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奴隷王朝と説明責任

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Twitterでは「なぜ政府が説明責任を果たさなくなったのか」とか「日本の民主主義は崩壊しつつある」というようなTweetが毎日飛び交っている。今日はそれを考えるためにどういうアプローチを取ればいいのかを考える。

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フランシス・フクヤマの「政治の起源」を読んでいる。今上巻を読み終わったところである。フランシス・フクヤマは民主主義が世界で盛んになったのにその動きが後退しているのはなぜかという問題を持ち出す。それを考えるにあたり民主主義の構成要件として

  • 国家
  • 法の支配
  • 説明責任

の三つを挙げている。これらを数章かけて吟味した上でなぜかチンパンジーの話を始める。ここから膨大な資料をもとに中国、インド、イスラムの話に進む。一向に民主主義の話が出てこずとても回りくどい。実は「政治の起源」を読んでも民主主義の話は出てこない。フランス革命で話が終わってしまうからである。

さて、今回のお話は「奴隷王朝」である。奴隷は市民権を制限された存在だが、その奴隷が王朝を作ったという話なのだ、世界史で話は聞いたことがあるが実際については全く調べたことがなかった。マムルークという奴隷が王朝を作ったなどというと、アフリカから連れてこられた奴隷が王様になったというようなハリウッドレベルの想像しかできない。

アラブ世界はいったんイスラム教というイデオロギー・ベースの国家を作るのだが、ムハンマドが亡くなった後は安定しなかった。結局はウマイヤ家を中心にした部族ベースの社会に戻ってしまった。ウマイヤ朝はアラブ人至上主義を採用し。税制上アラブ人を優遇した。これがスンニ派だそうだ。これに反対してムハンマドの子孫がイスラム世界を支配するべきだという人たちがシーア派として分離する。この争いは今でも続いていて各地でテロなどが起きている。

このように部族の伝統が強いイスラム世界で「国家」を作るためには部族と関係がない人たちを国家に奉仕させる必要があった。それがマムルークという奴隷だそうだ。「戦争をして外で奴隷を獲得してきて国家に奉仕させる」のである。主にトルコ系の人たちがマムルーク奴隷になった。この制度はオスマン帝国にも引き継がれてトルコ人はイェニチェリというキリスト教系の人たちを奴隷にした。このようにイスラム圏で国家が成立するためには常に周辺の被征服地が必要だった。

奴隷と言っても彼らは高い権威を持ち徴税権も持っていたという。つまり今でいう役人のような立場だった。だが彼らの子供は生まれながらのイスラム教徒でイスラム教徒は奴隷にできない。だから、マムルークはその地位を子孫に引き継ぐことができなかった。

ここでいきなり官僚と奴隷の話をすると唐突に聞こえる。これが「政治の起源」の中で唐突に聞こえないのはその前に中国とインドの話が出てくるからだ。中国は官僚制を完成させ文語としての中国語を統一するのだが血族的な氏族集団を完全に排除できなかった。また宗教権威が国家を超えることはなく法の支配という概念は今でも存在しない。インドは宗教的な法の支配と武力による国家統制を分離できたが中央集権的な官僚制や統一国家を作れなかった。つまり、どちらも「私的な結びつき」がありそれが国家と対立している。

ポイントになるのは部族(村と言ってもいいし利益団体なのかもしれないが、大抵は血縁・地縁のことである)と国家は対立する概念だということである。国家を作ろうとすれば部族の権限を制限しなければならない。

  • 部族など私的な結びつき
  • 国家という私的な結びつきを超えた存在

イスラム世界はこの対立構造を克服するために、国家権力が外から異民族の奴隷を連れてくることで部族社会と対決しようとした。つまり、国民を作るためには市民権を制限された奴隷を使わなければならなかった。だがこのスキームはいつまでも持続可能なスキームではない。外の世界から奴隷が連れてこれなくなれば終わりだし、奴隷同士が政治力を増して世襲ができるようになればやがて制度が形骸化する。こうして弱体化した国家がどこかに征服されたり領土を削られたりすると国家としては存続できなくなってしまう。

ウマイヤ朝はアラブ人優勢を攻撃され、ペルシャ系シーア派のアッバース朝に置き換えられた。アッバース朝はアラブ人の優遇をなくし平等な国家を作る。だが皇帝はスンニ派に改宗し、シーア派は反発した。結局統一国家としての体裁を失って行き帝国は分裂し最終的にはモンゴルに攻め込まれた。アラブ世界は最終的にはトルコ系のオスマン帝国に支配される。オスマン帝国は東ローマ帝国を滅ぼし今度はキリスト教徒を奴隷として連れてきた。一時はカトリック圏と対等に争う帝国だったが、最終的には「ある発明」がありキリスト教世界の国家に負けることになった。その「ある発明」がおそらく資本主義と民主主義の組み合わせである。

フランシス・フクヤマは人間はもともと群れから出発していると考えている。ここが従来の国家論と違っているところだ。従来の国家論は「もともと人間は個人なのだがそれが統制されて国家になる」という仮説を置いていた。おそらくキリスト教世界が「個人主義的社会」だったからだ。上巻では、もともと群れで暮らしていた集団が個人主義になったのはなぜかという疑問を事実上棚上げにしている。

ここから、最初の「なぜ日本政府が説明責任を果たさなくなったのか」とか「日本の民主主義は崩壊しつつある」という疑問に戻る。日本では明治維新以降、藩のような家族的なコミュニティから国家を作った。採取的に戦時体制で完全に国家に労働力を集約しGHQが日本から集団(財閥と地主)というものを破壊したことでおそらく「国家に対して忠誠を尽くす」という「国家総動員体制」が偶然に作られたものと思われる。

例えば初期の政治家は世襲ではなく官僚からの選抜だった。基礎を作ったのはGHQで選抜したのは吉田茂である。ところが、こうした体制は人工的に作られただけであり何ら持続する保障がない。おそらくどの社会にも「群れを作り直そう」という動機付けがありいずれ政治の私物化が始まってしまうことになる。「族議員」「世襲議員」がまさにそれだし、政府を攻撃するようなことを言うと匿名で非難されるというのも「部族保存欲求」だ。上から下まで「集団を作り直したい」という欲求がとても強い。

おそらく日本で民主主義が消滅しかけているのは、そもそも個人主義という土台がなかった上に、高度経済成長という夢を失い、国家が一丸となって目指す目標がなくなってしまったからだろう。このため立憲民主党が個人主義的な政策を打ち出そうとしてもそれが理解されることはない。また自民党の一部にいる国家主義者も選挙のために票を差し出すだけの存在である。自民党の実態は今や地縁・血縁に利益を還元(彼らからしてみれば奪還)するだけの部族主義政党と言える。だから「民主主義」が壊れたという感覚を持ってもなんの不思議もないし、それを取り戻す動機が見当たらない。

とりあえず上巻を読んで分かるのはここまでだ。それに対する解決策があるのか、それとも「民主主義はすべからく崩壊する運命なのか」はわからない。実はこの本は「政治の崩壊」という本を含めたセットになっているので、そこまで読まないとわからない仕組みになっているのかもしれない。

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