東京裁判に関するドラマを見て、知らないことが多いなと思った。夏休みの自由研究気分でいろいろ調べてみたのだが、一時間程度検索しただけで、知識のなさに驚いてしまった。8月6日から15日ごろまでに原爆の被害現場や終戦後の焼け野原の写真を見て、なんとなく「戦争はいけないことです」と言っていただけで、戦争について知ろうという気持ちがなかったんだなと思った。
東京裁判は事後法で裁かれた
そもそも「戦争がいけない」という国際法はなかったし、今でも単純に「戦争はいけない」という国際法はないらしい。戦争といってもいろいろあるからだ。
侵略戦争はいけないということになっているのだが、そもそもこの侵略戦争という概念も第一次世界大戦の終結時に生まれたようだ。侵略戦争と対になる概念は自衛戦争だが、何が自衛に当たるかは当事国が勝手に決めればいいということになっていたようである。侵略戦争の定義を決めたのがパリ不戦条約だが、定義の曖昧さのために事実上の空文だったと言われている。だからこの条約では第二次世界大戦を防ぐことはできなかった。さらに、各国とも戦争を開始したという理由で元首を裁くというところにまでは踏み込まなかった。このことは東京裁判でも問題になり、長期化の一因となった。パリ不戦条約は戦争を防げなかったという反省もありながら、どこまで裁くべきかということについては様々な思惑や意見があったからだ。
第二次世界大戦で日独伊の敗戦が濃厚になったころから、平和に関する罪や人道に関する罪という新しい犯罪が定義されはじめた。東京裁判の裁判官らはこのルールの元で戦争犯罪人を裁くということで合意したのだが、後から加わったインドのパール判事らが「事後法」であるという理由で反対しはじめ、当初半年で終わるとされた裁判は2年以上も続いた。
パール判事が「反対」を表明した裏にはインドが独立国ではなかったという事情があるようだ。インドはイギリスからの独立過程にあったがイギリスからの「植民地支配のお詫びと反省」は行われなかった。侵略戦争という概念はヨーロッパの民族独立には適用されたが、インドやアフリカの人たちには認められなかった。そこで「戦勝国」が勝手に罪を作って敗戦国を裁くということに対して疑義が生まれたのだろう。逆に、イギリスなどの先行帝国主義国は植民地支配を肯定しつつ、更新帝国主義国が起こした行為を侵略だとみなす必要があった。
戦勝国の事情は複雑だった。植民地支配の侵略は認めたくはないが、ナチスドイツのユダヤ人虐殺などは裁きたかった。ナチスドイツのユダヤ人虐殺は誰が見ても悲惨な出来事であり、ヒトラーとナチスドイツという明確な標的もあったので、平和や人道に関する罪はそれほど疑問視されることもなかったのだろう。だが、日本の戦争は様子が異なっていた。明確な首謀者が見当たらず集団で暴走したからだろう。また、形式上の責任者である天皇は日本を統治するために利用できると考えられたため訴追すらされなかった。
こうした必ずしも単純ではないため、判決文は反対意見書とともに保管されており「日本は悪くなかった」とか「自衛のための戦争だった」と主張する論拠として利用されている。今でも右翼系の雑誌では都合の良い場所だけを引き合いに出して「戦争は悪くない」という論を展開する人がいるのだ。
A級戦犯が一番罪が重い訳ではない
ニュルンベルグ裁判と東京裁判は「侵略のための戦争はいけない」という新ルールが明確に適用される最初の裁判となった。罪は、A) 平和に関する罪(侵略戦争の禁止)、B) 通常の戦争犯罪、C) 人道に関する罪の3つに別れた。このうち、最初のものはA級と呼ばれた。つまり、Aが一番悪いということではなく、単に種別を指しているに過ぎないということのようだ。
ドイツではナチスドイツのユダヤ人虐殺が目立っていたのでC級の方が罪が重いという印象があるそうだ。一方で日本で指導者層にA級戦犯が多かったために「国民を戦争に巻き込んだA級戦犯が一番悪い」という印象がついたものと思われる。一方、日本ではC級で有罪判決を受けた人はいなかった。また、A級だけで死刑判決を受けた人もいない。事後法なのでこれだけを根拠にして死刑判決を下すのがためらわれたのだろう。死刑そのものにもためらいがあったようだ。
平和に関する罪は形式的な犯罪であるともいえる。自衛であれば国が戦争をする権利そのものは認められているために、自衛だということを証明した上で宣戦布告して戦争をすればA級戦犯としては裁かれなかった可能性がある。
真珠湾攻撃は「奇襲」ということになっているのだが、これは手続き上のことで、実はアメリカは無線傍受によって日本が攻撃してくることを知っていた。つまり、防ぐことができたのである。このことは東京裁判でも争われた。
