ざっくり解説 時々深掘り

自民党を立派な政権与党に見せかけるテレビの危うさ

立憲民主党を「にわかヒーロー」に祭り上げたSNSの恐ろしさというおぞましい小論文を読んだ。書いたのは岸博幸という元官僚である。SNSという「愚民装置」が立憲民主党という見せかけの政党を野党第1党にしてしまったといういいがかりである。

この文章のおぞましさは、論理構成が破綻した印象論を振りかざしつつ批判に対しても一応の対策をとっているという点である。だが、しばらく考えてゆくと別の問題も見えてくる。

政権とそれに近い人たちが今回の立憲民主党の躍進について、ネットへの敵愾心を高めたのはどうやら間違いがなさそうである。菅官房長官が発案したツイッター規制スキームを見ても分かる通り、これから「ネットは危ない場所である」という論陣が張られるようになるかもしれないが、これは言論統制の一種であり、民主主義への重大な挑戦である。

この岸小論文の厄介なところは「ネットは人々を愚民化する」という印象を与えつつも、議論の後段でネットを規制しろなどとは言ってはいない点であろう。これが印象に引きずられて炎上しかねない文章を量産している百田尚樹さんなどと違っているところだ。

表向きは言論の自由という建前があるので、政治はネット環境に適応して行かなければならないという結論になっているのだが、かといってネットに興味があるわけではないので提言はない。官僚的な小賢しさが溢れていると言っても良い。しかし、週刊ダイヤモンドを読んでいそうなネットや若者のトレンドについて行けないおじさんたちのルサンチマンを満たすには十分な内容になっている。

一応の対策が立ててあるので、これに反論するのは難しい。しかも「YouTubeは人を夢中にさせる」というなんとなく科学的に聞こえそうな論拠にはふらふらと引き寄せられそうになってしまう。

だが、これについて反論するのは実は簡単だ。別の論を当てて無効化してしまえばいいのだ。

テレビは受け身のメディアである。次から次へと情報が流され、聞いているうちにそうかなと思わされてしまうからだ。新聞は見出しをみて取捨選択ができる優れたメディアであり、読者の判断力が担保される。だからテレビは視聴者を洗脳しやすい危ういメディアということが言えるだろう。

このような洗脳メディアを使うと、失政を隠蔽することができる。NHKをはじめとしたメディアをコントロールすれば受動的に情報をとることしかできない国民を洗脳することも可能だろう。

しかしながら、テレビがあるという状況は今更変えられないし、新聞より影響力が大きいという現実はある。だから、この状態に適応してゆくしかないだろう。

この論には多分間違っているところはない。テレビは新聞に比べると受け身なメディアであることは間違いないし、それを証明する科学的な論文も見つけようと思えば見つけられるだろう。さらにNHKは国民を洗脳しているとは実は書いていない。だから「洗脳は言いがかりだ」という批判はできない。

仮にテレビがダメなメディアであったとしても、それだけが自民党が支持されている理由にはならない。つまり、この文章は実は何も言っていないのだが、自民党は国民を洗脳していると思いたい人にはありがたい文章になっている。

立憲民主党がSNSを利用して成功したのは間違いがないのだが、これは一時的なブームではない。ネットを通じた継続的な政治意思の表明があり、これが現実に反映されないために、継続的な試行錯誤が行われていると考えて良いだろう。枝野代表自身が「ネット左翼・リベラル的」な主張を持っているかはわからないが、このような声を代表するポジションを意図的に洗濯しているのは間違いがない。

だが、岸さんがこのことをわからないで主張しているとは思えない。官僚出身で頭の良い人であり、ネットメディアもある程度使いこなせる年代の人である。最大の問題は岸さんくらいの人が、世論誘導の文章を書いて生きてゆくしかないという現実なのではないだろうか。

社会が継続的に成長している時代には、こういった人たちは改革の担い手になれたはずである。しかし、国民は改革に疲れており現状には満足してはいないが何かを変える勇気はない。また、政権は民主主義を扱いかねており、何の成果も出していない。このような状態で行き場をなくしてしまうのは、多分優秀な人たちなのだろう。

つまり、日本が行き詰った結果として、有り余る才能をすぐに露見するような稚拙な言いがかりにしか使えないという直視しがたい現実があると考えて良いのではないか。

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