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安倍首相の美しい国という理論が無茶苦茶になる理由を考える

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今日は安倍首相が美しい国という理論が矛盾だらけである意味について考えたい。だが、これについて考える前に全く別の例を出す。安倍首相の美しい国の理論が破綻していることは明らかなので、これについて証明しても仕方がないからである。

前原民進党が人事でつまづいたというニュースを見た。主婦に人気の高い山尾志桜里さんを幹事長にしようとしたのだが、直前に撤回された。どうやら、不倫スキャンダルを週刊誌にすっぱ抜かれそうになったので急遽取り止められたらしい。

最初に山尾さんを起用するという話が出た時「よせばいいのにな」と思った。明らかに人寄せパンダ扱いだからだ。これは、蓮舫前代表と同じ間違いである。つまりなんとなくフワフワとした人気で人事が決まるので、それがなんとなく毀損されると今度はその人を降ろそうとして大騒ぎが起きるのだ。

もし多くの人が保育園について真面目に考えているのなら、有権者は山尾さんの保育園の政策を応援していたはずである。しかし、不倫でがっかりされるということは、有権者は保育園の件にはそれほど熱心でなかったという可能性が高い。有権者は総理大臣を面と向かって非難できる強い女性を好ましいと思っているのではないかと考えられる。

つまり、有権者は現在の男性が威張っている社会情勢にはうんざりしているのだが、政治的課題についてはそれほど切実な気持ちを持っていないということになるだろう。これは、小池都知事を応援した人が必ずしも豊洲問題に興味がないことに似ている。

有権者にこれといったイシューがないので民進党は何をやりたいのかがよくわからない政党になっている。民進党の人たちの行動を見ていると、「自分と地方にいる自分の子分」が議員になれるかどうかということだけを判断基準に意思決定しているように見える。

このため、民進党はいつまでたっても安定しない。有権者にとっては誰が議員になるかというのはどうでもよいことであり、議員も有権者の生活にはそれほど関心がないからだ。

しかし、これが必ずしも悪いことであるとは言えない。消費者にニーズに合わせたサービスを提供するという業態は成立し得る。これはお店に例えてみればわかりやすい。例えばデパートは欧米から最先端の暮らしを持ってきてこれを提示して商品を売っている。これは「ビジョン先行型」である。だが「とにかくお客さんが欲しいものを売ろう」とすれば、例えばドンキホーテのような業態になる。安いが一貫性がない。これはニーズ先端型である。

自らビジョンを作れない民進党にはドンキホーテ型でやって行くしかないのだが、「共産党と協力してとにかく政権だけとろう」というのはいやだという。ドンキホーテに入社したが、銀座のデパートのような品揃えにしたいとわがままをいっているようなものだ。

では、自民党はデパートでビジョンを提示できているのだろうか。

これを象徴しているのが安倍首相である。自民党はもともとアメリカの民主主義ビジョンを輸入してきてそれを実現する政党だったと考えらえる。しかしそのビジョンは高度経済成長気のものなので、その後のビジョンを提示できなかった。

そこで自前でビジョンを作ろうとしたのが野党時代の自民党である。その例が自民党憲法草案と安倍首相の美しい国だった考えられる。

安倍首相が日本人論を組み立てようとすると「植民地経営に失敗して戦争犯罪人として断罪されそうになったがアメリカ協力者として目こぼししてもらった」というかなり特殊な血筋を正当化しながら、同時に日本がまとまるための原理としての異物をでっち上げなければならないというかなり苦しい立場に立たされることになる。

もともと、日本は自然発生的にできた国なので日本には統一原理がない。それを統一しようとするとなんらかの異物をでっちあげなければならなくなる。そこでよく使われるのが在日と呼ばれる人たちだ。在日さえいなくなれば日本はまとまるだろうなどという予測が語られるのだが、これが間違っていることは明白である。つまり日本から在日の人がいなくなってしまえば、別の弱者をでっち上げる必要がでてくるだろうからだ。

しかしこの在日という人たちはヨーロッパ世界やアメリカの「異物」とは違っている。第一に欧米にはかなりの数の「自分とは違った人たち」がいる。アメリカのファストフード店では英語が通じにくいことがあるし、ヨーロッパの主な駅前にはトルコなどからきたイスラムの人たちが大勢集まっていた。彼らは現地の言葉をうまく話さず固まって住んでいる。在日の人たちは固まって住んではおらず、むしろ日本の社会に溶け込んでしまっている。

さらに、自民党の一貫した原理は、差別する弱者や敵を提示するから、その代わりに有権者の人権のような権利を自分たちに返せというものである。政治家は有権者の代表ではなく、権利を奪われた統治者という自己認識があるのだろう。この誇大妄想が自民党政治家の特徴であり、野党時代に「政権を奪われた」ことで、彼らの丸くて完全な世界が有権者によって破壊されたので、それをwholeに戻さなければならないという妄想が生まれた。

つまり、自民党は有権者を自分に従ってくれる「良い有権者」と自分たちを政権から追い落としかねない「悪い有権者」に分けた上で、統治者としての自己意識と表向きの国民の代表という建前の間で揺れ動く。これが破綻して現れるのが数々の失言だと考えることができる。

民進党はフワフワとした国民の期待と自分たちの生活だけを確保したいという生存原理の間で揺れているのだが、自民党は統治者意識と国民に追い落とされかねない不安定な身分という二つの生存原理の間で揺れているのである。民進党は敵が明確なので異物を設定する必要はないが、自民党はそれが必要になる。

自民党政治はよく第二次世界大戦前夜の全体主義と比較されるのだが、色々と見て行くとそれとはかなり違っているように思える。全体主義が立ち上がったのは、帝国が瓦解し、国民国家が拡張競争をするという特殊な事情があったものと考えられているようだ。勝ち組のアイデンティティはそれほど揺るがなかったら、後発国には焦りがあり「異物を排除してまとまること」によって、競争に勝とうとした。

ユダヤ人はキリスト教社会にいながら独自の宗教を保持している。国家が競争する社会ではこれは「競争に協力しない異物」と取られてしまい、迫害が加えられることになった。しかし、在日の人たちが朝鮮半島独自に宗教や文化をそれほど重要視はしていない。確かに根っことしての民族教育にこだわる人はいるだろうが、生活言語は日本語であり、ユダヤ人のように社会階層から逸脱して自分たちだけの経済ニッチを持っているということもない。

つまり、それほど強い異物ではないのだが、それでもこうした人たちを持ち出さないとまとまれないほど日本はまとまる理由がない国なのだ。

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