なお、TwitterではA級戦犯扱いされている岸信介元首相だが、容疑者にしかすぎず不起訴だったということだ。岸が無罪となった裏にはアメリカの関与があったのではないかと噂されている。日本の非共産化を防ぐための協力者として指定されていたことがわかっている。読売新聞の正力松太郎元社主もA級戦犯容疑者で親米工作の協力者だった。安倍首相が何かにつけて読売新聞や日本テレビに出てくるのは、この関係を引き継いでいるためなのかもしれない。いずれにせよ、誰を起訴するかというのはアメリカを中心とするGHQが決めていたようで、当然ながら裁判官には容疑者が誰かを決める権限はなかった。
憲法第9条はパリ不戦条約を元に作られた
なんとなく湧いて出てきたように思っていた憲法第9条だが、パリ不戦条約を参考にして作られたという説があるようだ。不戦条約のコピペだという人もいる。日本がアメリカの脅威にならないように改造するのがアメリカの目論見であり、天皇制を維持するのが日本側の目論見だった。この目論見が合致して生まれたのが、憲法第9条だったと言える。この認識がある日突然空から降ってきたわけではなく、当時の共通認識を元に日本側がアメリカを忖度する形で生まれたのかもしれない。
偶然だが報道特集でこの時の事情について説明があった。岸信介首相が「憲法第9条はアメリカが押し付けた」と主張するのを聞いた幣原首相の側近がそうではなかったと娘にメモを残させたというような話になっていた。
「押し付けた」という人と「日本人が提案した」という人がいるのだが、これは忖度の解釈についての議論であって、ある意味ではどちらも正しいといえる不毛な議論だ。安倍流にいえば「言った言わない」の議論である。特権を失った人たちから見ればすべてGHQの押し付けなのだろうが、戦争に負けたのだから仕方がないとも言える。
パリ不戦協定は侵略戦争を否定したが自衛戦争までは否定していなかった。さらに、何が自衛なのかは当事国が規定できることになっていた。この曖昧さはコピペされた憲法第9条にも残っているように思える。自衛権を「芦田修正で残した」という人もいるのだが、当時にどのような認識があったのかは今ではよくわからない。つまり、そもそも最初から自衛権の放棄までは想定されていなかったのかもしれない。
さすがに、当事国が自衛と侵略を勝手に決められるようでは戦争は防げないので、第二次世界大戦では安保理事会が「何が侵略戦争なのか」とか「誰に戦争に参加する主権国としての資格があるのか」が判断できるようになった。だが、参加国はいずれも主権国家なので、曖昧さは完全に排除されなかった。このため今でも国連は機能不全に陥ることが多い。
何が戦争でなぜなくならないか
戦争は主権国家に認められた権利の一つでありそれ自体は犯罪ではないとされている。だが、戦争は決まった人たち(いわゆる軍人)によって行われるものであって民間人を攻撃してはいけない。また、逆に戦争は国にのみ認められるべきもので軍隊ではない人たちが戦争してはいけない。戦争する権利のことを交戦権という。これは国にのみ認められた権利である。
日本は憲法で国際紛争を解決するための戦争は放棄しているが、国連加盟国はそもそも侵略戦争を起こしてはならないことになっている。つまり、憲法第9条がなくなっても日本が戦略戦争を起こすことはできないし、逆に自衛のための戦争が否定されることもない。ということは、憲法第9条がなかったとしても、日本には何の影響もないことになる。
あるとすれば自衛だったとしても意見が分かれるようなら戦争はしないというような意味合いになるだろう。紛争を解決する手段としては国際司法裁判所があるが加盟していない国も多い。
ただし憲法第9条は戦争の反省と国際社会への復帰のための誓約という意味合いがあるので、これを取り下げるということ自体が内外に対する意思表明になってしまう可能性は高い。
一方で集団的自衛に関する考え方は変わってきている。もともとはある大きな主権国家に対して、複数の主権国家が対抗するのが集団的自衛だったのだが、現代では紛争が国際的に拡大するのを防ぐという意味合いの方が大きいのかもしれない。国連中心の集団的自衛もあるが、アメリカを中心にした有志軍による集団的自衛もある。
このように考えると様々な種類の戦争があることがわかる。1カ国の自衛、数カ国の自衛、自衛を偽装した侵略、海外権益を守るための「自衛」、国連を中心にした集団的自衛、アメリカ軍を中心にした集団的自衛、アメリカ軍を中心にした集団的自衛を偽装した海外利権の保護、国際紛争化を防ぐための集団的軍事活動などがすべて一緒くたに「戦争」とくくられているのだから議論が粗雑になるのは当たり前だ。
