今回もまた安倍首相批判である。だがこの批判は「ブーメラン」で菅直人首相の話が出てくる。おそらくは日本人が抱える統治の失敗の典型的なパターンなんだろう。真面目に原因を突き詰めるならば「責任の所在があいまいで意思決定しない集団が意思決定すると社会は崩壊する」ということになる。平たく言い換えれば「サッカーの試合において監督が選手を置き去りにしたままでボールを持って走り出すとゲームが崩壊する」みたいなことである。
安倍首相が突然「小学校・中学校・高校・支援学校を休校にする」と言いだした。官僚の反対を押し切ったそうである。官僚の中には「権限がない」と主張した人もいるようだがさらに後になって根拠法もなければ予算措置もないことがわかってくる。それぞれ事情がある。
「ああまたか」と思うのだが、おそらくは安倍首相は高校生レベルの政治知識も持っていないんだと思う。国と地方自治体の関係もわかっていないし、根拠法がないと内閣が動けないということもおそらくは知らない。サッカーでいうとゴールポストの形もオフサイドもわからない人が監督を務めている感じだろう。
この困惑を千葉市長は社会が崩壊しかねないと表現した。総理のガイドラインを受けて対策を練り始めたところ根底からぶち壊されてしまったのである。市長は多くの職員を指導する立場にあるのだから怒って当然だ。この千葉市長の発言に多くの首長が追随した。
衝撃の報道。全国一斉春休みまで休校…いくらなんでも…。
— 熊谷俊人(千葉市長) (@kumagai_chiba) February 27, 2020
医療関係者など社会を支えている職種の親はどうするのか。社会が崩壊しかねません。
私達のこの間の悩んだ末の検討が全て吹っ飛びました。
なんとか社会を維持する方策を週末に考えます。
国民民主党玉木代表は「なぜ二日前の基本方針に休校措置が入っていなかったのか」と言っている。おそらく、この二日に大きな変化があったからだろうというのが合理的な推論だ。
小中高は休校にするが学童保育は開く⁈政府の考え方がよく分からない。やるならなぜ2日前の基本方針に書かなかったのか。昨日の国会質問で考えを変えたのか。場当たり的で後手後手の印象は否めない。仕事を休まざるを得ない親も出てくる。すでにシフトが組めないと悲鳴の上がる職場も出てきている。
— 玉木雄一郎 (@tamakiyuichiro) February 27, 2020
時事通信は「支持率」を言っているが、原因はおそらくそれはオリンピックではないだろうか。オリンピックを分散解散という観測気球的に出ていて、さらに畳み掛けるように1年延期してはという話になった。オリンピックは安倍首相の政治スケジュールに深く組み込まれている。これで慌てたのではないだろうか。
総理の判断は明らかに間違っている。日経新聞が2月27日にまとめた図を見ると中国地方と東北地方には感染者がいないことになっている。一方北海道ではかなり蔓延しているようだ。本来は地方が意思決定できるように国が制度面・財政面で支えなければならない。これは全員で取り組むべき試合なのである。
国が地方を支援できる法律はある。新型インフルエンザ特措法で対応できるのである。これを使いたくない総理は「参考にして新しい法律を作る」と言っている。おそらく民主党の作ったものは何もかも気に入らないのだろう。総理の意地と思いつき(総理は政治的決断と言っているようだが)が周囲を混乱させるというのは今までも散々見てきたことである。ついに霞ヶ関だけではなく我々の生活が直接打撃を受けた。我々はもっと傷が浅いうちになんとかすべきだったのかもしれない。
この是非を判断するためには「どの地域にどの程度のウイルスが広がっているのか」ということを判断しなければならない。全数調査は無理なのでサンプル調査でもよかっただろう。韓国ではドライブスルー方式で大量に検査しているそうである。ところがその調査が全くないので判断のしようがない。ゆえに説明のしようがない。共産党の宮本議員は安倍総理に「意思決定の根拠となるエビデンス」を求めたが科学調査がないのでエビデンスはない。あるとしたら間接的な根拠だがそれもない。あるのは総理の勘だけだ。それを信じて法的根拠のない発言に従えと言っている。
さらに今は誰も何も言わないが「意思決定」すると経済的な損出が出る。それを補填するためには予算の裏打ちが必要である。だが、拙速に決めた上に野党のいう「補正予算」も突っぱねてきたため、首相の発言には予算の裏打ちがない。自民・公明の両党は「そろそろ予算措置を」と言いだしているところだった。だからこちらも単なる思いつきなのである。金曜日に本予算が衆議院を通過したのだが、おそらく野党は組み替え動議で引き伸ばしを狙い、与党はこれを恐れて「予算の裏打ちのない暴走」をしたのだろう。このままででは「足りない予算は工夫で補え」ということになるはずだ。戦前流の「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」だが、その根底にあるのは与野党の意地の張り合いである。与野党間には信頼関係がないのでいざという時に協力できない。
ただ、これが安倍首相だけの問題なのかということになるのだがそうではない。似たような事例がある。菅直人首相の東京電力福島発電所恫喝問題である。菅直人首相は想定外の事態に周りのスタッフや東京電力が信頼できなくなり最終的に東電本社に乗り込み「怒鳴る」という暴挙に出た。
今回の状況とあの時の状況はよく似ている。
- リーダーシップに問題のあるリーダーが
- 情報不足からパニックに陥り
- 拙速な判断をして
- 権限を抱えたまま走り出し
- 周りが振り回される。
日本は通常時は集団思考で誰も責任を取らない社会だ。お飾りでリーダーを置いて形の上では敬うのだが実際にリーダーは行政や統治能力の有無で選ばれるわけではない。むしろ最も無能で万能感だけが高い人の方が便利に使える。サッカーなどのゲームに例えると、監督が無能だからこそ選手は好き勝手にゲームを楽しめるわけである。普段は選手にとって楽な体制だ。
そのためリーダーが「負ける」と思って焦りだすと大変なことになる。普段から責任の所在が明らかでないので緊急時に権限の委譲ができない。つまり「監督が誰にボールを渡していいか支持できない」ので自分で走り出してしまう。だが普段からサッカーをやったことがない監督はどこに向かって走っているのかわからないかもしれない。ゴールポストも知らなければ、オフサイドもわからないからだ。
リーダーがボールを抱えたまま走り出すのを放置すればゲームが崩壊することになる。日本が原発事故や疫病対策など全国的な緊急時にいちいちパニックに陥るのは普段から責任分担と説明責任についてきちんと考えてこなかったからだ。それをすべてリーダーの能力のせいにするのも正しい判断とは言えないかもしれない。