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水道民営化の是非について考える

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水道民営化の議論が進んでいるという。だが、この問題についてテレビや新聞で議論しているのを見たことがない。その一方でTwitterでは「命の水を売り渡すな」という過激な言動が飛び交っている。一部の左派系議員もこれに同調する。「安倍政治が外国に日本人の命を売り渡している」という印象を作りたいのだろう。

実はこの議論を見て分かるのは安倍政治の腐敗ではない。それは政治の無気力化である。与党の側は民間業者を導入すればたちどころに問題が解決すると考えている。公明党は選挙で弱い地盤にくいこめるという目論見もありそうだ。一方で野党の側は「水インフラをどう維持してゆくのか」という提案ができずにいる。結局、国政はこの問題を地方行政と民間に丸投げすることで逃げようとしているのである。

これに加えていつものような稚拙な政治家のコミュニケーション能力が反発に輪をかけている。

麻生太郎財務大臣が水道民営化について言及し「命を売渡すのか」という懸念が広がっているというのだが、実はこれは2013年の発言である。なぜアメリカのシンクタンクでこのような話をしたのかはわからないし、麻生さんはあの調子なので誠実に説明することはないだろう。そこで「外資に日本の魂を売り渡そうとしている」という論調が生まれた。この情報源を読んでみたのだが国の資産から水道を切り離すことで将来の負担を減らそうとしていると書いているのだが、水道事業を持っているのは地方行政なので、そもそもこの論は成り立たないのである。

公明党はこれを選挙メッセージにしたいらしい。政府としてもこの要請に沿って「大阪北部地震で老朽化対策が必要だということが認知された」ととってつけたような説明しているようだ。

外資ばかりが水道事業に参入するという決めつけも間違っている。そもそもの主眼は広域化である。日経新聞は水道事業運営の広域化の「ついで」に運営を民間に売却できるとしている。開発途上国相手に公共インフラを輸出したい日本企業は「まずは日本で成功体験を作ってから横展開したい」と考えているのだろう。フランスの2社が水ビジネスの勝者になれたのはフランスで民営化が早くから進んだためである。日経新聞の別の記事によると外国の官庁との交渉経験が豊富な総合商社が水ビジネスに熱い視線を注いでいることわかる。

財界が水ビジネスの民間参入に期待しているという背景があり日経新聞はあまり踏み込んで書けないのだろう。一方で、産経新聞は民営化は住民の抵抗感が強いということを認めている。「災害時の水も有料になるのか」と言うTwitterのコメントを見かけたが、水はそもそも有料な上にインフラをすべて手放してしまうわけでもなさそうである。

水道法改正案では、事業者に対し「水道の基盤強化」への責務を規定。特に都道府県には、基盤強化計画の策定など広域連携の推進役としての役割を盛り込んだ。もう一つの鍵は「民営化」。ただ、水道の民営化には住民の抵抗が強い。法案には「市町村が経営」という原則を維持したまま、運営権を企業に売却した場合でも、災害時などに自治体が責任を負える形にし、官民連携を記した。

IMFが日本支配を企んでいると書いている人もいるのだが、IMFが水道事業を民営化したいのは開発途上国では行政基盤も住民監視も脆弱なので水道行政が著しく不効率になるからである。支援対象者が効率的な運営ができないと援助が効率的に行えない。グローバリズムを「大企業の金儲けだ」と思いたい人にとってはコチャパンパの事例はグローバリズムの失敗例としてうってつけである。だが、実際にはコチャパンパの水道普及率は極めて低く、そもそも水が得られない人たちが多かった。これを普及率の高い日本に当てはめるのには無理がある。

先進国にとって重要なのはすでにできた水道管の維持管理である。水道はもっとも早く普及したインフラなので効率化が進んでいない。そこで水道民営化推進論者はビジネスチャンスの増加などを期待しつつ広域化のメリットを次のように挙げている。現在の地方自治体単位の水道事業は効率が悪いので広域化して集約を行うことで効率的な水道事業運営ができるだろうと言うのだ。国としては県の単位まで広げたいらしい。確かに自治体がそれぞれ水道技術者や整備のための機材をを抱えるよりは集約した方が良いだろうということはわかる。

