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COVID-19対応:「現場はちゃんとやっている」がどんどん裏切られる

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今回の話はTwitterで話題になっている岩田健太郎教授のYouTube動画についてだ。「現場がちゃんとやっている」という信頼感がどんどん裏切られるという話を書く。だが政府批判を期待しているとちょっと裏切られるかもしれない。今後の話につなげたいのでやや勿体つけた書き方になっているからである。

朝からTwitter経由でYouTubeでかなりショッキングな映像が流れてきた。この人は感染症の専門家らしい。タイトルが「COVID-19製造機」などと煽っているので政府批判のように見えるが、話を聞くとそうでもないようだ。直感的に日本の病理がわかると思った。

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現在、フランシス・フクヤマの「政治の起源」を読み始めたばかりだ。フクヤマは民主主義を次の三つの視点で分析しようと試みているようだというところまでがわかったが、なぜかそのあとはチンパンジーの話につながる。

  • 国家(中央集権と官僚制を備えた枠組み)
  • 強制力を持った法律
  • 強い権限に伴って生じる説明責任

YouTubeを見たときには直感的だったのだが、今回の話は実は国家体制(官僚制)と説明責任という要素を分析するのに使えるのだなあと思った。

ダイヤモンド・プリンセス号の封鎖は「水際対策はちゃんとできている」という政府の印象操作の結果「科学的合理性を無視した対策」が取られたのだと考えている。それは情報がない中で拙速に下した上層部の脊髄反射的な判断だ。だが、それは官邸トップの話であって、おそらく現場レベルでは「みんな一生懸命に頑張っているのだろう」と思っていた。そう信じたいという気持ちがあった。そうであればいずれちゃんとした情報が上層部に上がるはずである。

ところが岩田さんから出てくるのは「専門家」が排除されたという信じがたい話である。岩田健太郎教授は海外でも活躍している感染症の専門家でのだが、感染症専門家としては入船の許可が出なかったそうである。そこでなぜかDMAT(医療チーム)の一員として入船の許可が出る。ところがDMATでは「あなたは感染症の専門家なのだから感染症のことをやれ」と言われた。さらに「どこかからクレームが入り」もう出て行けということになってしまったようである。

このフッテージの主眼は安全圏内と感染エリアの区分けができておらず「誰が感染してもおかしくない」状態になっているという点にある。日本政府はクルーズ船の中にいる人たちを見殺しにすることで「国内にウイルスは持ち込ませない」という印象を植え付けようとしていた。だが、実際には医療従事者や検疫事務官を通じてウイルスが入り込める状態になっていた。つまり、ダイヤモンド・プリンセス号の封鎖には意味がなかったのだということはわかる。

https://www.youtube.com/watch?v=W3X3RSmf7ds

この件についてはQuoraでも何回か質問を出していたのだが、アメリカメディアが批判しているという意見を出すと反発されることが多かった。おそらく日本人を代表して「恥の意識」を持ってしまうのだろう。さらにこのYouTubeについても感情的な反発がついた。厚生労働省(国側)からの視点になっているのだが、この視点がどこから来るのかが疑問だった。いずれにせよ「問題提起者」や「ホイッスルブローワー」に対する敵意が日本社会にはある。

厚生労働省も「専門家が外から入ってきてあれこれ言われたくない」というような感情を持っているようだ。高山義浩という厚生労働省の人が反論を書いている。これを読むと現場の反発がよくわかる。

彼が言っているのは次のようなことだ。まず高山さんは「岩田さんだから仕方がない」と彼の人格について問題にしたあとで

  • 時間が限られていて
  • 意思決定者が複数いて調整が大変である

と主張している。

おそらくは、これが現場レベルの偽らざる声なのだろう。このことから厚生労働省側の対応がなぜ一部の人から支援されるかがよくわかる。ミドルマネージャーの立場で「正義感から自分の意見をぶつけてくる人」に対して反発を持っているのだろう。いろいろ外から言われても困るということだ。

しかし実際にはウイルスが外に漏れていることや対応が外国から疑問視されているのもまた確かである。高山さんは「時間をかけて考えて行きたい」と悠長なことを言っているようだがすでに相模原中央病院では医療従事者とその子供が被害を受けている。政府のいうことを聞いていてもウイルスは防げないだろうから自己防衛しようという人たちがでてきているのである。

岩田さんのYouTubeやTwitterを見ると「区分けしないで怪しいところで防御服をつける」自衛隊の様子なども紹介されている。防衛省・自衛隊にとって防御服というのは我々素人がやみくもにマスクをつけたりつかなかったりするのと同じことになっている。これが「時間のない中」でやった「仕方がない対策」なのだが、そうとわかったら改める必要がある。「仕方なかったね」では済まないのはないかと思う。

おそらく高山さんやその他の現場スタッフの出来ることは限られている。少なくとも誰かに権限を与え「複数の意思決定者にいちいち確認を取らなくても済む」ようにし、さらにはリソースを与えて必要な対策を打てるようにしなければならない。企業だとディレクターやボードメンバーと呼ばれる人たちがマネージャーが仕事がしやすいような環境を作ってやらなければならない。つまり政府レベルでは政治家の役割が非常に大きい。

おそらく、現場からの反発が政治に反映されるのは「日本人の中間管理職が成果と責任だけを押し付けられること」を当たり前と思っていて上層部から支援してもらえるだろうなどとは考えていないからだろう。「仕方なかった」とか「正義を押し付けられては困る」という声が一般レベルで蔓延する原因はおそらくリーダーシップの不在にある。

では政治家はリーダーシップを持って仕事に臨んでいるのだろうか。

現在国会は野党が予算を人質にとって「ANAインタコンチネンタルホテル」のように文書で回答しないと予算審議は進められないと言っている。だが安倍政権側も「ANAインターコンチをどうやったら黙らせることができるか」ということしか頭にないようだ。政治家はリーダーシップを発揮するどころか全く別のことで取っ組み合いの喧嘩の最中である。彼らもまたミドルマネージャー的な意識を持っていてお互いに牽制し合っている。日本には誰もリーダーがいないのだ。

政治家のリーダーシップが発揮されない中、現場の官僚が混乱し、専門家の意見は封殺されており、非科学的な知見が蔓延している。それが言われなき差別という形で医療従事者とその家族に跳ね返ってくる。まさに理不尽極まりない連鎖がある。

この状況を見ると日本人は「国家という体制」を守るために「説明責任が果たせなくなっている」ということがわかる。説明責任の放棄は政治への不信感を生むのだが、それが政権打倒という方向に直ちに結びつくことはない。まずは現場の人たちがいじめられることになる。

今回の話では「まず専門家を入れて対策を取らないと国中でウイルス差別が蔓延するだろう」というくらいの結論しか書けないのだが、本来考えなければならないのは「なぜ日本の政治が説明責任を果たせなくなったのか」ということなのではないかと思う。

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