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南スーダン日報問題で稲田元大臣は国会に出席しなくても良い

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今回は南スーダン日報問題で稲田元大臣は国会に出席しなくて良いという議論をしようと思う。この問題については、真相究明を行って稲田大臣を処罰すべきではないかという意見が多いのではないだろうか。だが、真相がわかったところで問題は何も解決しないだろう。

そもそも何が問題なのかということを定義する必要がある。問題は国際的・国内的に地位があやふやな組織が混乱した状況の中に派遣されたことにある。この先、この状態で自衛隊を放置すべきかというのが当面の課題なのだが、解決するためには憲法を改正しなければならなくなってしまう。

国際法では「戦争」は明確に定義されている。国の軍隊同士が戦うのが戦争であり、主権国家としての権利が交戦権である。だが、南スーダンではここが明確ではなかった。政府軍と反政府軍が対立している上に政府軍が敵対する住民を攻撃したりしている上に、なんらかの標識があって「私は軍隊ですよ」と言っているような状況ではないからだ。

さらに自衛隊が何に当たるのかという明確な位置付けがない。国連の活動に参加しているのだから軍隊として国際的に認められているようだが、憲法上の制約から軍隊とは呼べない。認識の問題だけですめばよいのだが、それだけでは済まない。

誰かが地元住民を襲撃したとする。この人たちが政府軍なのか反乱勢力なのかはわからない。地元住民を保護するためにどこかの国の軍隊が出かけてゆき、攻撃される。これを駆けつけて警護するために自衛隊が出かけて行き、そこで間違えて相手を撃ってしまう。

もし撃った相手が政府軍だとすると、交戦権がない人(自衛隊)が交戦権のある人(政府軍)を撃ったことになる。もし、非政府軍であれば、交戦権がない人が交戦権のない人を撃ったことになる。

すると何が起こるだろうか。南スーダン政府は自国で交戦権のない人(いわば普通の民間人だ)が政府軍を銃撃したとすれば重大な犯罪だし、仮に交戦権のない人を撃ち殺したとしても殺人事件である。日本はこれについて国連に仲裁を問い合わせることすらできない。なぜならば、ここで彼らが軍隊だと認めてしまうと、憲法違反になってしまうからである。

さらに、自衛隊が帰国していたとして、南スーダンに訴えられたらどうなるだろうか。自衛隊員をジュバの法廷に引き渡したりすれば大騒ぎになるだろう。

このような指摘をしている人はいたのだが、安倍政権打倒に夢中になっており、多くの人は気がつかなかった。今にして思えば「戦争はいけないことで軍隊は汚い」というイメージがあるので、まさか国際的に認められた権利であるという認識がなかったためだろう。権利についての認識がないから、権利がない組織という認識もできないのだ。

そもそもこんな状態で自衛隊を派遣すべきではなかったという意見もあるだろう。もともと民主党政権で決まったことだという話があったと思うのだが、憲法上の制約があるので、後方支援やインフラ整備などの業務に限られていたはずである。こうしたやっかいごとに触れないようになっていたのだろう。が、安倍政権に入って駆けつけ警護というやっかいな任務を入れてしまったために、こうした危険性が生まれたことになるからだ。

議論はかなり乱暴だったようだ。国または国準という用語が飛び交っていた。国準にも交戦権があるのかななどと思えるのだが、このような答弁書が残っている。

 お尋ねの「我が国の安全保障法制の解釈」の意味するところが必ずしも明らかではないが、国家とは、国際法上、一般に、一定の領域においてその領域に在る住民を統治するための実効的政治権力を確立している主体とされているが、国家に準ずる組織については、国際法上その具体的な意味について、確立された定義があるとは承知していない。他方、従来から、政府としては、国家に準ずる組織について、国家そのものではないがこれに準ずるものとして国際紛争の主体たり得るものとして用いてきている。

