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小池百合子さんとナルシシズム

この文章は「小池百合子さんがナルシシストだ」という話ではありません。念のため……


小池さんが衆議院議員選挙に出るのではないかと話題になっている。個人的には出ないと思うのだが、評論家の大筋は「出る」としている。なぜ、でないと思うかというとでても小池さんにメリットはないからである。

ここで問題になるのは小池さんの行動原理が何に基づいているのかという点だ。ゆえにこれを読み間違えるとこの論は崩壊する。つまり、小池さんが大方の予想通り選挙にでた場合、小池さんの行動原理は評論家の予想通りだったことになる。

ここでは、小池さんは自分の卓越したアイディアを記者会見して、みんなが驚くのを見るのが好きだと仮定している。それだけが彼女の行動原理である。彼女はどうやったらアイディアを披瀝できるのかということを常に考えている。アイディアのストックを取材し、それを語るための場所を探している。いわば「プレゼンマニア」ではないかと思う。言い換えれば「ニュースキャスター」なのである。

ところが、政治評論家はそうは思わない。評論家には男性が多く「権力を掌握するのが政治家の活動の目的だ」と無意識に信じ込んでいるように思える。都政よりも国政のほうがえらいのだから、当然都政を投げ出して国政に戻るのではないかと予想するわけだ。

しかし、小池さんが仮に首相になれたとしても、記者会見して自分の素晴らしいアイディアを披瀝する場所がなければ意味がない。だが、首相の主な仕事は国会で野党議員の無駄な追求を受けることであり、記者会見をして感心される場面は少ない。首相がそれぞれの大臣に仕事を任せる立場にあり、自分が大勢のスタッフを使って夢を実現する立場にはない。

だが、東京都知事には内閣はないので、自分のアイディアを自分で実現することができる。これは都道府県知事がアメリカの大統領制を模しているからだ。

ではなぜ小池さんは記者たちが国政に出るかもしれないというのを明確に否定しないのか。それは記者たちの興味が小池さんがいかに国政に関与するかということであるというのを知っているからだろう。本当はアイディアを披瀝したいだけなのだが、それでは聴衆が集まらないので、期待感を煽って記者たちの耳目を引きつけようとしている。

だから小池さんは記者たちが自分たちでストーリーを作りそれを小池さんに押し付けてくるのが大嫌いだ。たいていの場合は陳腐な発想であり、驚きがない。つまらないシナリオに乗るのは三流役者であり、私にはもっと驚くべきアイディアがあると考えているのではないか。

こうしたズレはディスコミュニケーションを引き起こすのだが、記者や評論家たちはあまりにも鈍感である。日本人は思い込みに支配され相手の声を聞かないなと思う。例えば「どうやったら脱原発ができるのか」という質問の期待される答えは小泉さんを味方につけ政界再編につなげるためであるというものである。しかし、小池さんはこれに対して「現在の電力グリッドは効率が悪く、それを再編成すれば発電量が抑えられる」という回答をした。

だが、記者たちはそもそも電力供給などには興味がないし知識もない。明日の仕事のために「次に誰に取材をするべきか」ということで頭がいっぱいになっており、さらには読者の注目を引く見出しも考えなければならない。そこで「答えが噛み合っていない」と不平を述べるわけである。

いずれにせよ、小池さんが記者会見を開いて「相手をあっと言わせる」ためには、今の所東京のほうがふさわしい。例えば環境大臣であれば環境についてしかアイディアが披瀝できないが、東京都は小さな国のようなものなので、いろいろなことが総合的に試せる。そもそも野党党首というには首相にならない限り何もできないわけで、まったく面白みがない。

さて、この文章はタイトルをナルシシズムとした。もちろんビジョンを持つことは悪いことではないので、ビジョンを持っているだけでナルシシストであるとは言えない。ではナルシシストとビジョナリストは何が違うのか。

単にプレゼンをして「卓越したビジョンを持っている百合子さん」を演出したいのであれば、小池さんは単なるナルシシストということになるし、逆に人々を動機付けてプレゼンの内容を実現できればビジョナリストであるということになる。つまり、実行力の違いが両者を分けるのだが、加えて大きなプロジェクトは大勢の人が関わることになるので、動機付けが重要なのである。

だが、小池さんは人を驚かせるのは好きだが、他人を巻き込んで動機付けするという気持ちがまったくないようである。ビジョンも一人で考えているようだ。突然言い出したユリノミクスはYuri と Economicsの合成語なのだろうが、Urinomicとすると尿毒症という意味になる。多分、聞きかじりに他人のアイディアをコピペしただけで、英語がわかる人にチェックをしてもらわなかったのではないだろうか。アウフヘーベンにしても本来の意味を勘違いしているようだ。しかし、アイディアは放送のように流れてゆくだけなので、それほど気にならないのだろう。

そもそも実行段階には興味がなさそうで、他人に丸投げし、自分は別のビジョンを探している。だから小池さんの歩いた後には中途半端なビジョンと混乱したプロジェクトが作られることになる。豊洲・築地の問題はすでに多くの人を混乱させているが、小池さんがこれに関心を持っている様子はない。

ビジョナリストが嘘つきでも構わないのは、自分で集めた資金が源泉になっているからだ。しかしながら、政治家は税金を集めてきてプロジェクトを実行する。説明責任も果たさないで次々とビジョンだけを掲げ続けるとしたらそれは迷惑以外の何ものでもない。

だが、一方で小池さんのことを嘘つきだと指をさしてもあまり意味はない。なぜならば自分が持っている高邁なビジョンが実現しないのは、スタッフが無能だからであり自分のせいではないからだ。例えば、電力グリッドを整備して効率的な電力網が作れないのは地域ごとに電力会社がありお互いに協力しないからである。つまり、全ては人のせいであって自分の無能さのゆえではないと考えてしまうのだろう。

起業家であれば自分の夢が失敗して事業が成立しなかった場合「なぜダメだったのだろうか」と反省するのだが、政治家にはそうした破綻がない。だから、いつまでも夢を語り続けるということができるし、彼女の歩いた後には混乱が残るのである。

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