小泉進次郎筆頭副幹事長が「年金を返上してこども保険の財源に当てたい」と言って人々を当惑させている。今回はこれが愚策だという立場で分析したいと思う。まず、重要だと思われる疑問は「善意なら勝手にやればいいのに、なぜ新聞でわざわざ発表するのか」というものだ。
愚策だと思える理由を列挙してゆく。
第一に挙げられる理由は、ここから得られる原資が少なく実質的な効果がないというものだ。これはすでに新聞などで紹介されている。人々は「にもかかわらず、お金に敏感な経営者が見返りなしに年金を手放すはずはないだろう」という疑念を抱く。
次の理由は同調圧力だ。日本人は「みんながやっているから自分もやれ」と言われると抗えない。だからこうした動きが中間管理職に広がれば、自分は年金をもらっているということに罪悪感を感じる人が出てくるかもしれない。理由がわからないのに同調圧力で年金をあきらめさせられたらどうしようと考える人出てくるだろう。
第三の懸念は比較のさざなみである。純粋に善意なら別に新聞で公表することはない。新聞で公表するのはこれが間接的な自慢だからである。
例えば、最近小池一夫という恒例の漫画家がTwitterで大反発された。
食費にお金を若者はかけられないというが、それは、言い訳。今日のお昼ご飯、鱧のおすましだったけど、家人に聞いたら、実質何百円だって。骨切りした鱧も旬だから安いし、他の材料も残りものだしって。やれば出来る。やらないだけ。(小池一夫) pic.twitter.com/0tyD1LWoIv
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2017年8月12日
例えば、子供を抱えたワーキングマザーがこの書き込みをみたらどう思うだろう。鱧を調理している時間などないし、もしかしたら夕食はカップラーメンだけかもしれない。貧困に対する想像力が欠如している。
だが、実はこれは間接的な自慢なのだ。奥さんが「私はこんなにちゃんと料理をしている」といってインスタグラムにあげるのは構わないが、多分奥さんはそんなことはしないだろう。料理をするのは自分たちの暮らしを自分たちなりに「きちんと」することが目標であって、若者に説教をするために料理しているのではないからだ。小池さんは謝罪しているようだが、実は最初から「自分はちゃんとしている」と自慢した上で、それに引き換えお前たちは……とやっているのである。さらに自分は料理をしているわけではない。あくまでも他人の仕事に乗っかっているだけである。
つまり「俺はえらいがお前は」という言動から生まれるのが比較のさざなみである。ひけらかしまでは構わないと思うのだが、ひけらかしに比較が入った上で他人に行動を強制するということが問題なのである。
こうしたひけらかしが経営者にもみられる。年金を返還する余裕がある人は、実は何回も役員になって退職金を得たりすることができる人なのだろう。サラリーマン社会の成功者であり、これを顕示したいという欲求があるのだろう。さらに「表彰する」という案も出ているようだが、これもお金で名誉を買っている。
さらに経営者というのは自分で仕事をしているわけではない。他人の上がりの一部を自分の給与としている。多くの企業は非正規雇用の人たちを使い倒すとことで収益を挙げている。つまり、一部の経営トップの人たちが役員を歴任して退職金をもらっている裏では、将来に何の希望も持てず多分年金も当てにできないという人がいる。こうした人たちの犠牲の上で「自分は実力があるから、何度でも退職金をもらう権利がある」などと言ってはばからない。
労働者側から見ると搾取だが、経営者はこれを「自分の実力だ」と考えるだろう。搾取には立場による非対称性がある。
最後の理由は実利的なものだ。いくつかのものがある。
経営者たちは企業で儲けた金を海外の会社にプールしてそこから役員収入を得るということもできる。毎月もらっているお金は少ないかもしれないが、それは実質的な年金である。こうした年金資金を確保するためには、非正規の労働者への報酬はできるだけ少なくすべきである。つまり、自分たちが「たくさんもらっている」という批判を避けつつ、しっかりと将来設計ができる上に、社会に貢献していますといえてしまう。一方、ワーキングマザーなど将来の不安を抱えている人は「社会のお荷物」と言われかねない。
加えて、国に福祉政策を移管することで経営効率をあげようとしているという問題がある。この話は「将来保証は国の責任だ」という話なのだがこれを「だから企業は面倒をみなくてもよいのだ」と言い換えてしまうわけである。日本の企業は終身雇用という形で社員とその家族の将来をまる抱えしていた。これを国に背負ってもらえるのでこども保険には経営的なメリットがある。労働者への配分が少なければ、それだけ自分たちの将来設計は楽になるだろう。だから新聞を使って宣伝をするわけである。
さらに、知らず知らずのうちに「年金」と「こども」という対立構造を植え付けようとしていることもわかる。メッセージ効果を狙うなら「政府の効率化」と「福祉」としてもよいわけだし、「防衛」と「福祉」としてもよい。しかし、自分たちは特区などを使っておいしい思いをしたいので、福祉とは切り離したいのだろう。
つまり、小泉筆頭副幹事長のやっていることは、こども保険の実際の財政的な問題を何一つ解決せず都合の良いフレームワークを作ろうとしており、さらに格差を放置した上で、経営者にひけらかしの機会を与えているという意味で何重にも悪質なものになっている。こうした発想が生まれるのは、自民党が一部の支持者たちの声しか聞かなくなっているということを意味する。
「そのうちひどいことが起こるぞ」と思うのだが実際には影響が出ている。例えばプレミアムフライデーは創設された瞬間に死語になった。誰も経営者の発案に乗る人がいなかったからだ。さらに暮らしがよくなるからお金を使えと言っても誰も使わない。イオンなどのプライベートブランドは値下げをするようである。こうしたことが起こるのは、日本人が経営者と政治家がでっち上げるマーケティングプランを信用しなくなっているということを意味している。小泉筆頭副幹事長はそれに新しい泥を塗っただけなのかもしれない。