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神戸製鋼の改ざん問題について勉強する

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神戸製鋼所で品質改ざんが問題になっている。この問題については「モノづくり大国日本の敗北の象徴だ」などという感情的な感想が聞かれるのだが、少し新聞を読むだけでさらい深刻なことが起きていることがわかる。長年、現場で実際にモノづくりを担当する人たちがどのような気持ちで不正を働いていたのかを考えると暗澹とした気分になるほどである。と、同時にこの手の問題を右から左に片付けることでジャーナリズムは構造的な不調を深く考えないように<国民を洗脳>していることがわかる。つまり、もう仕方ないから考えないという諦め癖をつけようとしているのかもしれない。

かつて日本の企業は、労使がお互いに依存し合うことで成り立ってきた歴史がある。つまり経営者が稚拙であってもなんとか経営が成り立ってきたのだ。この依存関係が崩れて稚拙な経営者が企業を滅ぼしてしまうというようなことが起きていると言える。依存という言い方が嫌いなら「絆」とか「信頼」などと言ってもよい。

ではなぜ、労使お互いの信頼関係は壊れてしまったのか。細かな経緯はよくわからないのだが、労働者の間にある漠然とした将来への不安がすこしづつ企業の信頼を蝕んでいたのではないだろうか。


一度この記事をリリースしてからDIAMOND ONLINEの記事を読んだ。ソ連と接近したから粉飾を覚えたのではないかという因縁めかした話が書かれている。これはこれでひどい記事だと思うが、一応リンクを貼っておく。業績が悪化しても世界一のプライドから抜けられなくなってゆく様子はわかる。


神戸製鋼所は日本では第3位の製鉄会社だ。かつて日本には神戸製鋼所を入れて5つの製鉄会社があった。新日鉄、住友金属、川崎製鉄、日本鋼管である。しかしながら神戸製鋼所以外の4社はお互いに合併してしまい、神戸製鋼所は製鉄業者としては世界の上位50位程度の規模になってしまった。しかしながら、鉄鋼への依存度は4割程度しかないという意味で「多様化」には成功している企業だと見なされていたようである。さらに経済系の雑誌などは神戸製鋼所の歴代の社長を変革者だとみなして持ち上げていたようだ。

現在の社長の説明によると神戸製鋼所の問題点は次の通りである。

  • 国内の業界再編(鉄・銅)に乗り遅れた。
  • 中国の鉄鋼メーカーが高品質な製品を作れるようになってきている。

このため現社長は神戸にある高炉の一つを止めるという決断をしたそうだ。高炉は阪神淡路大震災の復興のシンボルでもあり会社の魂とも言える。社長としてはこれがショック療法になり、会社が一丸となって「自分たちが変わらなければ」という変革心を呼び覚ますことを期待したのだろう。だが、この経済誌は現場のバックアップなどはとらなかった。もし取っていたとしても、広報部にアレンジしてもらって現場をさらうくらいだったのではないだろうか。それはまるで北朝鮮の監視付きツアーみたいなものだ。

だが、今回の事例を見ると社長は社員と気持ちを共有していなかったようだ。そこで社長の経歴を見てみた。

川崎博也、かわさき・ひろや。日本の経営者。「神戸製鋼所」社長・会長。和歌山県出身。京都大学大学院工学研究科修了後、神戸製鋼所に入社。IPP本部建設部長、加古川製鉄所設備部長、執行役員、常務執行役員、専務執行役員などを経て社長に就任。

IPPは発電プラントを意味するようだ。さらに、鉄の技術者ではなく製鉄設備の担当を経て役員になっている。つまり、よそ者が勝手に神戸製鋼所の魂を壊してしまったと受け止められかねないキャリアだし、実際には製鉄業に強すぎる思い入れがなさそうだから社長に抜擢されたのかもしれない。

では前任者はどうだったのだろうか。前任の佐藤廣士氏は鉄の技術者出身者だったが、リーマンショックの直後に社長になり高炉を止めるか(冷やしてしまうと二度と使えなくなってしまうので、常時温めておかなければならない)どうかという選択を迫られていたという。研究者出身らしく鉄に思い入れがあったかもしれない。

佐藤氏の文章を読むと神戸製鋼所が苦境に陥っていた理由がわかる。これ自体は労働者が努力をしなかったからでも、経営者が無能だったからでもない。日本の置かれた状況そのものが変わってしまっているのだ。中国などが鉄鉱石を買いつけるので鉄鉱石の値段は上がっているのだが、ライバルの中国で安く鉄が作られるようになり製品の値段が下がるといジレンマに陥っていた。そこで業績が傾き高炉を止めるかどうかの判断を迫られるところまで来ていたということだ。

前回、内部留保のところでみたように日本の企業は人件費を安くしてほしいとか法人税を安くしてほしいなどと要求している。消費者や労働者から見るとフリーライディング的な恫喝行為だが、経営者サイドから見ると切実な要望なのだろう。だが、少なくとも、豊富な農村部からの労働力が利用できる中国やインドなどと人件費面で太刀打ちができるはずはない。人件費を多少落としたとしてもインドなみにはならないだろう。かといって高品質の鉄を作れば良いということも言えない。超高品質の鉄を作ることもできるだろうが、それほどの需要は見込めないだろう。

この中で最も心が痛むのは、佐藤前社長が就任当時からコンプライアンスが大切だということを訴えていたということだ。10年くらいは不正があったことを経営者が認めているということなのだから、兆候はあったのだろう。では前社長は何をしたのか。文章を抜粋する。