立憲民主党と国民民主党はコンセッション方式のみを除外した対案を提出したという。コンセッション方式は後述するように問題が多い。かといって地方自治体が「下請け的」に水ビジネスを民間委託しても参入する業者は多くないだろう。そもそも、民間業者は儲けなければならない上に水道事業は今でも赤字事業なのだから水道料金は今よりも高くなるはずだ。民営化の成功例として語られるJR九州が成功したのは不動産ビジネスを手がけたからである。つまり税で補完するか他の事業から利益を転移させなければならないのである。外資の場合は日本で儲けられなければそのまま撤退してしまうはずである。つまり、コンセッション方式だけをやめても問題は何も解決しないのである。

また、条例さえ作ってしまえば議会承認が必要なくなるという問題もある。つまり議会で多数を握っている人たちが承認さえしてしまえば「後の面倒な議論はしなくても構わない」ということになってしまう。

コンセッション方式の問題

地方自治体がインフラを持ったままで運営と営業権だけを売り渡すコンセッション方式には問題が多い。市場化が起こらないからである。つまり地方自治体が独占している水道が独占状態のままで私企業に移管されてしまうからである。例えば二つの水道から好きな方を選べるなら安い方を選ぶだろうし、水にプレミアムを乗せてもよいという人は贅沢な水を飲むかもしれない。つまり、一つの家に二つ以上の蛇口がないと市場化が起こらないのである。

コンセッション方式では競争相手がいないために、水道運営会社はできるだけ水道施設整備をしないで、高い価格で水を買わせた方が良いという問題が起こる。コンセッション方式の問題点はすでにNewsweekでも指摘されているのだが、これについて与野党の政治家が議論したという形跡はない。そもそも国会では議論すら行われていないようなので、この問題はそのまま地方自治体に丸投げされることになりそうだ。そこで安易に国を信じて「国策だから」とコンセッション方式を採用してしまうと「あとは自己責任でやってください」ということになる。さらに議会にも諮らなくてよくなるので住民が関与できなくなってしまう。

外資依存の問題

次の問題が外資依存だ。麻生財務大臣がジャパンハンドラーとされるCSISで「水道事業を民営化する」と主張したのが問題になっているようだ。こうした発言は謀略論と結びつきやすい。だが実際にどのような意図でこのような発言をしたのかはよくわかっていないし、文脈についての考察もほとんどない。

実際に世界の水道事業は3社ほどの「ウォーターバロン」と呼ばれるプレイヤーがいるのは確かである。これがほとんどうまくいっておらず、中には再公営化した地域もある。日本の企業とは事業規模が全く違う。

地方自治体がこうした外国の企業に水道事業を委託すると何が起こるだろうか。最初のうちはうまくいくかもしれないが、水道事業は地域独占なので水道業者が利益追求に走れば水道代が値上がりする。それが株主の配当や高額の報酬につながっても地方議会は文句を言えない。それが問題になったところで業者の撤退が始まるだろう。ビジネスとして旨みがなくなってしまうからである。民間の撤退事例にはカルフールがある。地域の大型店は準インフラのような存在だったがあっさりと撤退してしまった。あまり大きな問題にならなかったのは国内にAEONという受け皿があったからである。仮に国内事業者が育っていないと水道維持の技術が国から失われることになるだろう。

この問題の背景にあるのは地方自治体が中途半端に市場に介入してしまうことの問題点である。BLOGOSはイギリスでは水道事業者の再編が起こる過程で「金融ギャンブル」が起きたそうだ。

