長島昭久という衆議院議員が、希望の党の党首が「暫定的である」という報道に異議を唱えた。しかし「自分は反対であるとは言わずに、これは誤報だ」とやった。いつもの手口なので「民主党系保守の議員というのはなぜ嘘つきなんだろうか」と思った。翌日になってやはり今回の希望の党の党首は暫定であるということがわかった。やはり当初の直感は正しく長島議員は嘘をついていたのである。
後になって話を聞いてみると、希望の党には互選によって代表を決めるためのルールがなく、これといったまとまりもないようだ。だから、そもそも本格的に選挙をして代表を決めることなどできるわけはなかった。つまり長島さんは状況が読めいないか、人の話を聞いていなかったことになる。それでも長島さんが「暫定代表はフェイクニュースだ」と言いたかった理由もなんとなくわかる。つまり新しい国会で首相指名選挙がありその時に書ける名前がないと「格好がつかない」と思ったのだろう。結局渡辺周議員の名前を書くことにしたらしいのだが「誰だそれは」と言われているようだ。つまり、長島さんの言っていることにも理はある。
それにしてもなぜ「民主党系保守の議員は嘘つき」なのだろうか。思い起こしてみると、前原さんも結果的には大嘘つきだった。枝野さんと前原さんを比べると、枝野さんのほうがリベラルで前原さんのほうが保守であるという印象が強い。結果的に枝野さんは「筋を通した」と言われ、前原さんは民進党を壊滅させた大嘘つきということになった。
いろいろ考えてみたがこれといった説が思い浮かばない。例えばある人は、保守政治家が嘘つきなのはマウンティングが関係しているという。確かにありそうではあるが、嘘とマウンティングは結びつかない。
最終的に考えたのは、保守というものが環境に内在している暗黙的な知識に依存しているという説だ。保守は暗黙知に依存しており形式化されていないから、環境が変わるとそれを再編成できないということになる。だが、この説明では何がなんだかわからないのではないかと思う。ここから先を説明するのが難しい。
そもそも、保守が嘘つきであるという理由がわからないのは、何が保守であるかが確定できないからである。だから、保守の人たちがどんな人であるのかを考えてみる必要があるだろう。
長島さんは幼稚舎から慶應という筋金入りの慶應ボーイで、ジョンホプキンス大学で研究員もしているようだ。まず裕福であり頭も良いのだろう。地方議員をまとめて逆風の希望の党で小選挙区から勝ち上がったところを見ると、人望もあるはずだ。
こういう人の意見がぞんざいに扱われることはないだろう。もともと現状に対して肯定的なのだろうし、また現状も彼に対して肯定的であることが予想される。だから現状に満足しており、政治的態度も現状容認型になるであろう。普段彼らは声をあげる必要は無い。だから「何も言う必要がない」ということになる。
一方「リベラル」と呼ばれている人たちはどんな人なのだろうか。例えば菅直人さんのケースを見てみよう。菅さんは地方のサラリーマン家庭の出であり学生時代に市民運動にのめり込んだ。現状になんらかの不満があったことが伺える。だから世の中を変えようとしたのだろう。しかし共産系の市民運動家が多い現状も気に入らなかったようで「独自の組織」を立ち上げた。そのあとも無所属で立候補している。どうしてこのようになったのかはわからないのだが、いつも現状に不満で、既存の運動ともあまりそりが合わないことがわかる。弁理士という職業を選んだのも、親が「技術系のサラリーマンは不遇だ」と言っていたのを参考にしたという話がある。つまり、恵まれていない親から生まれた現状にあまり肯定的な態度を持てない人だったわけである。
これは本来のリベラルとは全くかけ離れた定義だが、ここでいう「リベラルな人」というのは常に自分にぴったりな環境が見つからないか、あるいは常に他人に不満を持っているということになる。だから常に発言を続けている。さすがに嘘ばかりつくわけにはいかないから、それなりに一貫した軸を見つける。だから、リベラルな人たちが発言するとそれなりに筋が通っているように見える。
では、いつも周りから認められて尊重されている人たちが「これは気に入らない」という環境に置かれたらどうするだろうか。リベラルな人たちは常に気に入らない環境に置かれているのでなんとかしようとするわけだが、保守の人たちはそんな経験をしたことがないから、何をどうしていいかわからない。そこで長島さんのような突拍子もない行動に出てしまうのではないか。
長島さんの場合は自分の考えと違っていたり、自分と理想としている状況と違っていると、SNSで「それは真実ではない」などとつぶやくのがお決まりになっている。満足な時には何も言わないのだから結果的に「いつも嘘をついている」という印象になるのだろう。
つまり、正確に言うと民主党系の保守の議員が嘘つきというわけではなく、現状に肯定的な人が外に向かって発言するのは嘘をつく時だけなのだということになる。
一方違った理由で嘘をつく人たちもいる。前原さんの場合はもともとの家庭が裕福ではなかったが頭が良かったために良い大学に行くことができた。小池百合子さんは発想と発信力は素晴らしいが、実務経験はなく加えて女性である。こういう人たちは現状には満足していないが、自分が持っていないリソースを補うために「保守」を偽装する。最初から嘘をついているのかもしれない。そして、たいていの場合彼らの嘘は他人を傷つける。それは、彼らの嘘の動機が他人の人生やリソースの無償利用にあるからである。
一方で、自民党の議員は自分の思うように政治が進められるので嘘をつく必要がないように思える。だが彼らも民主党の人たちとは違った理由で嘘をつく。
