先日は安倍総理大臣が思考停止状態に追い込まれた事情について見た。日本で権力者に意思決定を集約するとすべての情報が権力者に集まる。だが、誰も情報を整理・集約しないので権力者が潰れる。これを情報ロックダウンだと定義した。日本が危機に陥ると権力のロックダウンが起き思考停止状態に陥ってしまうのだ。我々はこれを理解した上で権限移譲の重要性を再認識すべきである。
今回は日本の検査制度についてみる。日経新聞が「コロナ検査、世界に後れ 1日2000件弱で独の17分の1」という記事を書いている。100万人当たりの検査率はドイツの17分の1なのだそうだ。
こうなったのに理由がある。日本では軽症だろうが重症だろうがコロナ陽性となると病院で隔離する政策を取っている。このため「軽症者を発見すれば面倒なことになる」という心理が働く。だから積極的な検査をしない。実はこれが「検査をすると医療崩壊になる」理由である。別に検査そのものが面倒だからというわけではない。検査を取り巻くルールが面倒なのである。
日本サッカー協会の田嶋幸三さんも「保健所では、うちの家族ですらPCR検査をしてもらえなかった。どこにどう集めて治療、隔離しようとか。陰性2回連続じゃないと退院できない。ベッドが埋まっていっている。目に見える。入院している中で、ドクターも看護師さんもバタバタし始めた。」と書いている。だが、田嶋さんは「だからルールを変えるべきだ」とは言わない。
日経新聞もこう書いている。
厚生労働省は検査の網を広げすぎると、誤判定も含めて入院患者が急増して病院が機能不全に陥り、医療崩壊につながると警戒していた。
コロナ検査、世界に後れ 1日2000件弱で独の17分の1
おそらく各地の保健所が「自分たちのリソースを死守しよう」として防衛的に検査数を抑えていることがわかる。これは部分最適だが全体では最悪の意思決定だ。日本人はなぜかルールを所与のものと捉える。変えられるとは考えない。それは日本人一人ひとりに意思決定の権限がないからである。全て政治的な働きかけが必要で、そのためには途方もない労力がかかるのだ。
ドイツでは感染しても無症状なら自宅待機になる。このために検査=病床を埋めるということにはならない。さらに無症状感染者が市中感染を広めるのを未然に防ぐこともでき却って医療崩壊を防ぐのに役立った。ルールの奴隷になっている日本とは違いドイツは観察し・予測し・考え方を決めた。
さらにドイツは先に行っている。抗体検査陽性者でも免疫を獲得したら証明書を出そうという話になっている。韓国では自宅に帰った人が差別されているという話があるのだが確かにいつまでも感染するかどうかがわからなければそのようなことが起こるだろう。課題はあるようだがやらない選択肢はない。
では日本人はなぜドイツ人にできることができないのか。
現場はまず「損を引き受けないようにどうしよう」と考えて協力を拒否する。そして支援を求めて「上」に直訴を始める。その時に声が大きくないと無視されるので声が大きくなる。また最近ではSNSがあるので直訴も成立しやすい。すると調停する権力者が受け取る情報量が飽和し思考停止に陥ってしまうのである。これは情報のDDoS攻撃だ。
ところがこれでは終わらない。ネットワークで言うところのハブの機能不全が起こるとそれが調整力を失わせる。するとなし崩し的にルールが形骸化してさらなる機能不全が起こる。ネットワークのスローダウンが起きているのである。総理大臣が一人でサーバーの役割を果たしていて全てのクライアントからのリクエストを受けているような状態だ。
厚労省は3月1日、都道府県などに対し、感染拡大で入院患者が増え重症者の受け入れが難しくなる場合、検査で陽性でも軽症なら自宅療養を原則とする方針を示した。
コロナ検査、世界に後れ 1日2000件弱で独の17分の1
その後1カ月経過したが、厚労省はそうした状況に達したとの判断や具体的な基準は示しておらず、入院を原則としてきた現場の対応は進んでいない。この結果、東京都ではすでにベッド数は逼迫し、「状況はぎりぎり」(小池百合子知事)と危機感を強めている。
権限を抱えたままになっている厚生労働省は権限を都道府県に渡さないまま思考停止に陥り、基準も示さなかった。個別に認可してしまうと「東京都だけではなく全国に許可したことになってしまうからだ」という人もいる。
すると「もう医療崩壊寸前だ」という悲鳴が医師会から上がる。医師会は勝手に「医療危機的状況宣言」を出した。そこでなし崩し的に「新型コロナ 重症患者を優先 退院認める基準を緩和へ」というニュースが出てきた。ただし、厚生労働省は「一度出した指針を間違えたことを認められない」ために慎重に指針を出すなどと言っている。ハブに近いところから疲弊が広がっていてネットワーク全体がスローダウンしている。
厚生労働省はこうした考え方も踏まえ新たな基準を策定することにしています。
新型コロナ 重症患者を優先 退院認める基準を緩和へ
これは正のフィードバックを形成している。インターネットの例えでいうとウェブが表示されないので何回もリロードボタンを押しているような状態である。新しいリクエストが次々にサーバーに送られるとサーバーはやがてダウンする。日本ではこれが起きている。
厚生労働省は既得権を守り失敗しないために頑なな態度を取っていて、都道府県の保健当局も自己防衛に走っている。そんな中医者は「このままでは崩壊だ!」と叫び始める。都知事はスタンドプレーに走り緊急事態=ロックダウン=経済の死という印象が作られさらに国会は整備新幹線をとか消費税をゼロにしろと息巻く。さらに首相に近い国会議員がマスクが配れるなら小切手も配れるだろうとTwitterで絶叫する。