監視と撤退の問題

地方自治や国政では、今でも情報隠蔽の問題が起きている。私企業が絡むと問題はさらに複雑化するだろう。情報隠蔽の例として有名なのがアメリカのフリント市の事例である。自動車産業が壊滅して貧困化が進み老朽化した水道管から鉛や消毒剤が変化した発がん性物質の入った有毒の水が流される事態に発展した。水質の悪い川に水源を付け替えたことで問題が深刻化したという。だが、有毒の水が流れているということがわかっても改築のめどが立たない。フリント市では問題が認知されるまでに長い時間がかかった。WIREDの記事によると同じようなことは別の街でも起きていたようだ。

それから30年後のワシントンで、彼は生物の共生と同じくらい不安定かつ非常に高額な金の絡んだシステムを修復しようとしていた。エドワーズはヴァージニア工科大学のオフィスから、州政府と連邦政府に対して情報公開法にもとづいた開示請求を行った。それが受け入れられるまでに5年かかったが、大規模な鉛害を証明するデータの全貌が明らかになった。議会の追及により、ワシントンの地方自治体は長年にわたって水質調査の結果を無視し続けていたことが明らかになった。数百人どころか、数千人規模の子どもたちが被害を受けていた。

この事例だけを見ると意識の低い地方自治体よりも私企業の方がうまくやるだろうと思えるのだが、自治体が「税収が安定しないから」という理由で民間に事業を丸投げして同じような問題が起きたらどうなるだろうか。私企業を監視するのは地域住民ではなく株主なので、安心安全より営利が問題になるだろう。

オバマ大統領はフリント市の問題について抜本的な解決はできず、共和党の政策を避難した上で「フィルターを買えば安心して飲めますよ」というパフォーマンスを行ったにすぎなかった。結局、ミネラルウォーターを無償提供することで問題を解決したようだ。日本も広域化を進めないと同じような問題が起こる。しかし、広域化した上で私企業を加えても問題が大きくなるだけである。フリント市は市域で問題が起きただけだったが、これが例えば和歌山県や高知県全域で起きたらどうなるか想像してみていただきたい。

では、現在の市民生活はどうなっているのかというと、全国の民間企業から何百万という単位で「ミネラル・ウォーターの無償提供」がされているので、当面の飲み水には困らない状況です。ですが、「フリント川の汚染水」で極端に腐食の進んだ「市内に張り巡らされた水道の鉛管」を交換するような財源はどこにもない中で、安心して飲める水道水が戻ってくるというメドは立っていません。

BLOGOSの記事ではパリは住民が参加することで経営を見直してコスト削減ができたと書いてあるが、お任せ民主主義が徹底している日本では非難合戦だけが横行し現実的な解決策が得られない地域が続発しそうに思える。今でも日本では政治の問題の多くが見て見ぬ振りされている。森友加計学園問題では省庁間の責任の押し付け合いに「キャラの濃い」企業経営者までが出てきて大騒ぎになった。つまり、森友加計学園問題で起きているのと同じようなことが全国各地の自治体の水道で起こる可能性があるのだ。

実は問題の先延ばしをしているだけ

水道事業の問題は実際には問題を先延ばしにしているだけということになる。地方自治体は行き詰っており水道網を整備できそうにない。そこでその問題を解決するために「公費を使わないようにするにはどうしたらいいか」という<議論>が行われ、では民間活力を入れればなんとかしてくれるのではないかと着想したのだろう。確かにうまく行くところもでてくるかもしれないが、そうではないところが出てくるだろう。その時に、国や地方自治体が介入すると企業は撤退してしまうかもしれない。かといってそのまま放置すれば古い水道管が破壊されたり鉛が漏れ出すというようなことが起こる。

こうした一連の問題は全く議論されずすべて地方議会に丸投げされることになる。地上に出ているブロック塀の安全対策すらできないのだから地下に埋まっている水道管についてわかるはずもない。問題が出た時にいちいち騒ぎが起こるだろう。あるいみ民間事業を巻き込んでパンドラの箱を開けてしまったのである。

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