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若狭新党の失敗に見る「日本人が政治に期待するのもの」

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若狭新党が人々を失望させている。どうやら「政策の基礎は一院制だ」と主張したのが不評だったらしい。政治のクロウト筋は「安全保障政策がない」とか「憲法感がわからない」ということが不満らしいのだが、そういう意見はこの際どうでもよい。若狭新党の問題は庶民の期待に応えていないことなのだが、逆に言うと庶民が政治に何を期待しているのかがわかって面白い。

人々が小池都知事に期待しているのは何だろうか。それは小池さんが2つの属性を持っているからだ。一つは本来「下に見られている」女性たちが「威張り散らしているだけ」の男性を打ち負かすというものである。もう一つは英語を多用した女性コンサル的な側面だ。これも外資系企業を知らなかったり、経営学を勉強したことがない人には、斬新でなんらかのブレークスルーをもたらしてくれるものと期待されるのだろう。

これを合成すると「下に見られている人」が「実は最新で有能だった」ということになる。小池さんはそこにはまったのだ。さらにその背景には「東京がうまく行かないのは、本当は実力がない人たちが上にいる」という意識があるのだろう。

劇場型政治の要点は悪者を作ってうまく行かない責任を悪者にかぶせることにある。例えばヒトラーはドイツがうまく行かない原因をユダヤ人と共産党のせいにして人々を煽った。こうした政治が生まれたのはラジオのようなメディアが一般化したからなのではないかと考えられる。つまり、どのメディアを利用するかということは劇場型政治と密接な関係がある。

さらに、小池さんの例からみると「わからないからこそ期待できる」ということがわかる。そこから考えると当時のドイツ人は「ドイツ人というものが何なのか」がよくわからなかったからこそヒトラーを支持できたのではないかと考えられる。

日本が経済成長できない理由や大きなプロジェクトをまともに扱えなくなった理由はいくつも挙げられているが、コンセンサスは得られていない。そのため「よくわからない」ことは度々に劇場型政治利用されてきた。

例えば小泉劇場は郵政造反組を既得権益に与するものとして糾弾し、民主党政権は官僚が税金を無駄遣いしているから増税はいらないと説明した。小池都知事は、自民党都議団を守旧派と位置づけて豊洲・築地の問題がうまく行かないのは内田茂のような旧弊な都議たちが私腹を肥やしているからなのだという印象操作をした。

つまり、若狭新党を成功させるためには、若狭衆議院議員はまずなんらかの問題を探し出した上で、それを参議院のせいにして糾弾しなければならなかった。そこで無理めの目標を設定して一回負けてみせる。大げさに立ち上がり苦悶の表情で「私が勝つにはあなたたちの応援が必要なのです」などと言ってみせるべきだったのだ。

若狭さんは検事の出身で、こうしたお芝居とは無縁の生活をしていたのだろう。これまで演技をする必要はなかったので、今回も芝居こそが政治の本質であるということが理解できなかったかもしれない。

こうした芝居の筋書きは意外と簡単な論理で構成されている。2つの簡単な原理があるようだ。第一に有権者たちは、利益というものを集落に流れてくる水のように考えている。まず水がどこから流れてくるかは気にする必要がない。さらに流れてくる水の量は一定でありコントロールできない。だから、誰かが多く水を取ると他の人が取れなくなるという「ゼロサム」社会なのである。例えば官僚がおいしい思いをすると、そのツケは有権者に回るのだが、税収を抜本的に増やそうと考える人はいない。これは日本が村落的共同体を基本にしており、田に回る水の量が一定の世界で暮らしてきたからではないだろうか。

これを裏返すと「誰かが何かを提案し」「その提案のバックグラウンドがわからない」場合は、提案者が水の流れをこっそり変えようとしていることを意味するということになる。だから、絶対にその誘い乗ってはならない。

もう一つは、身分に関するものである。水源の上流に住んでいる人や水を引きやすいところに住んでいる人の方が下流に住んでいる人よりも良い思いができる。つまり、一度良い位置を確保したら絶対に動いてはいけないわけである。

このように日本人の身分は固定されている。農民は代官に頭が上がらない。しかし、代官の上には殿様がおり、どうにかして殿様に窮状が伝われば、代官の悪事は暴かれるだろうということになる。いわゆる「水戸黄門幻想」である。

このことから日本人は自分たちからは決して動かず、全体のパイが拡大するために何かをしようなどとは考えていないことがわかる。だれかが出てきて、自分たちの正当な取り分を取り戻してくれ流のを待っているのだろう。

若狭新党が失敗しつつあるのは、小池さんという「女性なのに有能な」人に、男たちが群がっているように見えるからだろう。しかし、小池さんは表向き東京都の仕事に専念しているので(お芝居の筋立て上「既得権を持っている与党のくだらない男たち」と対決しなければならない)新党の顔に慣れない。これはかなり皮肉な状態だ。

さて、最後にこうした劇場型政治の何がいけないのかということを考えたい。国民は劇場型政治に期待するようになっており、政策論争には全く関心がない。さらに、自分たちが社会に貢献できるとも貢献すべきだとも考えていない。このために、政策論争が行われず、フィンガーポインティング(悪者を探して指をさす行為だ)が横行するが、誰も止められなくなってしまう。

このようにして政治は問題解決能力を失ってゆく。いろいろな解消策があるのだろうが、日本の場合はある日突然永田町のコミュニティがお互いを褒めあい利益を独り占めしようとするようになるのではないだろうか。いわゆる「翼賛体制」である。すでに一部の元民進党議員が自民党に接近し始めている。

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