると主張する人たちの間にも隔たりがある。この辺りからがだんだんと本筋になってくる。独立した機関が必要なのだとするといったいそれはどうしてなのかということがよくわからない。

1948年に作られた日本学術会議法はおそらく戦争の反省をもとに作られている。つまり学者が政治が暴走しないように監視するという役割があるのだろう。逆に政治側は「学者に監督されているから暴走はしていないのだ」と主張できた。日本が平和国家になることが独立の条件だったので、日本学術会議の設置はおそらく日本政府にとって必要な措置だった。あれは安全装置だったのだ。

日本学術会議が戦争抑止を目的にしているという証拠を探したところ「ああ、これじゃないかな」と思えるものを見つけた。2017年に政府が防衛省が関与する学術予算を増やした。この時に「学問と軍事研究を分離すべきではないか」という議論があった。日本学術会議も「軍事的安全保障研究に関する検討について」というコメントを出している。

日本学術会議が1949年に創設され、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、また1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。近年、再び学術と軍事が接近しつつある中、われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究、すなわち、軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。

軍事的安全保障研究に関する検討について

おそらく戦争がしたい安倍総理と政府の意向に従わないやつを罰したくて仕方がない当時の菅緩募長官にはこれが目障りだったのだろう。おそらく今回の件はその報復である。自分に逆らった罰なのだから菅総理大臣には任官拒否の理由が説明できない。

この記事を読むと日本学術会議(つまり日本の学会)は自分たちの技術が知らないうちに兵器転用・安全保障技術への転用をされることを恐れているようだ。だから、それを防ぐために倫理審査をすべきであると言っている。これは兵器輸出を産業の柱にしたい政権の人たちにとっては邪魔な動きであり排除したい。だが世論に訴えて兵器開発がしたいとも言えない。だから学者には萎縮してもらいたいのである。

ところがこの問題は意外なところに転がり始めた。それが左派ポピュリズムである。安倍政権はうはポピュリズム政権だったが菅政権はは左派ポピュリズム政権であるといえる。党内基盤が脆弱な勢力が世論の支援によって闘争に勝ち抜くために使われる主張がポピュリズムである。だが右派と左派ではその方向が違っている。

もともと自民党政権は自分たちが理解できない学問への支出を減らしてきた歴史がある。学問が資金不足で困窮したところに「防衛関連研究費」という餌を投げて協力を誘導しようとしたわけである。つまりもともと学術世界が反発しているのは予算不足である。

ところがこれを「学者だけが国からお金をもらって優遇されるのはずるい」というようなポピュリスト感情丸出しの学者敵視論に転換した。既得権保持は許されないと言い換えたわけだ。さらに「その分を福祉に回せ」などと言っている。インテリへの嫉妬心を煽るやり方なのだが、テレビ的にはこれが大変わかりやすい。民主党が始めた公共事業バッシングが行き着いた先が学者いじめである。

ところが学者たちには政治経験がないので空気を読まずに「学問にお金を出すのは当然だ」とか「自分たちは手弁当でやっている」などと主張してしまう。今や民間はもっと困窮している。ワンオペ主婦や孤独に苛まれる高齢者がこれを見れば「学者様だけが特別扱いなのか」と学者憎悪に走るのは実は明らかなのだが、学者たちはそんなことには気がつけない。学者はポピュリストたちのいいカモなのである。もともとワンオペ主婦が孤立するのは社会制度の問題なので政権に対して反発しても良さそうなものなのだが普通はそうはならない。自分より優遇されている人を見つけると彼らを引き摺り下ろそうとする。これが左派ポピュリズムの仕組みである。どんどん困窮の方向に自ら向かってしまうわけである。

外に敵を作って愛国心を煽るのが右派ポピュリズムのやり方だが、内に敵を作って国民の嫉妬心を煽るのが左派ポピュリズムのやり方である。安倍晋三さんが連れてきた人たちは中国を敵視てきたので右派ポピュリズム的だったが、菅総理は内側に敵を作って政権を維持しようとしている。国民もそれに慣れて自分たちより優遇されている人を見つけてはそれを攻撃するようになる。

左派ポピュリズムは一般国民の知性に合わせて政治を行うので経営や学術といった知識階層が萎縮するか国外逃亡することになる。日本で博士候補生が減っていたり論文の数が落ち込んでいるのは、もともと日本が知的困窮路線をひた走っているからである。おそらく菅政権はこの左派ポピュリズムトラックを継承している。今回の任命騒ぎではそのことがよくわかったのだが、おそらく野党がそれに気がつくことはないだろう。彼らもまた「市民感覚」を頼りに支持を訴えるしかないからである。日本はわかりやすく衰退しはじめたことになる。菅政権が始めたわけではなく、それがわかりやすく表に出てきたのである。

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