「戦争はいけない」のだが先行者利益は守りたいので、完全な禁止も難しい。イギリスがアフリカを搾取したのは合法だが、遅れて帝国主義に乗った日本が中国を搾取しようとしたことは犯罪だと認定された。こうしたことは今でも行われている。先に核兵器を獲得した国の権利は守られるが、後から作ってはいけないというのである。例えば北朝鮮が核兵器を持つのはアメリカからの侵略を恐れてのことなので自衛と言えるが、であっても核兵器の開発は認められない。しかし、依然として北朝鮮は主権国家なので、アメリカが踏み込んで核兵器開発をやめさせることはできない。北朝鮮からみると、相手はピストルを持っているのに自分だけ放棄しろと言われているようなもので受け入れるのは難しいだろう。
戦争の多面性
こうしたいくつかの話をざっと見て行くと、現在の「対立」は必ずしも「どちらか一方が正しい」というものではないということがわかる。
例えば、ヨーロッパ諸国がインドネシア・インドシナ・インドなどの植民地化していたことは事実であり、日本がこうした国々を解放してくれると期待した人も多いはずだ。日本は石油資源を止められており自衛のために戦争をしたという側面も否定はできない。また、事後法によって裁かれたというのも事実である。とはいえ、日本軍が侵略行為を行ったことは間違いがないし、国民を巻き込んで出口のない戦争を始めてしまったというのも確かなことである。さらに当時の国際コミュニティが日独伊を断罪して今後戦争を起こそうという国があらわれないように意図したという側面もある。
第二次世界大戦について「正しい教科書」を書こうとすると、日本側の視点、アジア植民地の視点、欧米の視点を併記するしかない。そもそも話し合いで解決できないから戦争をするわけであり「どちらにも言い分がある」ということになる。さらに国民がどのように説明され、最終的にどのような被害を被ったかということも書かなければならないだろう。
だから「日本は正しかった」というのも間違いだし「あの戦争は絶対にいけないものだった」というのも必ずしも正しいとは言い切れない。
安倍首相の憲法第9条改正試案の何が問題なのか
主権国家として自衛のための戦争は認められているのだから、第9条は全くなくしてしまっても構わないし、自衛のための軍隊についての条項だけを書き加えても構わない。だが、これには納得できないという人が多いのではないだろうか。いくつかの理由が考えられる。
まず、自動的に「どこまでの自衛を認めるのか」という議論が始まる。一国の自衛から集団による地域の治安維持活動まで侵略以外すべてが自衛の範疇に入り、対峙する相手も国、国に準じる組織、地域のテロリストまで多岐にわたる。最終的には国際コミュニティが何を自衛かを決めるのだから、これを憲法で扱うのは極めて難しい上に、今まで考えてこなかったのだから議論が収束するまでにはかなり長い時間がかかるだろう。
次に、憲法第9条を変えること自体が内外に対するメッセージになってしまう可能性が高く影響が予測できない。必ずしも合理的なものではないかもしれないが、かといって無視することはできない側面である。「戦争放棄」を憲法条文から消すと、侵略戦争の準備をしているのではないかと受け取られかねない。特に問題なのは現在の発議者がA級戦犯容疑者の子孫だということだ。必ずしも家族が祖先に対する責任を未来永劫追い続けるべきとは思わないのだが、過去に「みっともない憲法だ」などと発言しており、敵意を持っているのは明らかだ。これは多くの国民の認識とは異なるのではないだろうか。
こうした複雑な状況があるにもかかわらず、日本がこのままの状態で自衛隊を保持するのは難しくなっている。
議論の途中で「戦争は国が認定した軍人によって遂行される」という決まりごとを見た。自衛隊がこの軍人に当たるかどうかは議論の分かれるところだ。「自衛隊は交戦権を持っているのか」という議論になる。国内の認識に従って非軍人としてしまうと民間人が戦闘行為に参加したということになり、現地の法律で「人殺し」として裁かれても国はなんら弁護ができない。つまり、現在の自衛隊が何かをしでかすと、現地警察に逮捕されても何も言えないのである。法的には普通の市民が街中で拳銃を撃つのとなんら変わりはない。また、この「容疑者」を国内でどう裁くかという議論も出てくる。法的には単なる民間の殺人者にすぎないのだから、殺人罪で裁かざるをえなくなる。
こうした危険性は南スーダンでは現実のものだった。南スーダンでは誰が政府軍なのか、誰が単なる民間人なのかということがよくわからない上に、政府軍も敵陣営について略奪行為を行ったりしていた。ここで攻撃されて自衛のために攻撃者を殺した場合、何が起こるのか、誰も予想できなかったはずである。