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「俺の政治的信条」について改めて考えてみる

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政治についていろいろ書いているとプロフィールを見にくる人がいる。多分どちらの陣営に属しているのかが知りたいのだろう。だが、よく考えてみると自分でもどっちの陣営なのかが分からない。安倍首相をディスっているとおもえば民進党の悪口も書いているからだ。

そこで、あらためて自分の政治的ポジションを考えてみようなどと思ったのだがやめた。多分、誰も他人の政治的ポジションには興味がないだろうし、今ある政治的なラベルが有効だとは思えないからだ。

そこで改めてどういう世の中にしたいのかということを考えてみた。頑張ったら頑張っただけ成果を得られる社会になってほしいと思う。とは思うのだが、それは実現が難しそうだ。昨日1日考えたところでは、頑張ったらいい暮らしができるなどと思っている人はいないのではないかと思う。

やりがい搾取という言葉がある。

例えばテレビ局では、ADになりたい人が足りないらしい。正社員と非正規の間に格差があり、実際にコンピンテンスを作っているのは非正規の人たちなのだが、彼らは頑張っても報わることはない。収入や地位はいつまでたっても変わらない。「頑張ったら上にいけるかもしれない」というのは、日本では搾取のための物語になっている。こうした状態はもう15年以上は続いており、物心ついたころからやりがい搾取社会だったと考える人は多いだろう。

こうした状況を打破すること自体は簡単だ。つまり、既得権を持っている人が市場原理に基づいて交代できるようにすればよいのだ。例えばテレビ局なら免許の制度を柔軟にしたり、電波が限られている地上波にこだわるのをやめてネットでもみることができるようにしたり、正社員制度をなくしたりといろいろとできることはある。これは市場主義的な考え方なのだろうが、根底には機会の平等という考え方がある。単に勝者が総取りしても良いですよという社会ではない。

これが実現できないのはビジョンがないからではない。政治に関わる人たちの関心は既得権の保持だからである。人々は将来のビジョンのためにはまとまれない。いろいろなアプローチがあり得るからである。だが既得権は今そこにあるものなので、それを守るための集まりを作ることはできる。

しかし、政治が既得権化すると腐敗が起こる。そこで瞬間的に他罰的なムーブメントが起こりそうした勢力は一掃されるかもしれない。しかしそのあとにくる人たちは同じ様な既得権者の代表である。小池百合子一派の台頭をみてそのことがわかった人も多いのではないだろうか。

だが、小池さんを応援していた人たちが腹を立てている様子はない。彼らは選挙の時にしか政治に関心を持たないし、そもそもオリジナルの問題(例えば豊洲と築地をどうするか)にはほとんど関心がない。

このように考えると、政治は社会を変えられないという前提を受け入れた方が良さそうだ。変わったしても、既得権者の懐に利益が入りやすくなるだけである。

すると、有権者としてはどの様な態度がもっとも合理的なのだろうかということを考えなければならない。政治家は嘘を前提としているわけだから、こちらも誰かを信任してはならないということになる。うっすらと見えてくるのはTFTとして知られる図式である。普段は協調を選択するが、裏切られたら裏切るというものである。日本語ではしっぺ返し戦略などと訳される。

政治は基本的にブラックボックスであってこちらからはコントロールできない。例えば安倍晋三の自民党と石破茂の自民党は全く違ったものになってしまうが、有権者からはコントロールできない。民進党はさらに悲惨で野党協力を狙って票を入れたのに「共産党は嫌だ」などという人が党を乗っ取ってしまうかもしれない。阿部知子議員などは最近「共産党と協力しないというのはデマ」などと言っている。こういう人たちを信頼するのがそもそも間違っている。

であれば、常に監視しつつ勝ち組を作らないように常に負けている側に投票するというのが最適戦略になる。彼らが裏切るつもりなのだから、こちらも裏切らなければならないのである。つまり、自民党が勝っている時は民進党に入れ、民進党が政権を取ったら自民党に票を入れるという様な戦略になる。相手が協調を選ぶ様になればそれを支持してやればいいということになるだろう。

これを考えた時に「ニヒリストなのかな」などと思ったのだが、よく分からない。ニーチェを読んだことがないので本物のニヒリストがどういう人たちなのかよく分からないし、政治なんかなくなってしまえと思っているわけでもない。

だが、こうした人たちを新聞やテレビが補足することはないだろう。マスコミは政治を「支持する政党」で分析しており、支持政党がない人たちですら補足できていない。積極的に支持政党を持たない人など想定できないのではないだろうか。

さて、ここまでは政治家が嘘をつくという前提で話を進めてきた。それに対応する態度としては、瞬間的な達成感を目指す方法と何もしないために常に死に票を投じるという2つの態度がありそうだが、脳科学的に見ると瞬間的な達成感の方が人を引き付けるのは間違いがなさそうだ。この戦略を取り続けると、政治家はその場その場で嘘をつくようになるだろう。

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Comments

“「俺の政治的信条」について改めて考えてみる” への2件のフィードバック

  1. M.MATSUBAのアバター

    どちらかの陣営に入れたがるのが非常に日本的ですよね。
    右か左か。
    自民か民進か。
    でも本来有権者は自らの生活を豊かにしてくれそうな方に投票すべきで、陣営に属する必要はないのにと思ってしまいます。
    ここがきちんとした信念を持っている先進国なら判りますが、特に日本国民は殆どが政治的信条なんて持っていないのだから、陣営分けの意味が分からないですね…。
    自民党も民進党も国民の生活を豊かにも幸せにもしてくれそうにはありません^^;

    1. コメントありがとうございます。
      年齢的に自民党がいやという理由だけで社会党に入れ続けていたので漠然とリベラルなのかなあと思ってたんですよね。でもいろいろ考えたり、実際に人に会って話すとなんか違うなと……
      まあ、本当は信頼できる政党が欲しいですけどね。