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なぜ安倍晋三さんは「お前が国難」と呼ばれるようになってしまったのか

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安倍首相は自分の危機を回避するために国会を開かないという前代未聞の暴挙に出た。もとはといえばお友達を優遇しすぎて説明がつかなくなったのが原因だ。あまりにそのことばかりを聞かれるのでついにキレたのだろう。だが、そのあとの安倍首相のご説明は心理学用語の「正当化」と「投影」の教科書的なお手本になった。

安倍首相は個人的な危機を大問題だと捉えていた。だが、それを別のところに投影した。それが北朝鮮である。さらにそれだけでは足りないと思ったのか少子高齢化を危機だとした。現状認識がめちゃくちゃになっているので、その対処策も意味をなさないものになっている。加えて言うと冷静な心理状態ではないので、問題を北朝鮮に投影するとめちゃくちゃなことが起こるかもしれない。つまり、不安な目で北朝鮮を見ており「加計問題を解決するためにはなんとしても北朝鮮を亡さなければならない」などと考えかねないのである。本来は拉致問題を解決してヒーローになりたかったのに金正恩が動いてくれないという恨みもあるのだろう。まともな意思決定ができない人が首相として放置されるという極めて危険な状態になっている。

このようにして、自分の危機的状況で頭がいっぱいになっている安倍首相とは議論ができなくなっている。NHKの日曜討論などを見たが言っていることがめちゃくちゃなのだが、形式的には日本の首相なので全ての人の議論がめちゃくちゃになってゆく。そこに小池百合子さんのような人が加わることで議論がさらに混迷するという状況になっている。

安倍首相は個人的な危機を「国難だ」としてしまった。だが、これが冷静に対応されることはなかった。ヒトラーの演説が当時のドイツの人たちの心を鷲掴みにしたように、個人的な危機を政治に投影したい人たちは大勢いる。ある人は安倍首相に同調し「左翼リベラルこそが国難である」と言ったが、別の人たちは「安倍首相こそが国難なのだ」と言い始めた。つまり、自信が問題をすり替えたのと同じように、その非難の対象が自分にも向かってきたのである。こうして混乱は多くの人に伝播している。

いずれにせよ、安倍首相は「お前が国難」とSNSで非難される史上初の総理大臣になった。一国の首相がついに「お前」呼ばわりだ。

いったん、他者への投影がおこるとそれが反響し犯人探しが起こる。そうこうしているうちに、本来は何を解決すべきだったのかというレゾリューションが失われる。日本人はなぜか国・社会・個人の将来に強い不安を持っている。この不安が様々なところに反響して幽霊のような閉塞感を作り出している。

この問題を解決するためには、すべての人たちが自分が持っている不安を見つめてみる必要があるのではないだろうか。

例えば、一度景気がよくなっても企業は手元にある資本を解放しない。根底に不安があり「この繁栄は偽物である」という実感があるからなのだろう。しかし儲けが還流されなければ、いつまでも景気は回復しない。単に消費が拡大しないばかりではなく、知的資本が失われてゆく。日本企業の成功の秘密はマニュアルになっていない暗黙知にあるので、従業員に十分に投資をしないと暗黙知が失われてゆくのだ。電通と高橋まつりさんの例で見たように、新しい事業に乗り出したいがどうしていいのかわからないので、死ぬまで働かせてポテンシャルのある新人を文字どうり消尽してしまった例まで出てきている。

この状態を改善するにはまず現状認識を行う必要がある。現状認識がないままでいくら新しいアイディアを試したところで何も解決はしないだろう。だが、根底にある不安を直視できないので、いつまでも不安が解消することはない。「集団で起こったことはとても個人の力では解決できない」という拭いがたい無力感を感じている人は多いはずだ。

その意味では、安倍首相は現在の日本を象徴しているとも言えるし、安倍首相が現在の日本の不安を増長しているという見方もできる。おそらくは相互作用が働いており不安の増幅が起きているのだろう。

その意味では立憲民主党は極めてまともである。立憲民主党にはさまざまなリアリズムに基づく政策があるようだが、この際政策はどうでもいいと言える。立憲民主党が言っているのは、まず憲法があり、その憲法の精神に基づいて法律が施行され、その施行された法律をみんなが守るという世界である。憲法改正はあるかもしれないが、これは遵法精神があって初めて議論されるべきだろう。

さらに皮肉なことに社会革命を標榜するはずの共産党までが「まずは憲法を守れ」などと言って、それが一定の理解を得るような倒錯した状況になっている。本来ならば共産党は「この世の中は間違っているから全部リセットだ」と暴れたいはずで、それすら許されないという倒錯した状況にあると言える。

繰り返しになるが、まずは問題を見つめる必要がある。とはいえわかりにくいので極めて卑近な例で説明する。ダイエットをするにはまずは鏡をみて体重計に乗る必要があるということだ。

なぜ太るのかがわからないのにいろいろなダイエットを試し、それでも痩せられないからといって、鏡を歪めてしまっては、いつまでも痩せることはできない。これで自分が納得できればいいのだが、会う人ごとに「太ったね」と言われる。それでも太っているという事実を認めないと、あいつは嘘つきだと怒ってみたり、外に出なくなったりするという状態に陥るだろう。さらに体のあちこちに痛みが出て不安が募ってゆく。鏡を歪めて痛みを抑えることはできない。

もし、安倍首相が国難なのだとしたら、自身の問題を見ないために周囲を巻き込んで議論を歪めているということだろう。だが、よく考えるとはっきりとした国難などはないのではないだろうか。ただ、漠然とした衰退への不安があり、それが幽霊のような国難を次から次へと作り出しているのである。

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