森友問題でいよいよ佐川国税庁元長官が証人喚問されるそうである。一方で安倍昭恵さんは招致されない。自民党は財務省に責任を押し付けて政治は知らなかったという所を落とし所にするのだろう。しかし、佐川さんを血祭りにあげたところで国民は納得しないだろう。すでに西田さんというネトウヨ議員が歌舞伎ばりに理財局長を吊るし上げたが「どうせ芝居だろう」と見抜かれてしまっている。そこで、どうやって自民党政権に痛みがあるように「見せるか」というのが次の焦点になりそうである。
日本人は言葉を信頼しない。もともと正解があってその正解に合わせて言葉を作るからだ。本質的な議論はアンダーテーブルで行われることを知っている。だからそのアンダーテーブルの議論に一定期間(あるいは永遠に)参加できないことだけが「本当の反省」を示す手段になる。だからすぐに「辞めさせろ」ということになるわけである。
しかし、誰かを血祭りにあげても安倍政権は倒れないであろう。これは、安倍昭恵さんを国会に引っ張り出してきてマリーアントワネットのように断罪し、安倍首相の「処刑」を望む人たちの欲求が満たされないということである。それは皮肉なことだが、日本が法治国家だからである。法治国家では裁判なしに人を裁くことはできないし、国会は裁判の場所ではない。
この戦いに勝利しそうなのは、実は自民党の反主流派の人たちである。安倍官邸側に「貸し」を作ることになるからだ。野党もこれに乗らざるをえない。なぜならば国会に出てこないと自分たちの利権を守ることができないばかりか、存在感も示すことができない。野党は佐川元理財局長に対する証人喚問が行われることで国会を「正常化」することに決めたらしい。
つまり、左翼の人たちはいずれにせよ勝利を手にすることはできないことになる。
怖いのはその反動である。
3.11後の原発反対運動を思い返すとよくわかるのだが、盛り上がったあとで「何も達成できなかった」という揺り戻しが来る。確かに彼らの主張通り原発がなくても電源が足りているということは証明できたし、多くの人が集まってくることによる連帯感も確認ができた。しかし、結果的に彼らの声は無視された。日本は小集団の利権で動く国であって、反対運動にはその場の盛り上がり以上の意味はない。そしてそのあと「あんな戦いに参加しても達成感が得られない」ということになってしまい、運動は縮小した。あの時「原子力発電所はなくしてしまえ」といって盛り上がっていた人たちは「憲法第9条は戦争への道」といういつもながらのスローガンに逃げ込むか、「もともとお付き合いで参加していただけだ」としか言わなくなった。
断罪に期待感を抱いている人はいますぐその希望を捨てるべきだと思う。野党に裏切られたあとで揺り戻しがくることは明白だからである。
日本の政治を健全なものにしたいという意識があるのなら、まずは「立憲主義を取り戻す」とか「法治主義の破壊は絶対にダメだ」などというスローガンを捨て去らなければならない。代わりに法治主義や立憲主義が何のために存在するのかを真面目に勉強しなければならないのだが、そのためにはそれが機能している国を実際に体験する必要がある。
実際には左翼の人もまた正解に支配されている。だから、民主主義という探索型の行動が理解できない。
安倍首相を避難している人たちは最初から「安倍はダメ」という正解を決めてしまっており、あるべきストーリーを設定し、そのストーリーに固執し続ける。現在安倍政権の説明は完全に破綻しているが、それはネトウヨの人たちにとってはどうでも良いことだ。安倍政権がそれを主張していているという事実だけが大切なのである。こうしたメンタリティが成り立つのは、実は説明の内容などどうでもよいからである。
しかし、左翼の人もまた同じ行動パターンを持っている。法治主義や立憲主義が絶対だと思い込んでいる。これは野党がそう言っているからである。野党もまた権威付けのために憲法学者などを利用するのだが、彼らの中には憲法は国際法規よりも上位にあると主張する人たちがいるそうである。
この両者は政治的に対極にいるように思えるのだが、実は小さな村を形成しているという意味では似通っている。お互いにすでに排除された経験を持っているので、ことさら何らかの権威にしがみつくのだろう。
現在、官僚機構に何らかの問題が起きており、その問題のせいで何人かが亡くなったということはたしかになっている。これは官僚組織という「意味の人間ピラミッド」が破綻しており、その破綻を支えきれなくなっているということを意味する。本来なら何が破綻しているかを突き止めて、その原因を取り除いてやる必要がある。
しかし、実際に行われていることはその破綻を誰かのせいにして自己の正当化を図ろうという浅はかな試みだ。政権側は官邸が間違いをおかしたとして国会の場で官僚を恫喝して見せた。しかし、反対側の人たちも実は安倍昭恵さんらを恫喝して見せしめにしようとしている。そして政治家は「どっちに乗ったら今後得なのか」を考えて様々な発言を繰り返している。
このままでは矛盾が起きるたびに誰かを血祭りにあげる粛清国家が出来上がり、その度に派閥などの小勢力が得をするという不毛な社会が作られるだろう。