安倍晋三は岸信介の孫であり恵まれた境遇で育った。小泉純一郎の元で政治を学び「後継者」扱いだった人で、いわば王子様みたいなものだ。だから相手を説得して何かを成し遂げる必要はないし、ましてや自分で経済政策を考える必要はなかったはずである。だから、安倍首相は多分アベノミクスがうまくいっているかどうかわからないだろうし、もしかしたらアベノミクスが何なのかということすらよくわかっていないかもしれない。
安倍首相が嘘をつく理由はいくつかある。まずは民主主義を守って国民のために働いているという。さらにアベノミクスはうまくいっていると嘘をつく。さらに、アベノミクスはうまくいっているのだから国民は何もしなくていいし、政治を知る必要もないと言っている。
麻生副総理の言動を見ているとこれが嘘だとわかる。麻生さんが嘘をつく必要がないのは、もはや首相にはなれず統治に責任もないからである。
麻生さんが言っているのは次のようなことだ。
- 国民はバカで騙されやすいし、統治するためにはヒトラーの手口を学ぶべきである。つまり、国民には主権者としての能力はないので適当に管理すべきだということだ。
- さらに北朝鮮のおかげで選挙に勝てた。日本海側にいた人たちは特に騙されやすかった。つまり、北朝鮮の脅威から国民を守るなどというのは嘘(あるいは方便)であって、本質は権力闘争だったということである。
早期の解散を言い出したのは麻生さんだという話がある。当然裏では安倍首相もこの意見に賛同しているのだろう。だが、安倍首相はしばらく首相でいたいので本当のことは言わない。ついでに嘘を取り繕うのにも疲れたらしく今年は国会を開かないという。熟議するというのも謙虚になるというのも嘘で、数があれば国会審議を通すことができると知っているのだろう。
ここまでをまとめると次のようになる。保守は現状の受益者なのだが、なんらかが変わったことでその環境を再現できない人たちということになる。民主党系のようにすぐにバレる嘘をつくか、自民党のように現状が破綻していることが露見しないように嘘をつくのが保守なのである。
ここまでだと単なる悪口になってしまう。一方、リベラルも菅直人前首相を見る限りは「なんだかよくわからないけれど現状が嫌い」ということになる。保守とリベラルで共通しているのは、うまくいっている状態が再現できないということである。つまり、どちらも同根で単に迷惑な人たちなのだ。そして、再現できない理由は彼らが依存している環境が暗黙知によって形成されているからなのである。
つまり、うまくいっていた状態が再現できれば建設的な保守やリベラルができる。今回の定義では現状に肯定的だと保守なのだから、建設的な保守というものが論理的にはありうるということになる。と同時に、今回の適宜では現状に不満な人はリベラルなので、建設的なリベラルもありう流ということになる。
では、再現のためには何が必要なのだろうか。ここでは料理のレシピの概念で説明したい。ふわふわなケーキを作るためには二つのやり方がある。一つはすべての手順を覚えることだ。そしてもう一つのやり方はレシピを入手してその通りにやることなのである。この二つは同じに見えるが決定的な違いがある。
レシピというと小麦粉・卵・バター・砂糖の分量を意味するように思えるのだが、実際には室温や混ぜ方なども重要だ。混ぜすぎるとグルテンが発生するし、混ぜないとダマになったりする。そればかりではなく例えば卵を室温に戻すなどの作業も必要だ。つまり、美味しいケーキを作るためには分量や手順などの他に外的環境も考慮する必要があることになる。例えば単に味噌を寝かせても醤油はできない。醤油を作るためには蔵にある菌が必要である。蔵の温度と菌の存在も外的環境である。
だから、夏にうまくいっていたケーキ作りが冬にはうまくゆかないということが起こり得るし、蔵の外で味噌を再現することはできない。外的環境が変わるからである。だから「見よう見まね」では再現が難しいものが多いのだ。
長島さんが嘘をつく必要があるのは、自分の地元の成功体験を新しい環境である希望の党で再現できないからなのだった。また安倍首相の場合も、経済運営がうまく行かないのは、どうしたら経済がよくなるかという根本的な理解がないからである。意図的に嘘をついて相手のリソースを利用しようとした小池さんや前原さんを除けば「仕方がなく嘘をついている」ことになる。
つまり、現在の保守は社会が成功するレシピを欠いた状態にあると考えられる。なぜ欠いてしまうかというと恵まれた受益者であるからだ。恵まれた受益者がレシピを作れないのは、いつも一定の環境でケーキを焼いているか、そもそもコンビニでケーキを買ってくるだけだからなのだと言える。
一方で、ある成功をコピーできた人たちというのは、ある程度成功する社会のレシピを形成しつつあるということになるだろう。今回、民主党政権の熱狂を引き継いだのは無所属と立憲民主党なのだが、無所属の人たちは所与の環境を保全することで勝ち上がった人たちである。つまり、立憲民主党だけがある程度レシピを完成しつつあるということになる。そのレシピを作っていったのはあまり政治的経験が無いSEALDsなどの新しい市民運動らしい。
彼らがレシピを再現できれば同じスキルを使って成功する社会を作れるかもしれないということになる。彼らが現在の体制に肯定的な態度を持てばそれは保守ということになる。外的環境が変わったからこれまでのレシピが無効になったのだと考えれば、それが「改革保守」の意味なのだと言える。
いささか面倒な手続きを踏んだが「無能で嘘つきな保守」について考えることで「改革保守」が何なのかということを説明することができた。が、ここで立憲民主党を過度に持ち上げるのは控えたい。なぜならば選挙の熱狂をコピペしただけという可能性も捨てきれないからだ。つまり、彼らが成功する政党になれるかどうかは彼らが成功体験をある程度形式的に分析できるかにかかっているということになる。SEALDsの学生たちは経済で成功した経験はないはずなので、そもそも経済運営の成功をコピーはできない。つまりは、改革保守なるものが成功するためには、また別の知識が必要なはずなのである。