ざっくり解説 時々深掘り

落選挙権という提案

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Twitterを見ていると「この政治家を当選させたい」という人がほとんどいないことに気がついた。中には立憲民主党のように応援が多い政党もあるのだが、よくみてみると、政策を応援しているというよりは安倍政権と一番くっつきそうがなく、安倍政権を終わらせたいという気分から応援している人が多いようだ。

実際に自分に置き換えて考えてみても、今回の選挙は自民党、希望の党、共産党の3人しか立候補しておらず、入れたい人がいない。この中では共産党かなと思うのだが、どんな人なのかよく知らない。

政治は民意を正しく反映させるべきだと考えると、民意には「あいつにだけは政治をやらせたくない」という気持ちが含まれていることがわかる。だから選挙権も「あいつだけには政治家をやってほしくない」という票を加えるべきではないだろうか。であれば、投票権を選択制にして「当選させたい人をリストの中から選ぶ現行の制度」と「全国の落選させたい人を自由に書く制度」に分けてはどうかと思う。

この制度にはいくつかの利点がある。

第一に死に票が減る。死に票が減ることで政治への参加が促進される。

第二に政治家や政治家になりたい人が話題作りのために暴言を言わなくなる。

第三に誰かを追い落とすために危険な代理人を選ぶリスクを軽減できる。

現在の政治は見世物のようになっていて政治参加が少ない。小選挙区制度のもとでは一人しか当選させられないので、多数意見以外は排除されてしまうからだ。どんなに頑張っても投票に行かない人が増えるので、政治参加が促進されない。だから「あれは自分たちの代表ではない」と考えてデモばかりがはやるのだ。

例えば「戦争法」に反対する人たちは、特に世界平和に興味があるわけではない。彼らは戦争を嫌なものと考えているので、それを封じ込めてしまえばそれ以上面倒なことを考えなくて済むと思っているだけかもしれない。だからデモをして「戦争に反対」と訴えさえすれば、自分たちは戦争に触れなくても良いなどと考えてしまうわけである。同じようなことはいくらでもある。例えば高齢者問題について考えないのは、自分が年を取らないと考えている人たちである。

だが、政治への不参加は結局不安を増やすだけである。見ないようにしても不機嫌な現実はやってくるからである。であれば、少しでも政治に参加して不安を解消するようにしたい。

民主的社会というのは、主権者である国民がいろいろな社会問題に興味を持ってベストな判断を下すことが前提になっているのだが、実際には面倒なことは見ないようにしたい、勝手に処理してもらいたいというバイアスが働くようである。このために極端なことを言って「問題などないのだ」と言いたがる人が増える。首相は日本の衰退は自分の力強いいリーダーシップで防ぐことができるなどと嘘を言う。これを意識の上で信じている人はいないと思うのだが、無意識的には信じている人が多いのではないだろうか。不安なことを考えなくて済むからだ。だから、どんなにひどい政治でも黙認されてしまうのである。

同じような動機で、不摂生で成人病になってしまった人の補助金を削減すべきだという人が政党の名簿で一位になったりする。成人病の人をいじめたいというよりは、こうした問題を考えないことでなかったことにしたいという気持ちが強いのではないだろうか。つまり、透析の患者がいなくなれば、透析という問題がなくなってしまうと錯誤するのだ。同じように、生活保護もなかったことにしたと考える人がいるようだが、生活保護の制度をなくしても日本から貧困がなくなることはないという単純な事実を認めようとはしない。

社会が複雑になるとこうした厄介な問題が増えてゆく。すると、面倒がる有権者に向けて「じゃあなかったことにしましょう」と訴える政治家が増えてゆくだろう。こうした政治家を排除するためには、それを排除するための権力を有権者に与えるべきだということになる。こうした人たちを落選させるためには、落選挙権しかない。

第三の理由はこれより少し複雑である。ある政党は現在の政権を打倒するために私たちに一票を入れてくださいということをほどんと唯一の政策にしている。だが、実際には誰が現在の首相に代わって代表者になるかということを一切提示していない。有権者が直接政治家を処罰することができるようになれば、こうした白紙委任状に頼る必要がなくなるだろう。

こうした白紙委任の一番危険な例はナチスドイツだろう。ナチスドイツはソ連などの共産主義を敵とみなしており、その敵の投射物として国内の共産主義者をターゲットにした。これをヒトラーの力強いリーダーシップで駆除してあげますから私たちに白紙委任をくれというのが、ナチスドイツの最初の政治的主張の一つだった。そうして国会を機能停止した上で大統領と首相を兼職した総統という役職を作り、権力を民主的に簒奪した。

ドイツ人はこれを信じたのだが、結果的にはユダヤ人が排除され、ドイツ人全てを巻き込んだ戦争に突き進んだ。不安を解消しようとして結果的にはより大きな不安と破壊が生まれてしまったのである。不確実性は明確な解答を求めるのだが、明確な解凍は破滅への道である可能性が高い。

もちろん同じような危機が日本で現実問題として起こるかどうかはわからないのだが、代理処罰のための白紙委任は合理的な判断を歪め、社会全体を破壊する可能性があるということは知っておくと良いだろう。

これらの3つの理由から、日本の投票制度は不信任票を導入すべきであり、棄権の代わりに落選票を投じることができる制度を設けるべきである。

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