これは現場の人にとっては迷惑な話かもしれません。後ろに数百人の仲間がいて、その前に立って社長に向かい、「今の社長の話に対し、私たちはこういうふうにやります」と表明するのは、緊張するでしょうし、責任も生じるでしょう。だけど、それを私は真剣度だと思うんです。失敗するかもしれないし、世の中が変化して最初の方針が変わるかもしれない。でも、今こう思っていることを口に出して言うということには大変意味があります。

この次の段落で「現場の人たちは緊張で震えていた」と回顧しているのだが、今にして思えば嘘がばれるのが怖くて震えていたのかもしれない。つまり現場では偽装が横行していたのに社長の前ではコンプライアンスについて唱和させられていた。しかも経営陣から何か指導があるわけではなく「現場の提案」を強要されていたのだ。経営者側から見れば「自発的な提案」であったかもしれないが、これは受け取り方の問題に過ぎない。

中には直属の上司から偽装を求められた人もいたかもしれない。このように板ばさみになっていた人がどのような気持ちでコンプライアンスについて宣誓していたのかを考えると身震いがするようだ。

さらに、当時の神戸製鋼所が高炉を止めるという決断を迫られていたことも見逃せない。つまりリストラの危機があったということである。労働者からすると「自分が切られるかもしれない」ということである。直属の上司に逆らえば切られるかもしれないが、社長はコンプライアンスを守れと言ってくる。ダブルバインドの状態に置かれていたことが想像できる。だが、経営者は何も教えてくれず、支援もない。ただ「どうするのかみんなの前で提案しろ」というのである。

前社長の思いがどうだったのかということは話からないのだが、結果的には経営者の自己満足だったということになる。しかし、それも仕方ないかもしれない。前社長の専門は研究者であって、経営の専門家ではないし、労働者の心理や変革管理について学術的に学んだことはないはずだ。

しかし、その影響は甚大だった。東京商工リサーチは次のように伝える。鉄は部品に加工され、最終的に車、鉄道、航空機などになるため、どこで使われているのかは調べないとよくわからない。

 神戸製鋼所は10月8日、検査の未実施やデータ改ざんの製品の納入先は約200社と公表。だが、11日には鉄粉事業や子会社でもデータ改ざんがあり70社増えた。さらに13日の会見では、その後の調査で約500社に膨らんだことを明らかにした。
同時に、データ改ざんに関わった製造会社名や出荷重量も公表(表参照)した。出荷した製品は最終的に国内外の自動車メーカーや鉄道、航空機などで使用されている。メーカー名公表の意図を問われた川崎社長は、出荷先や最終納入先の名前名は「複雑なサプライチェーンの中で加工され、どういった中で消費者の手に渡っているかわからない。

当初は10年ほど前から行われていたと報道されていたようだが、毎日新聞社は実際には40年以上もやっていたという声を伝えている。つまり現場としては「話をしたくてしかたがなかった」ことになる。また多角化が進む中で複雑な子会社組織が作られていたことがわかっている。当初は傍流の銅やアルミの部署で行われているだけだろうと思われていたのだが、実は本流の鉄鋼部門でも不正はおこなわれていた。

リストラやシンボル的な高炉の停止などで士気が著しく下がる中、状態はさらに悪くなってゆく。鉄鉱石の値段が上がっていたということは少なくとも需要があったということだが、中国で建築バブルがはじけてしまったからである。ただし、急激に弾けるというよりは徐々に需要がなくなってきたようである。中国のバブルが急激にはじけたという実感はないようだ。

もうこうなると鉄を諦めて他の事業で稼ぐしかない。高炉も一時停止ではなく永久に閉じなければならない。しかしながら、神戸製鋼所は中国で稼ぐためのノウハウもそれに必要な管理職も持っていなかった。つまり、トップにも経営的な知識がなかったが、将校レベルにもそれなりの知識がないまま前線に送り出してしまったことになる。だが「とりあえず現場に行ってなんとかしてこい」と言われている正社員はどこの会社にも多いのではないだろうか。

日経新聞の記事によると、建築機械について中国の代理店に頼った商売をした結果、代理店から手酷く裏切られている。倒産がわかった時にはすでに担保になっていた建築機械がよそに売り飛ばされていたようだ。GPSを外して追跡できなくしたり、キャタピラ社のものに偽装するために黄色く塗り直したりなどなんでもありの状態だった。とにかく売り上げをあげなければならないというプレッシャーがある中で無垢な日本人を騙すことなど彼らにとってはそれほど難しくなかったはずである。

マスコミの態度は一貫していい加減だ。過去記事では鉄だけでは食べて行けないから多様化すべきだという経営者の変革魂を持ち上げていた。しかし今度は行き過ぎた多角化をどう戒めるか考えるべきだなどと言っている。結果論ではあるが、切るならばバッサリと切ってしまうべきだったということになるのだが、これは許容される可能性は少なかっただろう。例えば神戸や加古川などでは重要な雇用の受け皿になっているはずで、地元が猛反発していたことは間違いがないからだ。しかし、これもマスコミがいけないとは一概には言えないだろう。ジャーナリズム学科をダブルメジャーで卒業して新聞や雑誌の記者になった人などいないはずなのだから。

そうなると、結局このような不正で崩れるしかなかったということになる。日本人は何も民族として優れているから不正を働かないわけではない。企業が人生を保証していると考えるからその環境を保全しようとしているだけなのだ。この前提が失われてしまうと、今度は一人ひとりが自己保身を図ることになる。

こうした現実を受け止めない限り同じような問題は繰り返されることになるだろう。しかし、日本人はそれぞれの持ち場で必要な知識を与えないまま現場でなんとかするように強要しているのだから、どれもこれも仕方がないことなのかもしれない。

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