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ナチズムはなぜいけないのか高須さんに説明ができますか?

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「みんながいけないって言っているからダメなんでしょ」では説得できない

整形外科医の高須克弥さんという人が「ナチズムを肯定した」として叩かれている様だ。この一連の議論の中で「なぜナチズムはいけなかったのか」を説明しようとしている人たちがいた。いくつか眺めてみたが次のような説明が一般的なようである。

  • ナチスはユダヤ人をたくさん殺してかわいそうだからいけない。
  • ナチスは国際的にいけないという人がたくさんいるからいけない。
  • ナチスはドイツ人を正しいドイツ人と正しくないドイツ人に分けたからいけない。

日本人は「決まりだから守らなければならない」と考える人が多いが、ここでもその法則があてはまるる。つまり「被害者がたくさんいてみんながいけないと言っているからダメなんでしょ」という説明が受け入れられている。

この言い方で「ナチスがいけない」と思っている人を納得させることはできるが「みんなの<思い込み>に逆らう俺カッコイイ」と思っている様な人を納得させることはできないだろう。擁護派の中には「一部成果があったのを肯定しているだけ」という人もいるが、これも実はあまり意味のない話だ。

ではなぜナチズムはいけないのかということを調べてみたい。一つだけ確実なのは、ナチズムの被害を被らなかったドイツ人はいないし、被害を受けたのはドイツだけではなかったということだ。つまり、ユダヤ人が被害を受けたことは確かだが、ユダヤ人だけの問題ではなかったのである。

ナチズムが起こった当時のドイツ

ドイツは第1次世界大戦に敗戦して、主に東側の現在はポーランドにあたる領土を失った。だが、崩壊したのは領土ではなく、自分たちは何者なのかという概念そのものだった。ドイツ人というのは複雑な概念で「ドイツ語を話す人」という意味しかない。例えば、東ヨーロッパには支配者層のみがドイツ人の地域があった。さらにオーストリアにもドイツ人は住んでいた。さらに海辺のドイツ人と高地に住むドイツ人では話す言葉がかなり違っており、現在では別の言語だと考える人もいるくらいの差がある。つまり、ドイツ人とは何かということを考えはじめると「なんだかよくわからない」ということになってしまうのだ。

だが、各地で帝国が崩壊してヨーロッパ各地に国民国家が立ち上がると、ドイツ人も「自らのドイツ性とは何か」ということを考えざるをえなくなってしまった。

だが、問題はこれだけではなかった。イギリスで共産主義が生まれロシアで発火した。いわば「資本主義は労働者に希望を与えられないから内側から体制を破壊してしまえ」という運動だ。これに対抗するためには資本主義を肯定したくなるがそれも難しかった。金融恐慌が発生して資本主義経済がめちゃくちゃになってしまったからだ。何か欠陥があるのは明らかだったが、何が問題でどうすれば解決できるのかがわからない。つまり、資本主義も肯定できないが、かといって共産主義的な政策も取りたくないという状態にあった。

ドイツ人は最終的に、共産主義でも資本主義でもない「独自のやり方がある」という主張に共鳴した。しかしそれは「考え方が違うから考え方を変えてみよう」というようなおとなしいものではなく、敵の設定だった。共産主義を代表していたのはソ連なのだが、資本主義に敵を作れなかったので「ユダヤ人が悪い」ということになったものと考えられる。

この二つが結びついてナチズムになったのか、それともナチズムがこうした動乱を利用したのかはわからない。だが、最終的にはヨーロッパ全体を巻き込む嵐になって誰も止めることはできなかった。

敵の設定には成功したが問題は解決できなかった

ヒトラーがやったことは、国会を破壊することだった。1933年の総選挙の選挙期間中に国会が火事になった。誰がやったかはわかっていないそうだが、ヒトラーは「共産主義者が国を破壊しようとしている!」と叫び、共産主義者系の新聞を発禁にして共産主義者を予防拘禁した。最終的にはヒトラーへの全権委任が行われ、国会は開催されなくなった。日本の憲法改正案にある「緊急事態条項」が嫌われるのはこの時の記憶によるものである。人権に配慮した憲法があったとしても、それを合法的に停止することができるようになる。そして危機などというのはいくらでもでっち上げることができるのである。

次に行われたのがユダヤ人の迫害だった。ドイツ人が一つになれなかったのは異物であるユダヤ人のせいだ意見は以前からあったようだが、ナチスによって組織化されて「効率的な」排除が行われた。最初は国外に追放して財産を奪う計画だったようだが、それも面倒になりガス室を作って殺す様になった。これは財産を奪うという目的の他に、不調の原因を可視化することが目的だった。つまりナチスの政策が悪いわけではなく、ユダヤ人のせいで暮らしがよくならないという責任転嫁がなされたのだ。

ナチスドイツには経済的な問題についての知見がなかったようだ。これは世界的な問題だった。協調行動をとる仕組みが全くない上に経済理論も脆弱だったせいで金融危機への対応ができない国が多かった。ここからすぐに抜け出せた国は、中国本土に展開した日本と東方に展開したドイツだけだったが、どちらも最終的に行き詰った。

