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Twitterを規制したくて仕方がない日本政府

座間の事件を受けて早速国が「Twitterを規制したい」と言い出した。

安倍政権は憲法を私物化し、予算を私物化し、学校の規制も私物化してきたが、今度は言論空間を私物化したいようだ。言論は民主主義にとってもっとも大切なものであり、規制が行われるとしても自主的にTwitter社が行うべきだろう。さらにTwitter社はアメリカの企業であり日本の政府が一社で言論統制することなどできない。筋としても悪いし実効性もない。

言論の自由を持ち出すとすぐに「殺人を野放しにするのか」というカウンターが出てくる。しかし、考えてみると、政府はこれまで大量殺人について対策を講じたことなどなかった。秋葉原に車が突っ込んだとき背景にあったのはリーマンショックなどによる派遣や非正規雇用切りの問題だったが、こうした人たちへのケアがなされることはなかったし、非正規雇用はさらに増えていった。相模原の施設で大量殺人が起こったときも、全国の施設に予算を増やして安全面の対策をとりましょうなどという声は全く聞かれなかった。つまり、政府はそれほど社会矛盾に原因のある大量殺戮に対処する意欲などはない。

一方で、日本ではまた実例がないイスラム過激派テロを念頭に置いて共謀罪を導入した。共謀罪は刑法の体系を大きくゆがめ国民の内心に手を突っ込むという批判があった。共謀罪議論のときには、オウム真理教のような宗教団体からいつのまにかテロ集団になった団体は規制できないだろうという議論があったが、この対策が取られることはなかった。この法律が本当に目的にしているのは公安警察が普段から目をつけている団体への立ち入り権限の強化だろう。

このことからTwitter社への是正勧告ができるようになる法律の作成の意図は犯罪防止とは別のところにあるのではないかという疑念がなくならない。もっとも、今の自民党には2009年のトラウマというものがあり、正常な判断ができなくなっている可能性はある。民主主義そのものが自民党への裏切りであり、政権にとっての犯罪行為だという倒錯した価値観である。

日本人は安保闘争以降、政治的な発言をあまりしてこなかった。その理由はよくわかっていなかったのだが、Twitterが政治的な発言で溢れているところをみると「顔を出してリスクがある状態で政治について語りたくなかっただけ」だったことがわかる。つまり、日本人は政治的意見がないのではなく、社会的なプレッシャーを恐れて政治発言をしない人が多いだけなのである。

Twitterは半匿名という性格上、政治的意見の表明が進みやすい。リスクがないと考えられるのっだろう。いったん「みんなやっている」となると意見表明が進むのが社会の雰囲気に流されやすい日本人の特徴だ。そして、この意見表明はたいてい自民党政権にとっては都合が悪い。デモが組織され、保育園に落ちたというお母さんの声が伝えられ、東京では「小池革命」が起きた。

さらに立憲民主党もTwitterがなければこれほど大勢の支持を急速に集めることはなかっただろう。これまでもデモは行われていたが政府を動かすことはなかった。しかしながら、反政府の人たちが一定数いることはすでにわかっており、反原発・反<戦争法>・憲法擁護などで団結を強めた。枝野代表がどの程度リベラルなポジションなのかはわからないが、こうした可視化された人たちを意識しつつ、SEALDsなどの運動体で得たノウハウを使って政党を立ち上げたことは間違いがない。

政権を追い落とされたという被害者意識に凝り固まった安倍政権がこうした動きを敵視するのはよくわかる。では、言論の抑圧は政権にとってプラスに働くのだろうか。

第一にツールを規制しても自殺したいという人はいなくならない。実はこの問題で一番重要なのは自殺したいという人や、表現や思考能力が稚拙なために人生のつまづきを経験したときに「死にたい」という表現しかできない人たちをどのようにしてすくい上げるかという点ではないだろうか。いわゆるセーフティネットのなさが、世界でも突出する自殺者数となって現れている。つまり、こうした人たちの表現手段を奪うことで、かろうじて上がっていた声が抑圧されてしまう可能性が高いのである。

さらに、Twitterを規制しても、同様のツールがなくなることはないという問題もある。もともと、政府の頭の中にはNHKの制圧が成功事例としてあると思うのだが、これができるのは政府がNHKの人事と予算を握っているからである。またNHKはもともと貴族階級なので政府に反抗してまでもジャーナリズムを守ろうなどというつもりはさらさらないだろう。同じように「高市恫喝」で知られるように放送法で民放を締め付けるというやり方もあるだろう。

だがインターネットでは同じようなやり方はできない。単純に免許事業ではないからだ。せいぜいできるのは監視要員を増やして削除依頼をすることだけなのだが、Twitter社は世界各地でこのような政治的圧力にさらされておりこれは一筋縄ではいかないだろう。さらに言論に対してある程度オープンな環境を提供することが企業価値につながるのだというアメリカ流の考え方がある。これは「長いものには巻かれてしまうのが賢い」と考える日本人とは少し違っている。

さらにマストドンのように分散型のサービスも出始めている。つまりTwitter社の制圧に成功すると「がん細胞のように」反政府的な意見が拡散して広がりかねないという状態がある。いくら潰してもなくならないのがネットである。例えば、安倍首相がゴルフコースから転がり落ちるビデオは削除依頼を出しても次々にアップされてゆく。ネットとはそういうものなのだ。

この背景にある問題は、政治家がかなり古いメンタルモデルで問題に対処しようとしているということなのかもしれない。

例えば安倍首相はインド、日本、オーストラリア、アメリカの四カ国で中国を封じ込めたいというダイヤモンド構想という<防衛戦略>を持っている。だが、実はこの背景にあるメンタルモデルはかつて日本が封じ込められたABCD包囲網である。これは石油の会場輸入を封じ込めることにより戦争を抑止しようという考え方である。しかし、現代の輸送経路は海上だけではないし、戦略物資も石油だけではない。その良い例が北朝鮮だ。いくら圧力を強めても核兵器開発に必要な物資が北朝鮮に流入してしまう。村落的な考え方をする日本人は戦略的思考が苦手なのでついつい間違ったモデルを前提にして概念構築しがちである。

言論統制のモデルが何なのかを考えて見るのは面白いだろう。多分、情報を集約してラジオで垂れ流すという大本営発表モデルが前提になっているのではないだろうか。治安維持法で集会さえ規制してしまえば、あとは情報源がラジオと新聞しかないという時代のモデルである。

つまり「Twitter規制」の背景にある本当の問題は、今の政権が正しいモデルで問題に対応ができなくなっているという点なのである。

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