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Gゼロ世界で日本はどう行動すべきか

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さて、前回までの二回でGゼロ世界について考えた。Gゼロ世界は、平和維持のためのインフラを世界レベルで提供する覇権国がないという世界のことである。こうした世界では旧来のスキームにしがみつくことが最も危険で、複数の国と協力体制を取りながらいろいろな方向に動けるようにしておくことが重要である。

日本は軍事的に対米追従を強めており、これは極めて危険である。危険という言い方が悪ければ「あまりコスト的に賢い判断ではない」と言い換えても良い。アメリカには世界レベルの治安維持の意欲も実行力もない。だが、第二次世界大戦後に国力の違いをまざまざと見せつけられた日本人にはその自覚がない。そこで世界情勢が悪化すればするほど、アメリカへの追従を強めてしまうのである。反対に中国のイメージも第二次世界大戦後とあまり変わっておらず、従って中国に対しては必要以上に強気に出る人が多い。

こうした日本人の態度は、もちろん安倍首相の卑屈なまでの対米追従を見ていればよくわかる。しかし、それはなにも安倍首相に限った話ではない。例えばNHKの語学テキストの売り上げランキングを見てみると、英語に関してはさまざまな種類のテキストが出ている。これは英語さえ話せればなんとかなるという願望めいた見込みがあるからだろう。しかし英語といってもイギリスに興味があるわけではなく、あくまでもアメリカ人と友達になりたいのである。一方で中国語を学ぼうという人はそれほど多くない。非英語で最も売れているテキストはおそらく韓国語だが、これはドラマや歌手に影響を受けているものと思われる。中国人は一生懸命日本語を勉強してコンビニで最低賃金で働くべきだというような頭担っているのではないかと思われる。日本人がわざわざ中国語を勉強するなどということを真剣に考える人はそれほど多くないのではないだろうか。

北朝鮮制裁を見ていると、国際的な協調はほとんどうまく行っていないことがわかる。北朝鮮は核兵器を開発する可能性が高いだろう。しかしアメリカのメッセージはそれほど役には立たない。イランの核開発凍結合意にしろ、エルサレムへの大使館移転にせよ、トランプ大統領はなんら実効的な手段を講じておらず、単にスピーチの時に支持者の拍手を得る材料として利用しているにすぎない。トランプ大統領の北朝鮮に対する挑発は北朝鮮が核兵器を開発するための口実にはなっても、実際の抑止力としては働かない可能性が高い。こうした矛盾が累積するとアメリカ国内の世論が持たない。そこで出てくる最終手段が「戦争」というわけだ。

世界情勢が不安定になればなるほど、日本人は「強いものについて行きたい」というしがみつき行動に陥るのではないかと思える。つまり、対米追従策を支持する政権が選択されることになるだろう。これが「いいオプションなのか」「悪いオプションなのか」はわからないのだが、一番金がかかるオプションであることは間違いがなさそうだ。アメリカから割高な防衛装備品を購入させられた上に、オペレーション上の自由度がない。さらに、実際に北朝鮮から流れ着いてくる漁民に対しての警備にかける金はないようで、すべて地方に丸投げになっている。つまり、実際の脅威への対応はおざなりになり、アメリカの機嫌を取るために武器を買うのに使われてしまうのである。

有権者が冷静ならば野党を支援して自民党にプレッシャーをかけようという気分になるのだろうが、有権者は静かなパニックに陥っている。そこでもっと自民党を支援して昔のような平安を取り戻したいと考える。

では、なにがもっとの賢い選択肢になるのだろうか。第一の選択肢は自前の防衛と国際的なプレゼンスの維持である。アメリカに追従するのをやめて、国連などを中心とした平和維持活動に積極的に参加するなどのオプションが考えられる。しかし、日本には「専守防衛」をいう人はいても、国際的な貢献を語る人はいない。

この専守防衛は多分二番目にお金のかかるオプションである。つまり、平和維持のための支出をすべて日本だけで賄う必要があるからだ。日本人に「日本は小さな国か」と聞くと七割がた以上の人は「そうだ」と答えるだろう。しかし、実際には日本の海洋面積は世界第6位なのだそうだ。つまり、外国からの海からの進出に対する防衛にはとてもお金がかかる国であるということだ。これを1カ国で守るのはとても難しい。だから普段から様々な貢献が必要で、それはアメリカとは無関係に行う必要がある。

安倍首相は「戦後レジームからの脱却」と言っていたのだが、実際には戦後レジームそのものが崩壊の危機にあることがわかる。そんな中で「自衛隊を正規軍化」するというのはもはや避けられない。一方で、日本の政治は第二次世界大戦のトラウマを抱えたままで、東西冷戦の印象を引きずっているので、未だに「西側世界につく」か「戦争をしない国になるのか」というもはやなにの意味もない議論が延々と繰り広げられている。

あえて言うと、隣の国が核兵器を開発して日本海に向けて配備しようとしているのに「第二次世界大戦が正しかったか間違っていたか」などというのはもうどうでも良い議論なのである。どうでもいい議論というのは言い過ぎかもしれないが、だったら「余裕のある人たちが神学論争的にやっていてくれればいい」ということになる。

第二次世界大戦では言論の自由がなく「大本営発表」があったために国民は「自分たちは騙された」と思わずに済んだのだろう。ところが今回は言論の自由も報道の自由も認められている。にもかかわらず産経新聞と読売新聞は、なにの軍事的・予算的な裏打ちもなく「北朝鮮を追い詰めろ」というようなキャンペーンをやっている。もし仮に何か問題が起こったときに彼らはどういう言い訳を考えるのだろうかと思うのだが、おそらく何も責任をとらないか「想定外だった」というのだろう。

もちろん対米追従からの脱却はそれほど簡単ではない。ヨーロッパはアメリカの軍事力に過度に依存する形になっている。NATOの中ではアメリカが突出して軍事力支出が高いのだそうだ。しかしそれでもEUが機能しているので、NATOを補完する形で独自の軍事力を増強して行こう(日経新聞)という動きが見られる。

一方で日本にはアジアの経済同盟すらなく、さらに国民もなんとなく「日米同盟があれば良いのではないか」と考えているのではないだろうか。日本人はバカで、何か重大なことが起こらなければ目が覚めないなどとは思いたくないが、現実にはその可能性が極めて高い。

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