さて、これまで「Gゼロ後の世界」を読みながら、あれこれと考えてきた。予測していたことではあるがページビューがあまり見込めない。定期的に読んでくださっている人はよいのだが、ソーシャルメディアからの流入が少なくなるからだ。ソーシャルメディアは人格攻撃への反応が強い。つまり、現在の日本はかなり不機嫌な社会になっているということがよくわかる。
このことは多分、私たちの社会が自律的で自発的な問題解決能力を失いつつあることを示しているように思える。不調はすべて人のせいであり自分たちは悪くないという社会である。今回の話はいささか込み入っているので先に結論を書いてしまうと、我々は巨大な敵がいなくなったことで、味方同士の「万人の万人に対する闘争」状態に入ってしまったのかもしれない。そこに現れる敵はおそらくなんらかの幻影だろう。
Gゼロ世界を読んで印象的だったのは、ソ連が崩壊したあと却って「安心・安全」のインフラを提供する国がなくなってしまったという点だ。もちろんイアン・ブレマーはそのようなこと言っていないのだが、民主主義が成立するためにはなんらかの統合原理が必要で、それは巨大な敵の存在以外にはないのかもしれない。
第二次世界大戦後の世界は西側から見れば「ソ連と悪辣な共産主義さえなくなれば平和が訪れる」というのぞみによって支えられていた社会だった。しかしそれは同時にある種のまとまりをつくっていたのだとも言える。西側世界がバラバラになって喜ぶのはソ連などの東側世界だからだ。
「日本の民主主義は崩れかかっている」と言えそうなのだが、アメリカでも同じような動きが出ている。トップリーダーを選ぶ仕組みが完全に崩壊してしまったようだ。日経新聞に面白い文章が出ている。「ロシアゲート 厄介なシナリオ」というエコノミストの転載記事である。この記事によると、トランプ政権はトランプ大統領がその場その場での演説の受けしか考えていないというようなことが延々と書いてある。こうしたその場しのぎの対応はどこかで行き詰まりそうなものだが、実際にはそうならない。議会が機能不全を起こしているからである。
議会は大統領を弾劾できるものの、トランプ氏を追い落とすには分断されすぎているようにみえる。アラバマ州連邦上院補選で10代の少女数人へのわいせつ疑惑が出ている候補を応援している共和党は、トランプ氏に背を向けるには道義的に堕落しすぎ、党の未来に不安を抱きすぎているように見える。
つまり、議会が腐敗していて問題解決能力を失っているので、結果としてトランプ大統領が放任されてしまうと言っているのだ。同じような動きはヒトラー誕生前夜のドイツにも見られた。
トランプ大統領がどの程度危険なのかはわからない。ヒトラーとの明確な違いは「アメリカをどこかに導きたい」という明確なビジョンが見えないことである。このままだとアメリカはなにの理由もなく、その場しのぎの対応を繰り返した挙句、今よりももっと大きな対価を支払う社会になるかもしれない。
アメリカ人はうすうす格差が問題の根源にあることに気がつきつつある。しかしながら、それを認められないので「イスラム教徒さえ排斥してしまえばなんとかなる」と考えようとしている。仮にイスラム教徒が排斥できたとして、次に暴動を起こすのは取り残された白人かもしれない。実際に銃を使った白人の犯罪もなくならないが、これは「テロ」とは呼ばず厳格に区別している。
日本の議会でも実は同じことが起きているのかもしれない。だが、アメリカ人が「アメリカの議会が機能不全に陥っている」とは思わないように日本の議会も機能不全に陥っているようには思えない。
日本の議会が機能不全に陥っているのは、背景に恐怖心があるからだ。日本の議員たちは口では経済はうまくいっているなどと言っているが、実際には実社会は地獄だと考えているのだろう。議員の身分がなくなってしまえば、地獄で暮らさなければならない。特に自民党の議員たちは、議員の身分を持っている間は放言を繰り返すが、政権から脱落して失職してしまうことだけは絶対に避けなければならないと考える。
自民党は政権交代を許したトラウマから脱却できていないのだろう。たまたま安倍政権がうまくいってしまったために「これを変えてしまえばまた前のようなことが起こるのではないか」と考えても不思議ではない。安倍政権にしがみついていて官邸に逆らうようなことはできない。野党に至ってはもうなにを言っても国民の支持が得られない。かといって政策立案能力があるわけでもないので、与党攻撃を繰り返し国民から飽きられてゆくというサイクルに入っている。こちらも巨大な敵を作り上げてその幻影にしがみついている。野党が本来戦うべきなのは国民の諦めからくる無関心と与党政治家の間に広がる無力感だ。
議会が正常に機能しなくなると、政府が文書を隠したり、特区を作って法規制をゆがめたりと政府はやりたい放題になる。私たちがこの数年で見てきたのは、実は安倍政権の腐敗ではなく実質的な議会の崩壊なのかもしれない。
つまり、安倍政権が崩壊してしまった後には、バラバラな議会だけが取り残されるということになるのかもしれない。こうしたバラバラな議会をまとめるためには中国や北朝鮮のような巨大な敵が必要だ。麻生太郎副総理の「北朝鮮のおかげ」発言は失言ではないかもしれない。しかし、このような巨大な敵を作ってしまうと協力が難しくなる。
安倍政権が崩壊した後のシナリオは、議会がまとまらなくなり何も決められない政治に逆戻りするか、あるいは巨大な敵をでっち上げてそこに向かっての攻撃をしかける政治に落ちてゆくのかどちらなのかもしれない。