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文民統制はなぜ必要なのか、なぜ安倍さんに軍隊をもたせてはいけないのか

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島田雅彦という作家がアメリカと日本の文民統制は愚民統制になっていると指摘している。これが良いことなのか悪いことなのかという判断はここにはないが、あまりよくは捉えられていないのではないか。だが、これを見て「そもそもなぜ文民統制が必要なのか」と思った。

もちろん、軍隊が勝手に暴走しないために文民統制があるということは知っているのだが、これだけ政治がボロボロになってしまう光景を目の当たりにすると、文民もそれほどあてにはならないのではないかなどと思える。

文民統制の期限は英米にあるようだ。イギリスでは王様が戦争継続のtめに、税金を取り立てたという経緯があり、一度は革命が起こった。王様はイギリスとは関係がない領土を大陸に持っており戦争は必ずしも国を守るための手段ではなかった。

結局革命政府はうまく行かず王制が復活する。しかし昔のままというわけには行かず、議会が戦争を監視することになった。試行錯誤の結果として、有事の際には軍人のいうことを聞くが、戦争をやるかどうかは納税者が抑制するというような体制になったようである。

一方でフランスではこれがうまく行かなかった。革命の結果市民主導の政府が作られたが、ナポレオンが台頭してヨーロッパを席巻したのち敗戦して挫折した。この間にイギリスは海外植民地の獲得に専念できたので、イギリスの繁栄が決定的になった。大陸の混乱はその後しばらく続き、最終的にヒトラーが台頭することになる。海外領土が展開できなかったドイツが東欧に拡張した結果第二次世界大戦が起こるわけである。

つまり、理論的に文民統制の良さが発揮されているわけではなく、結果的に文民統制がうまくいっていた国の方が優位に立ったから文民統制が良いとされているというようなことが言える。もう一つ言えることは千軍的な解決策は「なぜか」破綻してしまうということである。考えてみれば自然な話で圧力は必ず反作用を生み出し、結果的には誰も止められなくなるからである。

アメリカの事情は少し違っているようだ。もともと政府の抑圧から逃れてきた人たちが「自分たちの税金の使い方は自分たちで決めたい」という欲求の元に作ったのがアメリカなので、当然軍隊の役割は限定的なものにならざるをえなかった。

アメリカが愚民統制になっても構わないのは、当初の経緯に加えて、過去の歴史から大統領の権限に制限が加えられているからである。トランプ大統領は任期付きの王様として戦争をやりたがるかもしれないが、議会が正常に機能してそれを制限している限りにおいて実際に戦争をすることはできないことになっている。いろいろな記事が出ているが、この個人ブログによると、ベトナム戦争などの反省も踏まえてこのような形になったようだ。

アメリカでは既成事実化したオペレーションは大統領の管轄下にあるが、新しい戦争を始める場合には議会の承認が必要である。そして議会はアメリカ本土に攻撃が加えられる可能性がない場合には戦争には極めて消極的なのである。

一方で、軍が政治や経済に大きな影響力を及ぼしている国がある。タイ、トルコ、エジプトのように軍が強い国の経済はそれほどうまく行かない。これは軍隊が治安の維持はできても経済の活性化はできないという事情がある。議会が弱いということは国民の政治的リテラシーが弱いということを意味しており、結果的に経済力がないということを意味するのである。例えばトルコは軍が強く国内資本に対する強いこだわりがあったので経済が停滞して現在の政権に至ったという経緯があるようだし、エジプトは軍が経済に深く関与しており不効率な軍企業が残っているというような話を聞いたことがある。いずれにせよ、こうした国々で<先軍的な>政治が許容されるのは、これが国内に向かっていて必ずしも欧米を中心とした秩序に挑戦していないからだろう。

日本が経済的に成功できたのは、軍にかける予算を抑制して経済に振り向けることができたからという事情の他に、経済を抑制してしまう強い権力としての軍が解体されてしまったという事情がある。

戦前の日本では軍隊と内閣は別個に独立していた。このため合意ができないと軍隊が内閣から大臣を引き上げてしまう。そうなると天皇以外には仲裁ができないのだが、基本的に天皇は何もしない(あるいはできない)ために内閣が崩壊してしまう。ところが戦後の内閣制度が行き着いた先は、議会と内閣が癒着してしまい相互監視を果たさないというものである。

これを一般化すると日本人はお友達を作り、お友達の間でかばい合い競争するということになる。これが集団思考を生み、全体を最適化するようなプランを考えることができなくなるということになる。

この点がアメリカと大きく異なる。アメリカは議会が健全に機能しているため文民統制が効いており、たとえ大統領が戦争をやりたがっても議会が予算を渡さない。ところが日本ではこのチェックが「なあなあ」になってしまうので、首相に軍隊を持たせるのは極めて危険だということになる。

改めて個人的な立ち位置を確認すると、日本は憲法第9条を改訂すべきだと思っている。理由は二つある。第一に、憲法制定時の「戦争放棄」は国際的レベルで実現しているので、それを踏まえた明文化が必要である。さらに、国際的な治安維持の活動の必要があり、形式的には主権国家同士の交戦という形があるので、これに参加すると決めた以上は、自衛隊の格を軍隊にしなければならない。

もちろんこれが成り立つためにはなし崩し的に始まった「自衛隊による国際貢献」を容認する必要がある。ここは意見の分かれるところではないだろうか。日本は治安維持には参加しないという孤立主義は、政策としては選択の余地がある。

しかしながら、今回の考察からわかることは、チェック機能が働かない現状において、内閣に軍隊を持たせるというのは極めて危険である。つまり、極めて同調圧力が高い文化では、安倍首相のような政治家に権力をもたせてしまうと文民のまま「東の将軍様」になってしまう可能性があるのである。こうなるともはや文民とは言いがたく、従って文民統制も効かないということになる。

トランプ大統領が威勢のいいことが言えるのは、実は「議会が戦争させてくれなかった」という言い訳ができるからだ。さらに世界の国々は核軍拡がエスカレートするのを恐れており、北朝鮮をやみくもに刺激するのは避けたいと考えている。

その中で安倍首相だけがアメリカが無条件に軍事行動をしてくれるのを予想して、北朝鮮を挑発し続けている。そんな中、閣内不一致を恐れてか、外務大臣まで北朝鮮を挑発するようなことを言い出した。議会は安倍首相に公認をもらえないと国会議員の身分が保障されないため黙って安倍首相に従っている。明らかに「いよいよ危なくなったら誰かが止めてくれるだろう」という集団思考状態に陥っており、極めて危険である。

だが、これを制度で抑制するのは難しいのかもしれない。相互監視が聞かず、かといって独立した組織を作ると組織間で競い合うという文化的な特性があるからである。これを抜本的に変えるのは極めて難しいので、だったら軍隊は持たせるべきではないという結論になってしまう。

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