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民進党の代表選挙をみるとなぜ日本がダメになったのかがわかります

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枝野さんと前原さんの立候補表明の会見をちょっとだけ見た。幹事社がいつか質問をしているという場面だった。新しくわかったことは何もない。なんとなくわかったのは前原さんと枝野さんが、それぞれ国会議員と地方組織という二つという統合されない民進党を象徴しているのだろうなということだった。民進党というのは地方組織と国会議員が分離したキメラ政党なのだ。

頭にあたるのが国会議員だが、彼らは天下国家を語りつつ国に号令をかけたいのだろう。それを象徴するのが憲法議論だ。その裏には、地方政治への軽視が隠れている様に思える。彼らは政党というのは包み紙なので流行りの包み紙になれば、無党派層がほいほいついてくるという見込みがある様に思える。それを叶えてくれそうなのが小池新党というわけである。つまり、大きな問題に夢中になり、小さな問題が見えないのが前原さんグループということになる。

この前原グループに入っている人にはおかしな人が多い。田嶋要という議員からメールが送られてきた。自分は脱原発派だが、前原さんの主張をよく読めば原発推進ではないことがわかるので応援するという言い訳めいたことが書いてあった。だが、実際には「前原さんとは仲が良かったので応援することに決めました」ということらしい。メインの理由はグループの一員であるということで、次が政策なのだ。

私自身は、前回同様、今回もグループの一員として前原候補を応援することに致します。応援を決めた理由は、前原グループの一員であるということの他に政策的には以下の二点です。

原発について書いてあるところを抜粋するが、読んでみても何が書いてあるかよく分からない。

そして第二に、私のライフワークであるエネルギー政策でも、両候補の間で今後の方向性と具体的政策とに一切の差は無いことを直接本人から確認できたからです。当初は、枝野候補の方が「原発の無い社会の一日も早い実現」に実現に積極的なのではないかとも言われましたが、長らく調査会の事務局長を拝命してきた私が、直接に前原候補と膝詰めでじっくり話し合い、蓮舫代表のもとで玄葉調査会長・田嶋要事務局長がリードしてきたエネルギー政策を、前原候補も全面的に支持、推進することを確認しました。そもそも、「2030年代、原発ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」との大原則は与党時代の当時の民主党が、前原政策調査会長のもとで決定した大方針であり、また、民主党と維新の党の合流の際に、原発再稼働の2条件も合意されました。新体制のもとでも、私たじま要が、この分野の政策実現をリードして参る覚悟です。

前原陣営は争点隠しを行っている。これは、一般の関心と前原陣営の言っていることがずれているということを示している。こうしたずれは小池百合子陣営でも見られた。つまり、選挙のためのお約束はフィクションになっているのである。選挙の時だけ耳障りの良いことを言っていた人たちが、だんだん嘘に疲れてきていることがわかる。

一方で、枝野さんははっきりと「地方で頑張っている議員さんたちに沿った政策をとる」と言っている。自民党は弱者には冷淡なので、それを補完するのが地方議会の意義になっているのだろう。地方議会の議員の方が有権者との距離は近いわけだから、実際に民進党を応援してくれる人たちの実情を知っているのだろう。そのためTwitterなどでも枝野さんの人気は高いが前原さんの人気は高くない。

いっけん枝野さんの方がよさそうだが、こちらにもデメリットはある。有権者の多くはいろいろな問題で情緒的な判断を下す傾向にある。その元になっているのは国民向けに丸められたプロパガンダだ。

アメリカは日本を占領統治する段階で「あの戦争は軍部が勝手にやったいけない戦争だった」という印象を与える必要があった。そのため「原爆は怖い、戦争はいけない」というメッセージを送った。戦争がいけないのは当たり前だが、複雑なことは伝えられないので、比較的単純なメッセージを送ったのだろう。このうち受け入れられやすいものだけが残り、今に至っている。

安保法制への反発が強かったので、枝野グループは現状を追認しかねない憲法第9条などの改正は安保法制を撤回しない限りありえないと主張する。これは地方議会の視点では必ずしも間違った議論とはいえないが「国際社会への貢献」という憲法の前文にも書いてある理想を追求することはできなくなるし、自衛隊は交戦権を持たされずに危険な場所に送られるという問題はなんら解決しない。こうした議論さえ起こらなくなっている。

地方組織にはもう一つ問題がある。無党派層が参加する余地が全くなくなっているのだ。いくつか理由がある。例えば原発政策は「原子力発電所は絶対にいけない」というようにあらかじめ結論が決まっており、それが覆る余地はない。だから少しでも意見が異なっていたり「多面的な見方があるのでは」などと考える人たちには参加の余地がない。

さらに、多分左翼系の政治運動は「お勉強会」などへの動員が多く、忙しい有権者層には参加しにくい仕組みになっている。このためこうした運動は、定年した高齢の人たちのたまり場になっていることも多い。夫が定年して戻ってきたので、家から押し出された主婦の人たちの怒りが渦巻いていたりする。ここに忙しいワーキングマザーが入り込む余地はない。

さらに、地方組織の枠組みと生活圏が必ずしもあっていない。例えば、世田谷から新宿に通っている人にとっては、新宿の方が参加しやすいと思うのだが、政党組織というのは国会議員の後援会単位になっているので世田谷に参加しなければならないことになっている。つまり、選挙区を超えて会員組織を共有するという様な発想がない。

このブログでは何回も書いているが、日本人は集団を作って競い合うので、集団の外で協力するという発想が一切ない。このため「世田谷で集めた名簿を新宿には渡したくない」というようなことが起こるのだろう。

こうした区割りの問題はどこにでも見られる。例えば、千葉市は中央区と稲毛区が一つの区割りを形成しており、郊外の若葉区は佐倉市などと一体になっている。すると若葉区の人が政治に参加するためには、取り立てて用事もない佐倉にでかけてゆくか、政治家の側が事務所を複数箇所置く必要がある。

さらに、同じ若葉区にも、もともとは自民党にいてみんなの党に行った人と民主党上がりの人がいて、実質上競合関係にあったりする。つまり、区割りをまたいで情報を共有しようという考えがなく、さらに背景もバラバラな人たちが、永田町の人間関係に基づいてバラバラなメッセージを発出するので、結果的に誰もついてこないということになってしまうのだ。

この様に考えると一概に「民進党が悪い」というわけではない。自民党は高度経済成長を追求するという目的に最適化した政党なのでまだまとまりがあるのだが、民進党はバブルが弾けて共通の目的を失ったあとに作られた政党なのでそもそも目的がない。

最大限にポジティブに捉えると、こうしたオペレーション上の問題を解決するだけでまだまだ伸び代はあるのだが、どうやら本人たちは何が問題なのかよくわかっていないようだ。

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