こんななかでマスクを配ればたちどころに国民の不安が解消するといったのが「経済官庁出身の官邸官僚だった。」ということがわかった。実は情報ハブとしての官邸は最初から機能していなかったということがわかった瞬間である。おそらく安倍首相の選択肢は二つしかない。このまま潰されるか役割を全て投げ出すかである。どちらもサーバーダウンだ。
残念ながらこうした思考停止の被害者になるのもまた一般市民である。韓国では新型コロナから回復した人が差別を受けているという話がある。だが、どうなったら感染させなくなるかという知識もお墨付きもないのだから受け入れる側の人たちの気持ちもわかる。
日本がなし崩し的に患者を自宅に帰してしまえば日本でも同じような風評被害が起きるだろう。日本の場合はまだ「治ってすらいない」患者が帰ってくるのだから受け入れる側の家族や隣近所の人の恐怖心はそれ以上のはずである。これについては幸いなことに東京都の側で自宅ではなく宿泊施設を準備するという検討に入ったようだ。オリンピックが延期になって本当によかったと思う。東京は東京のことだけを考えればいい。これを一律にやれば「宿泊施設が用意できない自治体の困惑」を呼んだことだろう。
総理大臣が思考停止に陥り潰れて行くのはそれはそれで構わない。その道連れになるのは医療リソースが逼迫した病院だったり、自粛で補償もなく潰される飲食業やイベンターだったり、不運にして感染した軽症患者だったりする。我々もそのうちのいずれかになりかねない。
我々は権力者が陥る情報ロックダウンの構造をしっかり理解した上で今後の対策を立てなければならない。明確な権限移譲とタスクオリエンテッド(タスク思考)のマインドセットへの変革がなければこの国は立ち行かなくなるだろう。
Comments
“日本で権力者が思考停止状態に陥るのはどうしてか” への4件のフィードバック
こんにちは、
「規則の奴隷」とは上手い言い方ですね、役人、政治家の習性を良く説明していると思います。
ただ、私としては、役人や政治家に悪意(当人ではなく、有権者から見てですが)がある場合は逆だと思います。そういう場合は法を変えたり違反したり、前例や前言を無視したりしてでも遂行します。いつもは事なかれ主義の役人までもが豹変するのが不思議でなりません。事例は以下です。
① 築地市場の豊洲移転に際しての環境アセスメント無視。
② 明治公園を潰して利用するための都市公園法改正。
③ 「安全が確保されないので、東京上空を旅客機は飛ばさない。」「羽田の沖合移転は海上を飛行するのが前提。」と国交省が言ったのに、羽田新ルート。
④ 普通は暗黙の了解で高級住宅街、特に首相や天皇の自宅の上には飛行ルートは作らないだろうに、松濤(安倍&麻生)や高輪(上皇)の家の上に旅客機を飛ばす。
首相がコロナで機能不全になるはるか以前からこれですから、とても不思議です。
確かに。規則にこだわるのにある日突然「赤信号みんなで渡れば」とばかりに、無視し始めるのは不思議ですよね。コメントありがとうございました。
お返事ありがとうございます。
考えてみましたが、両者には共通点があります。それは何を目的として規則があるのか、どのような価値を守るために暗黙のルールがあるのかを理解していないことではないでしょうか?規則が物神化しているとも言えます。どちらの方向性でも、自分のポジショントークを信じてしまい、ポジショントークであることがが分からなくなってしまい、ついにはハンナアーレントの言う状況に陥っている感じがします。
では、なぜそうなるかですが、ルールへの盲従の場合は、旧習墨守、責任回避に加えて、過度の秩序意識という一つの物神があるかと思います。しかし、もう一つが良く分かりません。例えば、築地移転の原因として、
https://twitter.com/k_wota/status/1241673808919982080
と、そこに続くツイートや、
あるいは、
https://twitter.com/search?q=豊洲%E3%80%80from%3A%40k_wota&src=typed_query
など(分かりにくくてすみません。)があるのですが、なぜ都庁の役人がここに突っ込んで行くのかわかりません。羽田の新ルートにしても、今これだけ便数が減っているのに、なぜ飛ばしているのか、変な話です。
勿論、役人の利権漁り、天下り先の確保、業者の毒饅頭はあるのでしょうが、それでは足りない気がします。それだけであれば、この手の話しは昔からあるはずですが、ここ最近急に出てきた所が不思議です。
これは私の想像ですが、全てを劣化させて大衆化して意味もなく量を増やしたいという集合意識があるような気がしてなりません。以前はある種の階級秩序の感覚がそれを抑えていたのが、階級とか身分という感覚が消滅して、元々からの同調圧力に乗じて糞も味噌も一緒にみんなで大衆化に走っている気がします。
築地の移転は、仲卸という中小事業者(個人支出を経費で落とせるという偏見)や、高級鮮魚を食べさせる料亭や鮨屋、その利用者へのやっかみから、みんなで冷凍魚へと走る動きとも捉えられます。
羽田も、糞も味噌もみんなでLCCで旅行という流れでしょうか?
長々とすみませんでした。
こういう問題は考え続けて何回も書いてみるしかないですね。ご高察いただきありがとうございました。