森友学園問題でついに財務省が書き換えを認めた。意外だったのはNHKがこれをかなり攻めて伝えたということである。当初は政権に非難の矛先が向かわないようにすべてを伝えないのではないかと思っていたのだが、実際には逆だった。これがどういう意味を持つかはおいおい考えるとして、まず報道された内容を比較して行こう。
3/12 NHKお昼のニュースは次のように伝えた。
- 財務省が調査結果を明らかにして、与党幹部に伝えた。
- 国会に取り上げられた2月以降4月にかけて5件の文書の書き換えを行い、辻褄を合わせるのに他の9件も書き換えた。
- 森友学園が安倍昭恵さんの名前をあげていた点が削除された。事前の価格交渉を伺わせる記述や本省(理財局)の関与をうかがわせる内容も削除された。
- 報告書は80ページだった。
- 森友学園は現地に安倍昭恵さんを案内したことを財務省に伝えており、決済文書にも書かれていた。
- 今後、参議院と衆議院の委員会の理事懇談会で説明予定
TBSのニュースは次のように伝えていたのだがその内容はNHKよりも控えめになっている。
- 財務省は与党幹部などに調査結果を報告した。
- 財務省は決済文書の書き換えを認めた。
- 安倍昭恵さん・平沼さん・鴻池さんなどの名前が入っている。
- 決済文書と国会で使った文章に違いがあり14の文書で削除や訂正があった。安倍昭恵さんの名前は「売買とは別の項目」にあった。
- 書き換えは2017年2月以降だった。
- 財務省は理財局がやったと見ている。
NHKは明らかに「安倍昭恵さんが関与していたら辞める」という首相答弁と書き換えの関係について言及している。首相の答弁の結果決済文書が書き換えられたのだから、当然総理大臣が関与しているとみんなが漠然と思っているという文脈が織り込まれている。一方、TBSはこれをボカして伝えている。だからTBSのニュースを見ただけでは「2月という時期がなぜ重要なのか」がわからないのだ。
「私や妻が関係していたということになれば、これはもうまさに総理大臣も国会議員も辞めるということははっきり申し上げておきたい」という首相の発言は2017年2月17日の予算委員会で福島委員への答弁だった。この答弁(というよりほとんど不規則発言だが)に合わせる形で理財局の答弁が行われ、それに合わせるためにドキュメントの書き換えが行われていたことになる。NHKはこの疑惑を反復する形で報道を組み立てているのでわかりやすく感じられるわけである。
これについてはいろいろな憶測ができる。安倍首相に法的な責任が及ばないということがわかったので「事実をつまびらかにして良い」という調整がおこなわれた(あるいは調整そのものがなかった)可能性がある。その後、安倍首相のトーンは「理財局が勝手に書き換えを行ったので自分たちの内閣がこれを調査する」と切り替わっているので報道との整合性が取れる。一方、TBSは官邸とはつながっていないだろうから「これを言ってあとから怒鳴り込まれたらどうしよう」と考えて遠慮した可能性がある。
だが、今回考えるのは別の可能性である。「トカゲの尻尾切り」に関する現場の義憤がかなり広範囲に広がっているのではないだろうかというものだ。実は報道現場はかなり異様な状態になっているらしいのだが、その様子が珍しく詳細に伝えられたのである。
実際に麻生財務大臣の記者への受け答えを見た人はわかると思うのだが、現場記者の麻生大臣への怒りは相当なものである。東京新聞だけでなくNHKの記者も名前をあげた上で麻生大臣に食い下がっていた。他にも、麻生財務大臣が東京新聞の記者に「上司に言われてやってるのか」とニヤニヤ笑いながら答える映像がフジテレビで流されていた。これは責任を取らないトップにうんざりしている現場の人なら誰でも反感を持つだろう映像だ。だからこそ東京新聞の記者に向けられた暴言にフジテレビが反応したのかもしれない。
麻生大臣は官僚を自分の従属物のように扱っているだけでなく、たかだか使用人の分際に過ぎないサラリーマン記者ごときが俺様に歯向かうのかという態度で記者会見に臨んでいる。記者達は有権者が政治を監視しているというつもりで乗り込んで行ったのだろうが、麻生大臣にとっては「使用人の集まりが騒いでいるので、俺が言い含めてやった」くらいの意識なのではないかと思うくらいだ。多分「記者と俺とでは身分が違う」と思っているのだろう。これは官僚や記者だけでなくテレビの向こうにいる全ての「使用人たち」を怒らせるのに十分な材料になりそうである。
自民党の憲法草案を見てもわかる通り、彼らは強い選民意識を持っている。民主党に政権が渡ったとき「有権者ごときが俺様に逆らった」という人が多かったのだろう。国民が人権を持つなどという考えは間違っているという怒りを持つ議員が大勢現れた。