そもそも定義がないそうなので、交戦権の議論などはできるはずはない。この曖昧さは従来からあるようだ。石破茂大臣はこのように答弁している。

これは従来からこのように答弁をさせていただいております。
すなわち、武力攻撃対処法第二条にございます外部からの武力攻撃とは、国又は国に準ずる者による組織的、計画的な武力の行使である、すなわち外国又は外国に準ずる組織の物的、人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為がこれに当たる、何のことだか聞いただけではよく分かりませんで、何のことだそれはと、こういうことになるわけでございますが、要するに、国に準ずる者とは何なのだと言われますと、国というのは結局その領土を有しているか、国民を有しているか、若しくは政治体制というものを有しているかというようなことになるのだろうと思います。それを具備してそれは国家だというふうによく言われますし、主権というのはそういうものだと言われることがあります。
そのうちの全部か、それとも一部を充足しておる、それは国に準ずる者であり、あるいは国際的には国家としては認められていないが国際紛争の主体となり得るもの、例えばタリバンなんてのはやっぱりそういうものになるんだろうと思うんです。しかし、それが宗教団体のちっちゃなものだったりした場合には、とても国又は国に準ずる者にならないだろう。

やはり、これ私の私見ではございますが、領土とか国民とか政治体制、それを決めるプロセス、そういうものが判断材料になってくるのだろう。しかし、これが国に準ずるものなのだということをきちんと申し述べることは不可能でありまして、そのときには、国際紛争の主体となり得るかどうかということを判断をすることになるのだろうと考えております。

タリバンは国準なのだそうだが、その定義は曖昧であり「どこから下がちっちゃなもの」なのかはわからないままだ。私見と断った上で「よくわからない」と言っている。

なぜタリバンを国準としたのかはよくわからないが、交戦権はないが外国の軍隊が出て行って攻撃できる主体にするためには相手にも国格を認めなければならない。が、国ではないので国準という概念を発明したのではないだろうか。

一つだけ確実なのは「これが戦闘なのかそうでないのかよくわからないがとにかく撃たれている」という状況に置かれかねないということだ。なぜ、陸上自衛隊が「戦闘が起こっているからなんとかしてくれ」と日報に書いた事情がわかるし、統合幕僚本部が「これは話がややこしくなりそうだから見なかったことにしてしまおう」と考えたのも理解できる。つまり、話し合っている当人たちがよくわからないのだから、議論など出来るはずはない。

つまり、自衛隊を扱うためには「よくわからないことを巧みに避けつつ、なんとなく辻褄があっている」ように見せかける技量を必要とするのだということになる。これを実行するためには「あるべき姿」と「現実」がわかっていなければならない。その上でなぜあるべき姿と現実が合わせられないかということを飲み込んだ上で、総理の指示を聞かなければならないのである。

稲田さんがどのような人だったのかは過去の行状から推察するしかないのだが、誰かから聞いた正解をそのまま右から左に垂れ流して、相手の批判を聞き流すという人だったのではないかと思われる。弁護士は言いっぱなしでよい(最終的な判断は裁判官が行う)ので、例えば野党として与党を非難したり、第二次世界大戦は悪くなかったと主張する分には構わないのだが、自衛隊のように矛盾が内在した組織のマネジメントなどできるはずはなかった。

だから、国会に稲田元大臣を召喚できたとしても、彼女はオウムのように物語を繰り返すだけで、議論にはならないだろう。ゆえに呼んでも無駄である。自分はよい大臣だったという架空の物語の中に住んでいるので、それを延々と聞かされることになるだろう。

駆けつけ警護を強行したことからわかるように、安倍首相は多分交戦権というものを理解していないものと思われる。つまり、安倍首相に答弁させても無駄である。小野寺防衛大臣に期待したいところだが、最初から目つきが死んでいるので、だらだらと言い訳を繰り返すだけになるだろう。

このように議論が膠着する理由は、周りにいる人たちが安倍首相が間違っているということを証明しようと一生懸命になっているからではないだろうか。自民党と民進党の中には防衛政策に携わった人たちがおり、こうした問題を認識しているはずなので、彼らがなんらかの提案をするしかないのではないだろうか。

安倍首相が間違っていて、稲田元大臣が無能なことはもうわかっているので、改めて証明する必要はないのだ。

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