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安倍首相はなぜ蛇蝎のごとく嫌われるのか

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Quoraで安倍首相はなぜ蛇蝎のごとく嫌われるのかという質問があった。安倍さんが嫌いな人は書かないでくれと書いてあったのだが、ついつい回答を書いてしまった。

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安倍首相が関わった問題はすべて泥沼化する。例えば森友・加計学園問題では「私が関わったらやめる」と言ってしまったために一年以上国会が紛糾した。韓国海軍との間ではレーザー照射問題が起きているがこれも泥沼化しつつある。さらに辺野古基地の問題も国防の問題ではなく環境問題として聖地化されつつあるようだ。

国会の質疑を見ているとわかるように安倍首相は支持者の言うことはすべて聞こうとする一方で自分が見下している人たちとの対話はすぐに打ち切ろうとする。個別の事例ばかりを見ているとよくわからないのだが、実は極端なへりくだりと見下しが表裏一体になっており、対等な人間関係がない。支持者の願いを叶えられないと大変なことになると考える一方で、自分が見下している人と対話すると自分が負けてしまうと思い込んでいると考えると説明ができることが多い。

安倍さんが見下しているのは、社会主義者、女性、韓国・中国などである。こうした人たちの価値観を頭ごなしに否定してしまい、弁解や関係改善の余地を一切与えない。否定された人は、問題ではなく人格を否定された気分になるうえに、その後名誉回復したり関係修復したりする道を絶たれてしまうので感情的になり怒り出す。だから安倍首相は嫌われるのだ。

安倍首相がどうしてこのような性格を持つようになったのかはよくわからない。わがままな坊ちゃん育ちだからだろうなどと片付けたくなる。だが、ここから先をちょっと考えてみたい。

例えば自分の能力に自信がある人は「このやり方ではうまく行かなかったとしても、別のやり方ができる」と思えるので相手に優しくできる。さらに、自分に自信があるので「一応ここまではやったがここから先は譲れない」とも言える。こういう人が相手を怒らせることは少ない。相手を怒らせるのは選択肢が少ないからなのだ。

例えば、幼い頃の人間形成が不完全だと相手と仲良くなるために妥協したり話し合ったりということができなくなるのではないかと思う。幼稚園でお友達とおもちゃを分け合うというようなところからそれは始まっている。「坊ちゃん育ち」で大人と育った子供はこうした経験を奪われてしまっているかもしれない。しかしそれだけでもなさそうだ。例えば、十分な職業経験があれば「とにかくこのフィールドであれば自信がある」というものができる。これが自信につながるのである。だが、腰掛けだけで父親の秘書になった安倍晋三青年にはそれもなかった。

専門知識がなく相手に頼るばかりでは何の自信も持ちようもない。自分では何もできないし、何も知らない。相手と協力する術も学んでこなかったし、自信を持って一人でできる分野もない。すると安倍首相のようになってしまうのである。

こうした人が危険なのは相手に気に入ってもらうためには無制限に相手のいうことを聞いてしまうという点であろう。協力して何かを成し遂げるということはできないから自分が持っているものを差し出してしまうのだ。だが安倍さんの場合それは全て他人のものである。例えば岸家の名声だったり国民の税金だったりする。だから安倍首相の外交はバラマキ以外は全て失敗している。北方領土交渉でプーチン大統領に笑われ、原子力発電所の売り込みもうまくいかなかった。「面倒な問題を考えたくない」と政治に関わらなくなった日本の有権者とそもそもまとまるつもりのない野党以外には彼は勝てないのだ。

しかし、こういう問題を抱えたトップリーダーは多い。日本の会社では経営者幹部候補者に3年程度のローテーションをさせるというようなことがある。特定の職場の色がつくとトップリーダーとして「使えなくなって」しまうからである。さらに経営者としての箔をつけさせるために「わざと花を持たせる」というようなこともする。実際には何もできない人に恩を着せてそのあとを有利に進めようとする人がいる。こうして育ったリーダーは会社の外では役に立たない。

日本のリーダーはお神輿に過ぎないので、存在感はあるが何もできないように去勢して育てるのが良いのだろう。神格化しても実際の権限は持たせないのが「正しい」やり方で、これは企業でも政治でも変わらない。こうして去勢して育てたほうが、周りの人たちにとって「便利な」道具になるからである。

安倍首相もそのようにして<育てられた>のだと思う。問題は彼が力強いリーダーであるという間違った自己像を持っているという点である。彼が政治的リーダーとして売り出す過程で「北朝鮮問題に毅然と対応する力強いリーダー」という売り出し方をしてしまったために、自己像と実力の間に乖離が生まれてしまったのではないかと思う。北朝鮮から拉致被害者が帰ってきたのは単なる偶然だった。だが安倍首相は嘘をついているうちにそれが実力だと信じ込んでいるのだろうし、周りにそう思っている人もいるのだろう。

安倍首相が関わった全ての問題で感情的なしこりが生まれるというのは、日本が現代化する過程で伝統を無視した西洋的なリーダーシップを指向してしまったために起きた悲劇なのかもしれない。そしてこの後も彼が政権に居座り続ける限り同じようなことが続くだろう。

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