面白いというかくだらないツイートを見かけた。
革新派政党と支持者にお聞きしたい。
『憲法9条があってもミサイルが発射され、日本上空を通過するのは何故ですか?』
この質問だけに率直に答えて下さい。
あなた方は今まで「憲法9条があれば我が国は攻撃されない」と散々謳ってきたのですから。
— 桂 春蝶 (@shunchoukatsura) 2017年9月15日
ここからわかるのは、解決不能な問題があると八つ当たり気味に攻撃できる人たちが攻撃されるというものである。「ミサイルが嫌なら北朝鮮に言えよ」などと思うのだが、北朝鮮とは話せないので、憲法第9上擁護者に攻撃の矛先が向いてしまうのである。憲法第9条を信じている人たちがミサイルを飛ばしているわけではない。
が、このツイートは重要な問いを含んでいる。それは憲法第9上がどのような<理屈>でミサイルを抑止しているかというものである。だが、これを考えるためには予備知識が必要である。
すでに観察したように、第二次世界大戦の結果、人々は、侵略戦争や植民地の保持が本質的に戦争を産んでしまうという認識を得た。大規模な戦争は経済圏同士のコンフリクトの結果だからである。帝国という領域は主権国家と植民地から構成されるのだが、必ず軍隊によって守られなければならない。領域にはコンフリクトがあり、それを解決するのが戦争である。
これをなくすためには、世界的な貿易圏を作りなおかつ当事国同士の戦争を禁止すればよい。その途中には植民地に対する主権国家の権益を守りつつ経済圏同士の戦争だけは防ぎたいという段階があるのだが、最終的にはそれは無理だろうということになった。こうして植民地は禁止され、信託統治領として管理したのち独立させることになった。
憲法第9上は日本という特定の主権国家に戦争と植民地主義を放棄させるための決まりごとだが、同時に国連においても同じようなきまりごとが導入された。その意味では憲法第9上は国際社会レベルで成就しているとも考えられるので、日本が単独で憲法第9上を保持しなくてもよいする議論の論拠になっている。
にもかかわらず、世界から戦争はなくならなかった。こうした理屈を信じない人たちがいたからだ。当初ソ連と中国は、西側諸国は帝国的野望を捨てておらず、したがって両者は共存できないとする考え方が主流だった。そのうちソ連が「平和共存もできるのではないか」と言い出し、これが中国とソ連を対立させることになった。
東西冷戦が核戦争の脅威を含んでいたのは、もともと抑圧される側だった社会主義陣営の人たちが、帝国の支配を受けるかもしれないと考えたからだろう。広島と長崎は世界に対する恫喝なので東側の人たちがそう考えるのは極めて自然なことである。
相互不信の状態では、情報の流通がなく相手が何を考えているのかはよくわからなかった。憲法第9上と国連憲章が大切なのは「私たちから先に戦争を放棄しまう」ということで、対話の素地を作ったことである。
日本人にはなかなか理解されないようだが、国連の安全保障理事会で北朝鮮制裁の合意がなされたことはアメリカでは高く評価されているようである。話し合いのチャネルは残しておこうという意思の表れなのだが、背景には相互不信から全く話ができなかった当時の記憶があるのではないだろうか。
話し合いのチャネルがある限りは「相手が撃つかどうかはわからないから、こっちが先にやってしまえ」ということにはなりにくい。
それでは北朝鮮が核兵器を開発したのはなぜなのだろうか。歴史的には北朝鮮は中ソ対立に巻き込まれた時代がある。ソ連が先に平和共存主義を言い出し、中国が対立する。中国はアメリカに抑圧されたくないという理由で核兵器開発をする。これは領土紛争を抱えるインドを刺激することになり、ソ連がインドに核兵器開発技術を提供するという経緯がある。自衛と核兵器というのは、西側に属さない社会では強く結びついている。
が、こうした被害者意識は実は経済的劣等感の裏返しである。中国が経済的に自信を深め「もう一方的に支配されない」という認識を持つと、経済は徐々に解放された。
さらに北朝鮮は(多分)唯一国連軍と交戦状態にある国連加盟の主権国家である。そのために国連中心の経済体制というものに潜在的な警戒感があるのだろう。つまり、国連憲章というのは国連という域内を守ってくれはしても、その敵国は守られないという認識があるのではないかと思われる。
つまり、国連憲章が「世界的な共存共栄を目指しましょう」という日本の憲法と同じような精神を持っているが、それを信じられない国が核兵器に依存してしまうということである。裏返すと、憲法第9上があり、それが信じられていれば、戦争は起きず、ミサイルが飛んでこないということになる。
このことからいろいろなことがわかる。第一に憲法第9上は持っているだけではだめで、その理屈を相手の当事国が信じなければならない。そもそも国連というのは主権国家同士の信頼がその基礎にある。
その意味では、日本は憲法第9上を持ってはいても、その背景にある理屈を理解せず、解釈をごまかしてばかりいる。これでは宝の持ち腐れであるどころか極めて有害である。
こうした一連の考察を踏まえて最初の問いに答えると、憲法第9条があるのに北朝鮮がミサイルを飛ばしてくるのは、北朝鮮がその精神を信じていないからである。
だが、実はここから先が重要である。憲法第9条の精神の延長にあるのは、世界的な経済圏の獲得である。これを信じないということは自前の経済圏を作って、それを自前で保証するというものだ。現実的には主権国家が一国で経済圏を獲得することはできない(アメリカですらできていない)ので、集団的安全保障の枠組みが必要になる。北朝鮮は核兵器を開発できたとしても、それだけで経済を支えることはできないので、この先さらに軍事費にお金がかかることになる。と、同時に日本にも同じことが言える。憲法第9条の看板をおろして自前の経済圏を作ろうとするとそれを防衛するために軍隊を維持しなければならなくなる。
これが「憲法第9条に変わる対案を出せ」の意味になる。