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アーレントの「全体主義の起源」と植民地獲得競争

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NHKでアーレントの「全体主義の起源」を解説する番組をやっていたので、第一回目を見た。今月いっぱいかけて著作の全体を紹介するのだという。トランプ大統領の誕生がきっかけになりアメリカで全体主義が注目されるようになり、最近では日本でも名前が知られるようなった著作なのだという。それだけ全体主義を心配している人が多いのだろう。

アーレントは1906年ドイツの裕福なユダヤ人家庭に生まれフランスからアメリカに逃れた。アメリカでホロコーストについて知り、その後ドイツに戻り「なぜユダヤ人が迫害されなければならなかったのか」ということを研究したという。

全体主義が生まれた背景には「世界の崩壊」がある。アーレントについて書かれた記事をネットで読むと、排外主義と植民地獲得競争が背景にあったとされているそうである。だが、第一回目を見ただけでは国民国家がなぜ生まれ、どうして安定性を欠いていたのかということは省略されている。

多くの領主国家があったヨーロッパはナポレオンによって統一されかかり、ナポレオンの敗戦で混乱状態に終止符が打たれる。そのあと旧領主たちは旧体制(アンシャンレジーム)への復帰を願ったのだが、一度解放された市民たちは旧体制への単純な復帰を願わずに、各地で国民国家が誕生することになる。

ではその旧体制とはどのようなものだったのだろうか。大陸の旧体制は「絶対王制」として知られる。王の権力が絶対でありそれは神から与えられた所与のものだということになっている。王の最大のプロジェクトは戦争を通じて領土を拡大して経済的ネットワークを作るというものだった。

だが、イギリスではこの絶対王制が早くから破綻し議会と協力してプロジェクトを推進する議会王制が生まれた。イギリスの成功をみると議会王制の方が植民地獲得競争に有利だったことがわかる。なお、経済的なネットワークとは「労働力(アフリカの奴隷)」「原材料」「市場」なので、市場以外の労働者には人権はなかった。

絶対王制が破綻したのは植民地獲得競争に歯止めが効かなくなり、住民たちが重税感に苦しむようになったからだ。ナポレオンはそうした人々の不満から生まれ、最初は共和制を採用していたのだが、のちに皇帝になってしまう。

ナポレオンから解放されたあとも、戦争がなくなることはなかった。ナポレオンに侵略されなかったイギリスは海外に領土と経済的ネットワークのおかげで大いに繁栄できたがドイツは海外領土も乏しく、経済的に発展するためには大陸内部で領土を拡大するしかなかった。こうして各国民が互いに競い合うという状況が生まれ、競争に負けそうな国に閉塞感が生まれた。

こうした閉塞感は個人では解決ができない。そこで誰かが全体をまとめてくれることを期待しつつ、中に敵をつくることによって社会をまとめて行こうという動きが地下水脈のように生まれたようだ。これを全体主義と呼ぶようになったが、初期には必ずしも悪い意味合いは持っていなかった。

かつてヨーロッパは王侯貴族によって支配されていた。大衆は自分たちが社会の主人になることを望んだが、どのように自治を行って良いかがわからず、結果的に新しい支配者を望んだのだと言える。まずはナポレオンが人々の要請で皇帝になり、のちになってヒトラーもまた議会政治の中から生まれた。

ナポレオンは外で勝ち続ける限りにおいては内側に敵を作る必要はなかった。だが、常に勝ち続けることはできない。その場合「うまく行かない理由」を内側に探す必要がある。だが、自分たちの弱さを直視することはできないので、異分子がターゲットになってしまう。

アーレントはこの時にターゲットにされたのがユダヤ人だったと考えているようである。ユダヤ人はキリスト教社会には同化せず、キリスト教徒が嫌っている金融などで社会的ネットワークを作り、自分たちの権利を国家に認めさせた。一度獲得できたように思える市民権だが、社会が行き詰まるにつれて「実はユダヤ人は世界的ネットワークを作って社会を転覆しようとしているのではないだろうか」という妄想が生まれる。

番組で取り扱われていたドレフュス事件が起こった当時のフランスはプロシアとの戦争に負けてアルザス=ロレーヌ地方を失っていた。また、多額の賠償金を課せられて、フランス経済は大きな打撃を受けた。フランス軍部にはプロシアへの内通者がいたことは間違いがないらしく、その事実を隠蔽するために軍部は「軍事機密である」という言い訳を多用して、ユダヤ人であるドレフュスに罪を着せたようだ。現在ではこれは冤罪であったということが知られているとのことである。

フランス唯一のユダヤ人士官ドレフュスが内通者であるという証拠はなかったが、ユダヤ人であるというだけで疑われた。お金で特権や市民権を買うことができても「ユダヤ人だから」という理由だけで反社会的行為を疑われることになった。アーレントはこうした人たちをパリアと呼んだ。社会がうまく行かない原因を「パリア」と「陰謀」に求めることが、全体主義の起源の一つになっている。

ここで、現在と当時のヨーロッパの状況を比べてみたい。日本は現在、韓国や中国との市場獲得競争に負けつつある。特に、中国に経済的なポジションを奪われている。この原因を産業構造に求めるのではなく「在日韓国人」や「中国と通じた政治家」が反日行為を通じて我々を内部から分断させようとしていると考えると、これは全体主義につながるのではないかと考えることができる。

しかし違いもある。当時の主権国家は植民地獲得戦争を通じて経済的に競争しようとしていた。しかし、現在は中国も韓国も世界経済のネットワークに組み込まれており、特に戦費を調達して戦争というプロジェクトを遂行するという必要性はない。つまり、国家は「帝国」という経済圏を獲得する必要がないのである。

つまり全体主義に通じる第二条件が揃っていないので、現在は全体主義に至る動機がないということになるのかもしれない。だが例えばTPPはアメリカと太平洋諸国で経済圏を形成しようという動きだったし、中国の一帯一路にも同じような思想が見え隠れする。このように軍事力を背景にして帝国的な経済圏を復活させようという動きは存在する。

いずれにせよ、日本はまだ全体主義が疑われる状態にはないのだが、それでも蓮舫元代表が「台湾人の血を引いている」という理由で日本国籍を取得したあとでも国家への忠誠を疑われるというような動きは起きており、パリアという考え方が必ずしも過去のものにはなっていないことがわかる。

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