今回も「使用人の分際である記者」が「自分たちの使用人である官僚の不始末について」あれこれ言うのが不快なのであろう。幹部の名前は呼び捨てにし、その下で働くノンキャリアについては「名前さえ」知らないと恥ずかしげもなく言及していることからもそれはうかがえる。
これは安倍首相にも通底した考え方であろう。
もし、首相からの明確な指示がなかったとすれば、現場担当者の自殺は安倍総理大臣が安倍昭恵婦人の自分探しを「野放しにしていた」がために官僚が無理を重ねて起きた書き換えである可能性が高い。
仮に明確な指示があったとすれば官僚は書き換えなどすれば法的責任を問われるということを反論できたはずだし、記録に残れば政治責任を問うことができる。しかしながら、明確な指示がなく単に不機嫌になり部下達を使って有形無形の圧力をかけていたとしたらどうだろうか。政治家は少なくとも気分的には何の責任も取らずに居られるのだ。
官邸に接している幹部達は自分の命運が官邸に握られているということをよく知っており、ことによっては部門ごと潰される可能性すらあるということも知っている。そこでいろいろと考えた結果「法律を犯すしかない」として一線を踏み越えた可能性がある。これが「曖昧さ」のもたらす悲劇である。曖昧なほのめかしによる指示は議論を伴わないし、指示命令者の責任も伴わない。
これは裁量労働制として「裁量を与えてやったのだから」過労死しても「勝手に死んだ」というのと同じロジックだ。つまり、首に鎖をつないだままで「好きなところに行っていいよ」と指示して餌を持ってこなかったら斬り殺してしまうということである。
そもそもこの件は安倍昭恵案件であり日本会議案件だ。そこで現場担当者はどうにかしてこれを証拠として残さなければ責任を押しつけられかねないと考えたのだろう。だが、その抵抗は虚しく終わる。
実際に証拠は官邸から握りつぶされ現場が勝手にやったことと判断されかねない状況に陥っていたわけで、現場担当者の予想は正しかったことになる。このままでは自己の正当性が消されかねないと考えたとしても不思議ではない。鎖に繋がれたままで組織から見捨てられようとした彼が世間に訴えるために最後に賭けられるものは一体何だったのかと考えると胸が苦しくなる。
安倍首相が官僚を使用人だと考えているとすればこれまでの安倍首相の反応は全て説明がつく。使用人がご主人様の奥様を恭しく待遇するのは当然のことである。夫人の自分探しという私的なことであったとしても、使用人の分際でぞんざいに扱うことは許されないからだ。
麻生大臣ほどあからさまではないにせよ、安倍総理大臣も自分がやったことを反省していない可能性がある。使用人の分際でご主人様の顔に泥を塗った。これは徹底して糾弾されなければならないと考えるだろう。
もちろん、この感情的な見立てが正しいかどうかはわからないのだが、もし当たっているとしたら安倍首相も麻生財務大臣もこの一連の件に責任を感じることはないだろう。だから全ての抗議運動は無駄だし、民主主義がどうしたと叫んでみても徒労に終わるはずだ。
だが、本当にそれで終わるだろうか。
少なくとも、麻生大臣の一連の記者恫喝発言は様々なシーンで繰り返し使われるようになるだろう。現場で取材をしている記者たちは本社のロボットとして仕事をさせられているわけではない。それぞれの正義感から記者になったはずだ。そういう人たちにとってこの麻生財務大臣の不遜な態度は、全ての現場と自分自身への自己否定に聞こえる。
NHKがどういう気持ちで今回の出来事を伝えたのかはわからないのだが、こうした現場の義憤があったものと思いたい。官邸がこれを抑えようとしてNHK幹部に圧力をかけて報道に介入すればもっとひどい揺り戻しが起こるはずである。
この問題はもちろん法治主義に対する冒涜という線で語られるべきなのだろう。しかし、そこに隠れているのはかつてあった階級社会の残滓が政治を歪め、国有財産の私物化につながったという問題なのかもしれない。
その意味では安倍昭恵さんの罪は思い。彼女は財閥令嬢として生まれ「女は夫に従うべきで余計な教養を持つべきではない」とお嬢様学校に入れられる。そして世間を知らないまま結婚し、私の人生はこんなはずではなかったと様々な活動に首をつっこむ。夫が「ちょっとした可愛い妻のわがまま」だと考えて放置しているうちに影響が広がる。夫は明確な指示も与えず、かといって自分が放置した責任も取らない。そこで周囲が慌てだして最後には追い詰められて死者が出たという構図である。
社会的な問題に関心を持つのは悪いことではない。しかし、そのためには自分が何をしているのかということを客観的に捉える必要がある。彼女にその能力がないのなら周りがサポートしてやるべきだった。しかし、自分の立場が危うくなることを恐れた周りの人は誰一人そうしなかったのだろう。安倍昭恵さんの罪が重かったのと同等かそれ以上に周りの人たちにも大きな責任があると言える。