正面から問題を解決しようとすると国民から非難される可能性があるので、敵を設定してそれを問題解決だと思い込ませる必要があった。現在の日本でも中国や北朝鮮に目を向けてアベノミクスの失敗を糊塗する動きがある。安倍政権が特区を使って仲間たちに利益配分する動きが国民の注目を集めると「中国が日本の土地を乗っ取ろうとしている」などと騒ぐのがその一例である。つまり、敵の設定は行き詰まりの印だと言える。

ドイツは公共事業で失業者を吸収しようとした。これ自体が悪いとは言い切れないが、ドイツ政府は国債も発行できず外貨準備もなかった。そこでメフォ手形を発行することになる。しかし、こうした<経済対策>は生産力の底上げにはつながらないので、やがて政策が行き詰ることは明白だった。そこで軍備増強が計画された。つまり軍隊そのものが巨大な公共事業であり、略奪は資金の調達方法でもあったということになる。このせいでヨーロッパの多くの地域でナチスによる破壊が横行することになる。

「最初のうち、ナチスドイツの経済政策が成果をあげた」ということ自体は確かなのだが、持続性がなく、周囲を破壊しつつ拡大するガンのような成果の上げ方だった。だから、アウトバーンやフォルクスワーゲンだけを取り上げて成果があったということはできない。これらの政策はひとつながりになっているからである。これでもナチスのやり方は正しかったなどという人がいれば、それはもう頭がおかしいとしか言いようがない。

問題はどう解決されたのか

さて、大規模な破壊が起こったのだから、当然誰かが償わなければならない。だが、その被害は誰かがなんとかできる規模ではなかったので、ヨーロッパ全体で負担する必要があった。さらに、第一次世界大戦でドイツを経済的に追い詰めたことが第二次世界大戦の要因になっていることはわかっていたので、賠償金や補償金という方式は採用されなかった。

これが日本とドイツの決定的な違いになっている。つまりヨーロッパ人は自発的に賠償金を取らないということを決めて、代わりに集団的な自衛の枠組みを作った。しかし、独立国が少なかったアジアでは自発的な取り組みは行われず、半ば所与のものとして賠償金の請求をしないという決定がなされた。このため、ドイツ人は過去の「過ち」について意識的に否定しなければならないと考えているのだろう。

戦後賠償のためには生産設備を接収して賠償に当てる「デモンタージュ」という方法が取られた。東側ではデモンタージュが徹底され東ドイツは生産設備の多くを失った。一方で、西側では共産化を防ぐ方が先だという認識が生まれ、デモンタージュが徹底されることはなかったようである。西側はルール地方の資源を共同管理する枠組みが作られ、これがやがてEUへと成長することになったという分析もある。また、ソ連に対する集団防衛の体制が取られ、ドイツは集団的自衛の仕組みに強制的に組み込まれた。

メフォ手形をはじめとしたドイツの戦後処理がどの様に行われたのかをwikipediaで簡単に見ることはできなかった。ドイツの返済能力を超えているので、補償を優先するとドイツ経済が破綻することはわかりきっていたし、かといってすべての補償を全く行わないというわけにもゆかなかった。

例えば、ここに「ロンドン債務協定」についての文章があるのだが、正直何が起こったのはよくわからない。文章を読むと、最初は東西ドイツが成立するまで補償問題は棚上げしようということになり、東西ドイツが成立してからもうやむやになったようである。ヨーロッパ経済は複雑に結びついてしまっているので、ドイツ経済が破綻してしまえばヨーロッパ全体が壊滅的な影響を受けるだろうということだけは想像ができる。

これがドイツがナチズムを決して許容しないもう一つの理由になっている。ナチズムは狂気であり普通のドイツ人の考えを違っていたということにしなければ、補償問題に直結してしまうのだ。現在、アメリカや日本でナチズムを賞賛する動きがあるが、被害を受けたユダヤ人だけでなくドイツ人も蒸し返して欲しくないと感じているのではないだろうか。

確かに経済政策(例えばアウトバーンや自動車産業が有名だ)などだけを見ると効果があったことは確かなのだが、全体を見ると持続可能性のないスキームだったということがわかる。だがその背景には社会体制に対する根本的な疑問やドイツ人のアイデンティティをめぐる問題があり、これを日本の事情に合わせて勝手に解釈をすることもできない。

こうした知識なしにナチズムについて議論することには意味がないし、議論をしてナチズムを肯定しても誰も喜ばない。

ナチズムに関する問題は、日本ではネトウヨが正しいのかサヨクが正しいのかという党派性の話に矮小化されているのだが、これはもったいない話だ。経済や社会体制が行き詰まり、政治が解決策を見出せなくなると、嘘が横行し、敵が設定され、政府はより強い権限を欲しがる。こうしたことは現代の日本でも起きている。多分、ナチズムがいけないということを人に説明するよりは、私たちの目の前で何が起きているのかということを考える方が重要なのではないかと考えられる。

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